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乳がん術後の傷―樹齢のような記憶の跡地で「魔女になる日 さよならおっぱい」32

スティグマか、女性性からの解放か

乳がんと子宮がんは、生物学的な女性の機能を持つ臓器を痛める悪性新生物である。
がんを切除して治療をすることだけでも困難が伴うが、乳房や子宮を喪うことで、セクシャリティー、セルフイメージ、生殖機能にダメージをもたらす。
そのことがスティグマ(負の烙印)になることもある。
スティグマは、他者からのものだけでなく、自身によるものもあるだろう。

他者や自分に刷り込まれている価値観の源流を知り、リテラシーすることから始めたい。
詩人でノンフィクション作家の森崎和江が明らかにした近代女性史は、明治時代に確立された戸籍制度と家父長制が、子を産ませる女(産婦)と、性を買うことのできる女(娼婦)に女を二分したことを明らかにした。
子を産むこと(子宮)、もしくは性的魅力があること(セックス、乳房)が女の価値だとしたら、それは誰の価値観だろうか。
家父長制を確立した明治政府、その価値観を内在化した男性、もしくは女性の価値観である。

今は戦後80年である。
日本国憲法は家父長制による家制度を認めていないし、両性は平等だ。
女性の生殖機能やセクシュアリティーにダメージを受けることは、今は私個人の健康とセルフイメージの問題としてのみ受け止めればよいのだ。
子宮や乳房は、「家」や「男」のためにあるのではない。
社会保障制度の維持のための少子化対策として、結婚や出産があるのではない。

すべての女性が、乳房や子宮を喪うことが、セルフ・スティグマになるのか。そうではない。
きつい月経に悩まされた女性が、子宮を喪うことによって「ある解放」を得たという話を聴いたことがある。

女性性は、抑圧にもなり得る。
特に、日本のように社会のデフォルトが健常な男性の基準になっている社会では、月経や妊娠出産、子育ては十分に配慮されることがない。
それどころか、特に若い時分は性的対象にされて不快で危険な目に合う。
女性性やセクシュアリティーが、本来の意味で開かれるのは、相手との人間的な信頼関係においてのみである。

更年期は、私には女性性からの解放だ。
乳房の切除はどうか。
乳房を切除してふた月が経ち、あたらしい傷痕が、私の体と生活に適応しはじめた今なら、少しずつ、それが何であるのか思考していくことができる。

これから、このnote連載は無意識の海に潜り、傷から創(kizu)へ離陸する。

乳がん右乳房切除後の傷痕を撮影する

2024年12月25日水曜日の午前中、乳がん発覚後から、記録写真を撮影していただいている写真家の高橋保世さんに、術後の傷痕を撮影していただいた。

高橋さんは、私が勤務する芸術大学の卒業生である。
以前、私とゼミの学生で編集担当をした、もと学長の尾池和夫先生の写真歳時記の写真を担当した方だ。

高橋さんは、人物を見つめ、その肖像を撮る。
遺影写真を作品のテーマにしていきたいのだという。
その人がどのように生きたか、物語を聴きながら作品を撮るのだろう。

高橋さんの卒業制作は肖像写真だった。
乳がんが発覚したとき、私は傷を記録し、創(kizu)として超えていくために、高橋さんに撮影をお願いすることにした。

高橋さんの卒業制作作品を、私の仕事場で見せてもらった。
男性の肖像写真が多かった。
高橋さんは、女性の体に押しつけられたステレオタイプ(固定観念)に、違和感や拒否感を持つ方だった。乳房は要らないくらいだと言う。
高橋さんなら、乳がん切除後の私の体を「憐れむ」ことなく、「異形」に見ることもなく、「女性」と「私」を撮ることができる。
そう確信した。

スティグマとステレオタイプを超える

切除前の乳房は、勤務する芸術大学のスタジオで撮影していただいた。
私はファーストキャリアは女性雑誌だったため、スタジオのストロボ撮影がどのようなものかはわかっていたつもりだった。
できあがった写真には、光があふれていた。
(私は、自分の人生に光を当てられることに慣れていなかったようだ)
綺麗に大切に撮影された写真だ。
私はそれを公開せずに、乳房があった最後の時間として「記念」にした。

では、切除された傷痕とこの文章は、誰のための何のためのものか。
乳房を喪うことを恐れる女性や、術後の体や人生のイメージがつかず逡巡する女性のために。
私と高橋さんは、日常の暗がりを撮影場所に求めた。
転院や乳房全切除のきっかけを作ってくれた、とも子さんのキッチンHの和室の暗がりを撮影場所にした。

表現することで、「女性性」に対するスティグマやステレオタイプを超える。これが私たちのチャレンジである。
(以下、切除後の写真を掲載します。きつい方はご覧になりませんよう)

新しい傷

和装下着を羽織る ©高橋保世

医師、医療従事者、ツレ以外に、初めて見せた術後痕。
最初はおそるおそる、和装下着の隙間から傷を覗かせた。

樹齢のような記憶の跡地

藍染ジャケットを羽織る ©高橋保世

暗がりで撮影していただくと、「樹齢のような記憶の跡地」に見えた。
私は、半世紀以上生きて働き、子どもを育てた樹だ。
子どもは青年になったから、母乳をつくる乳腺は役割を卒業した。
だから去っていった。
頭を支える筋ばった首には皺が刻まれている。
腹の皮膚には妊娠線が刻まれ、脂肪を覆っている。
右の乳房の切除後の跡地はまだ新しい。
私の体の皺として馴染むまでもう少し時間がかかるだろう。
私はまだおそるおそる、右半身を動かしている。
傷口のプリーツのようなひだのおかげで、つれることなく腕を伸ばすことができる。
この跡地のデザインは医師の意図的なものなのだろうか。
今度訊ねてみよう。

Big girl,do not cry.

新しい時間を生き始めた傷は、何かいとおしいものに思えた。
傷も皺も、体はこれまで生きてきた歴史。

Big girl,do not cry. ©高橋保世

高橋さんは、相手を無防備にしてしまう。
それは、彼女の目に値踏みや偏見がなく、侵害された気持ちや侮辱された気持ちにならないからだ。
撮影中、おしゃべりをし、笑っているうちに、私は上半身を晒してしまった。

Everything’s Gonna Be Alright.
No women no cry.
ボブ・マーリーの歌詞が、私の心を満たしていた。
私は何か晴れやかな気分になった。

鯛のお頭でお祝い

終了後、撮影場所にさせていただいたキッチンHで、上関の鯛のお頭定食をいただいた。
傷が創として離陸した。
出立のお祝い、はなむけだった。

写真家の高橋保世さん 撮影は著者

実は撮影前、乳がんサバイバーのとも子さんと、お互いの記憶の跡地を見せ合った。とも子さんには両乳房がなかった。

「きれい」
私は思わず口にした。
きれいな跡地は最初からそのようだったような顔をして、とも子さんの体に馴染み、あたらしいキャンバスのようだ。
ここに絵が描けそうだ。

私の「樹齢のような記憶の跡地」は、未来の記憶もはらんでいる。
私は、医師が施してくれた乳がんの手術によって、新しい創(kizu)と、更新された未来の時間をいただいた。
どのようにデザインするかは、私次第だった。

サムネイル写真 ©高橋保世



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