そらをとんだおっぱい「魔女になる日 さよならおっぱい」12
モディファイド・ラディカル(アン・ダヴィッドソン)
奇蹟のような目覚めのあとで
彼女は気づいた
衣がはがされて
おそろしく平らかな胸が現われたときでさえ
彼女は気づいた
自分が少しも変わっていないことを
彼女は乳房を献げたのだ
祝聖された生贄のように
献げたのだ
ひきしぼる弓がよく的を狙うようにと
乳房を切り落とした
アマゾンの女のように
*
今 彼女は胸をバッジのように
誇らかに身につけて
静かなシスターフッドの戦列に加わる
彼女の右手が平らかな左胸を押さえる
そして心臓の強く荒々しい
鼓動を感じるのだ
アン・ダヴィッドソンは、がん生還者の詩人。
この詩の引用は『アメリカで乳がんと生きる』松井真知子(朝日新聞社 2000年)p.102-103
著者の松井真知子さんが乳がんになったときに、友人から送られたアン・ダヴィッドソンの詩集『モディファイド・ラディカル』に収められている詩として紹介されている。訳者が明記されていないので、松井さんご本人だろうか。引き続き調査をしていきたい(ご存じの方があればご一報ください)。
modified radical mastectomyは、非定型的根治的乳房切除術のこと。
PDQⓇがん用語辞典英語版
surgery for breast cancer in which the breast, most or all of the lymph nodes under the arm, and the lining over the chest muscles are removed. sometimes the surgeon also removes part of the chest wall muscles.
乳がんに対する手術のひとつで、乳房に加えて、わきの下のリンパ節の大半または全部と、胸の筋肉を覆う膜を併せて切除するもの。ときに胸壁の筋肉の一部も切除する場合がある。
私は手術前日の病室で、この詩を写真のようにノートに書きつけた。
乳房を全切除する女たちが、そのことをどう思っているのか、どう受け止めたのか知りたかった。
私自身がどう思うのかは、切除してみないとわからないことだった。
私は乳房を生贄のように献げるつもりもなければ、アマゾンの女になるつもりも、戦列に加わるつもりもなかった。ただ「静かなシスターフッドの列」には加わりたかった。
「魔女になる」という感覚は、私にしっくりくる。がん、乳房を切除するという「事件」を乗り越えたら、私は別の力を得るはずだ。
より強く、自由に。
戸籍の名字で呼ばれる
10月28日(月)
「Oさん、Oさん」女性たちの複数の声で、名字を呼ばれたことは覚えている。右乳房の全摘出手術が終わって、手術室で呼ばれたのだろう。私からは手術室で目覚めた記憶は削除されている。
私が戸籍名字のOで呼ばれることは、今のところ、子どもの学校と病院でしかない。勤務先で呼ばれている中村という旧姓は、ビジネスネームとペンネームだ。つまり、中村純という人間は本来存在しない。
夫婦別姓を切実に必要とするのは、自己同一性のためでもある。私が認知症になって病院や施設で「Oさん」と呼ばれるようになったとき、私は私自身が生きて思考し、生活してきた記憶と接続できるのか。
ともあれ、私を麻酔からこの世に呼び覚ますために、保険証に登録されている戸籍名のOで医療従事者たちは私を呼ぶしかない。
純ちゃん、純さん、純すけ、中村ちゃん。40年以上を過ごした東京の友人やもと同僚は私をそう呼ぶ。私という存在のすべてを呼んでくれる。
育児休暇中の「Kちゃんママ」と子どものママという位置づけで呼ばれた一年は、その関係性の中だけで閉じるピースの存在だった。
京都に来てからは、地域では純さん、勤務先では中村先生と呼ばれた。「先生」などと呼ばれてしまう立場は、教師はこうあるべきという厳しい要求、批判、バイアスにからめとられて、私が私であること、表現者であることが、著しく抑圧される。
連れ合いの実家の名字のOさんで呼ばれるのは、大変居心地が悪い。そこには私はいない。私が作品のなかで、在日コリアンだった祖父のことやシングルマザーとして生き抜いた祖母のこと、自身の外傷体験、被差別体験を書いたり、著書のことで新聞取材を受けると、
「身内が京都にいるといわないでほしい。Kちゃんの母親だと言ったり、Oの名字を名乗らないでほしい。家の前でヘイトスピーチされたらどうするんや」
と、義母に言われたことがある。
私はOさんと呼ばれざるを得ないときは、同じ名字の方たちに「ご迷惑」をかけないように、家族の一員としてふるまわなくてはならない。存在しないことにされること、人間の尊厳をかけた言葉を書くことや話すこと、自分自身であることを禁じられるのは、「悪気はなかった」では済まない差別である。
私は祖父が在日コリアンのクォーターだが、時にこういう目に遭う。
在日コリアンの友人たちが、どれだけのヘイトにさらされ、「見つけられないように」名乗らず、自分のルーツを隠してきたか。私の母もそうだった。2010年前後からのヘイトスピーチ、ヘイトクライムのため、在日コリアンルーツの若い学生たち(在日4世やダブルである)まで、自分のルーツを恐れる。そして、そっと私に話してくれる。
だから、私は次に来る人たちのために、「ここにいるよ」と私のルーツを明らかにすることにした。
「アジアの別の立場を体内にもった幸福な人」
詩人でノンフィクション作家の森崎和江さんが、25年前に私にかけてくれた言葉だ。私はこのことのおかげで、自由に空を飛べる。
だから今、私は飛鳥純としてこの文章を書いている。国境や民族を超え、自由に空を飛べる鳥のような純。中村もOからも自由な、「飛ぶ鳥」だ。
いや実は、まだ理由がある。以前勤務していた出版社の上司が飛鳥さんだった。初めてのところに電話をするたびに、「飛ぶ鳥を落とすと書いて飛鳥といいます」と自分の名字を説明していた。彼は努力家の編集者だった。
私は、飛鳥さんの名字を拝借して、出版部数2000部の中村純から脱却して「飛ぶ鳥を落とすような」書き手になろう、抑圧を蹴り飛ばして意識の深い海を旅し、「飛ぶ鳥を落とすように書こう」と思った。この連載に編集を重ねて、本にする日を願って(どなたか、よろしくお願いいたしますね!)。
家族や他者のために30年以上、働いて、働いてきた。半世紀以上生きて、がんにもなった。残りの人生、自分のために生きて、これまでできなかったことをしてもよい年ごろだ。中年の女の書き手を応援してくれる人は少ない。自分で飛び立たねばならぬ。女たちよ、大志を抱け。一緒に飛ぼう。
そらをとんだおっぱい
私は術前外来の説明の診療室で、術後に切除した乳房を見せてほしいと、N医師にお願いしていた。
「(切り落とした乳房は)焼く前のお好み焼きみたいですよ」とN医師が言っていた。切除したあとの胸の皮膚は「沖縄の市場にあるくしゃっとした豚の顔みたいな」ともおっしゃった。
N医師が沖縄ルーツの先生だと知って、この比喩の背景が分かった。N医師の妻は在日コリアンで、同じように乳房を全摘出された経験があるというお話をしてくださっていた。
手術時の麻酔から呼び覚まされた次の記憶は、病室のベッドサイドに立つN医師に呼ばれて、切除された自分の乳房を見たこと。
ベッドサイドに立つ医師のえんじ色の着衣と、先生が手にしたタッパーのようなトレイ。私はまたOさんと呼ばれてしまう。麻酔の重たい体を起こしてタッパーを覗き込む。黄色い脂肪の塊。案外容積がある。私はその中央に載せられたものを癌細胞だと思い「2センチくらいですね、案外大きいんですね」と口走った。
連れ合いがあとで見せてくれた写真を確認すると、中央に載っていたのは、切除された右乳房の乳頭だった。ピジョンの乳首ではなく俺の乳首だ(急に「俺」と言いたくなった)。
脂肪の塊。モーパッサンの小説のタイトルだ。エロスと卑猥を男たちにもたらす女の乳房は、こんな脂肪の塊に過ぎないんだぜ。乳房を切り落とした俺には、魔女になる資格くらいあるだろう。
飛ぶ鳥のように、おっぱいは去っていった。ホルマリンに漬けられて病理検査に回されたのだ。切除された乳房は5年は保管するそうだ。私は、切除された乳房がたくさん保管された鍵のかかる部屋をイメージして、魔女の笑いを笑った。
『そらをとんだたまごやき』(クレヨンハウス)という絵本がある。
落合恵子さんが文章を書き、和田誠さんが絵を描いている。MARCのデータベースの内容紹介には、「めぐちゃんとおとうさんは、卵20この大きな卵やきを作りました。大きな卵やきは空飛ぶじゅうたんのように浮かんで、めぐちゃんとおとうさんを乗せて、冷蔵庫のドアから雪を被った山の景色の中へ飛び出していきました」とある。
『そらをとんだおっぱい』(Witch's broom)飛鳥純
「切除された乳房20この大きなお好み焼きは、空飛ぶ魔女のじゅうたんのように浮かんで、台所、事務室、倉庫、教室、病室、福祉施設に女たちを迎えに行き、女たちを乗せて、閉ざされたドアからカーンと抜けた青い空の中へ飛び出していきました」がログラインである。
どなたか絵を描いてほしい。私たちは、もう自由に飛ぶことができる。