
自立したpatient 「魔女になる日 さよならおっぱい」23
patient という言葉
手術日の翌日、10月29日のメモを手がかりに
患者を表す名詞、patientは、形容詞になると忍耐強い、勤勉な、という意味になる。
「煩わせない、要求しない、よく聴く、よく守る、質問する、自立している、待つことができる」
医療従事者の方にとっては、私は、負担や二次受傷のないpatientである。
なぜそうなってしまうのか。
他者のケアをする側の人間として、そのストレスや二次受傷を経験してきたからだろう。
ヤングケアラーという言葉
昨今の「ヤングケアラー」という行政用語は、「家族の介護その他の日常生活上の世話を過度に行っていると認められる子ども・若者」を呼ぶらしい。
そう定義するのならば、私は幼いころから、毎夜、そして毎週末不在の両親に代わって、5歳年下の弟を日々世話をする姉だった。
そして、病の後に私の両親に介護を放棄され、施設に放置された祖母のもとに通い、爪を切り、祖母の下着を準備し、行事に参加する若い孫娘だった。
90年代、2000年代前半は、介護を自宅で担わない家族は、施設側からも非難されていた。
20代、30代前半だった若い私は、施設の職員さんたちに非難の目で見られていたが、自身のパートナーと自活して暮らす部屋に祖母を引き取って、仕事を辞めて祖母を介護することはできない。
祖母の預貯金は両親が管理していたため、「もっとよい」民間施設に祖母を預ける費用もなかった。
私が18歳のときに65歳で倒れた祖母は、私が32歳のときに79歳で亡くなった。長患いの不自由な老後だった。申し訳なく思っている。
5年後、37歳で子を産む決心がついて、またケアの人生が始まったのだが、子育ては大変でも喜びが大きく、精神的な負荷は看護や介護の方が大きい。
当時、両親はまだ50代で仕事をやめ、若かった私が彼らを扶養家族に入れたりしたのは、他者のために生きろと言われてきた名残だろう。
子どものころにケアをされてこなかった両親、十分に教育を受けられなかった両親に対しての申し訳なさ、罪悪感がなかったとはいえない。
大学を出た私は、親からはたくさんのお金を稼げて当然だと思われていたが、「残念ながら」私は女性で、お金がより稼げる職業に就こうとしない「愚か者」である。
一般論だが、支援やケアは、提供すればさらにエスカレートし、当然となり、相手にとって権利となり、それを提供しないことを責められるようになる。
長いケアの人生を経て、37歳で自分の子どもを持ったとき、私が守るべき人が明確になった。私は両親の介護はしないと心に決めた。
しかし、若いころの自分を鑑みると、子どもの私も親に期待をしている。
愛情、承認、共感、思いやり、励まし、親としての適切な行動を求めていた。
しかし、それが与えられない親もある。
そのことに気づいたときに、私は、教育を受けさせてもらったこと、死なないでいること、人間として強度があることだけでも、「有難い(運がよい)」命をいただいたと思うことにした。
定義や制度からすべり落ちるもの
ヤングケアラーは、「国・地方公共団体等が各種支援に努めるべき」とされる対象だが、では、家族の人間関係のなかで起きていることに対して、子どもや若い「私」に対して、他者はどのような支援ができたというのだろう。
定義されることで、支援内容が明確になるのだろうか。
障がい学生支援や、ヤングケアラー支援の制度下で、「合理的配慮」のもとに支援内容を合意形成するという仕組みができても、自分が何を求めているのかわからず、医療や福祉モデルで障がいを認定されることを拒み、医療や福祉の支援を求めず、存在自体の苦しみを自力で対処できない方たちは、混乱している。
整理できない混乱や対処できない苦しみは、家族、恋人、夫婦、友人関係などの私的領域、学校や職場といった公的な領域で、人間関係への投影を起こし、巻き込み、依存、暴力を起こすことがある。
ケアの要求とケアする人への虐待
マイノリティや精神疾患のある方たちと過ごすときに、ケアを求められる側が二次的外傷性ストレス、二次被害、暴力を被ることがある。
被害者が加害者になる時だ。
母にとっては、「女のくせに」家事や完璧なケアをせずに、自分のこと(部活、勉強、読書)をしようとする私は、思いやりのない、役に立たない、産まなければよかったと罵倒すべき子どもだった。
ケアの要求と、ケアする人への暴力は結びついている。
ケアを要求する側は、ケアをしてくれる方に対して、相手が心身をすり減らし、気を遣い、完璧であることを求めることがある。
「自分はこんなに傷ついて弱いのだから、もっとケアをされるべき人間である」という主張である。
母の、子どもの私に対しての言動の原点は、
「自分は苦労した。お前は恵まれている。家族のため、私のためにお前が何をしてくれたというのだ。お前は冷たく最低の人間だ。子どもというのは、本当はもっと親を思うものだ」
というものだった。
母には、戦後の在日コリアン差別の厳しい時代を生きてきたという過酷な背景があり、若いときに自分の人生を生きられなかった悔しさや、教育を受けられた私への嫉妬があり、親という立場を引き受けきれなかった未成熟があっただろう。
私は、彼女のことを愛することができなかった。
母もまた、私を憎んでいた。
あんな目で子どもを見てはいけない。
あんな目で私を見た人を、ほかにも何人か知っている。
それは、その人がその人自身の内側を見る蔑みの目である。
劣等感から、力学をつくるために蔑みの目を向ける。
私とは何の関係もないことを、その人は知らない。
だれに対しても敬意を持てず、だれのことをも愛することができない人の目だ。
私が、やっぱり話さなければよかった、会わなければよかった、重なった時間を後悔する人、改めて距離をはかろうとする人は、そのような目や言動をしている。
自分と他者に敬意を持つ人、知性と思いやりのある人は、あんな目はしない。
がん患者を経験して、付き合う人がはっきりしてきた。
もう我慢しなくてよいだろう。人生は短い。
社会的ケアの専門性を評価する
ケアする側の人間の支援、背中を支える人が必要である。
国家資格のカウンセラーでもスーパーバイザーが要るというのに。
支援の内容は、専門性に応じて具体的であるべきで、精神疾患、発達支援、就職支援は、「ケア」の範囲を超えた専門性が必要である。
保育、教育、介護、看護といった、ケアを担う方たちの給与が、日本で安く抑えられてきたのは、女性が家庭内で担ってきた無償の役割(労働)の延長だとみなされてきたからであろう。
過度なケアを要求する方が、ケアを提供する側を下に見ている傾向があるのも、そうしたことが関係しているだろう。
生徒、学生、親、学校もまた、こうしたケアを、男性教員にではなく、女性の教員に求める傾向にある。
「女性はケアをしてくれて当然の存在」なのだろうか。
完璧なケアができなかったときに、不満や攻撃の矛先を向けられるのもまた、女性なのである。
自立したpatient
この構造がわかっているからこそ私は、patient、忍耐強い、患者になる。
他者に過度な要求、ケアを求めない。自立していようとする。
今回、手術と術後の24時間、自力歩行をしない横になった生活をして、医療、介護を受けるという体験をした。
心身の無防備な状態で、他者に自分を預ける。
医療、介護のかかり方を体験したということになる。
1週間の入院は、何の不満も要求もない「幸福な入院ライフ」だった。
他者にケアをされること、食事を作っていただくこと、複数の他者を同時並行的にケアする主体と責任を担わなくてよいこと、他者に要求されないこと。自分のためだけに生きる時間を経験した。
それにしても、若い看護師の方たちが大変しっかりときびきびしていて、きめ細やかな思いやりと他者尊重がある。
私が普段関わる学生たちと、年齢はそう変わらない。
若い人たちはこちらにケアを求めてくるから、ケアしていただくなんて、普段は考えられない。
高等教育無償化の運動をしているらしいが、医療・看護・介護・教育などに関わる職業に就く学生は、教育費無償でよいと思う。
他者に尽くすために私費で学んでいる。
自分もそうしてきたが、研修や資格取得すらリスキリングなどと言われ、私費であることに違和感がある。
医師や、看護師、医療福祉のケアワーカーの方たちが、ご自身の体制を立て直す休息の時間、ご自身がケアされる時間があること、過度な要求やクレームにさらされないことを願っている。