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「魔女になる日 さよならおっぱい」6000ビューの御礼と新年の挨拶

2025年1月8日

今年もよろしくお願いします。
私乳癌小説、もしくはオンタイム・ノンフィクションへの試みとして入院中から綴り始めたnote連載が2か月で6000ビューを超えました。
私は、もともと出版編集者や本書きであるがために、長いテキストを書きがちです。
それにも関わらず、多くの読者が長い文章を読んでくださった「ニーズ」について、深く考えていきたいと思います。

この連載のテーマは、乳癌情報の実用ではなく(これは専門医にお任せする分野)、乳癌をきっかけに私の中で起きていること、女性の体で生きてきたこと、女性性について思いめぐらすこと、乳房を喪って生きていくこと、などを、まずはオンタイムで綴っていくことを目的としています。

私自身を客観視するため、時に冷静で冷徹な観察者として、時にユーモラスな喜劇として、そしてこれまで生き抜いてきて、これからも生きていくだろう私自身への深い疲労への労いとして。

サバイバーズ・ギルト

10月末に切除した右乳房の跡地の傷は、2か月後には創(kizu)として離陸し始めたのですが、私は一度も悲しむことも泣くこともできていません。

乳癌は確かに、外側から見れば目に見える「痛み」です。
しかし今回は、私自身の人生においては、容易な「痛み」でした。
その背景には、乳癌発見の「縁」、乳癌の性質の「運」、何より、よき医師、医療従事者、病院に出会えたことが大きいです。

叔母は私と同年齢で子どもを2人残して、20年前に乳癌で亡くなりました。
叔母はシングルマザーで、ほかの入院患者のところに夫が見舞いに来ることを辛く思っていました。病院や治療にも納得していなかったかもしれません。
専業主婦だったのに、離婚をしてから子どもを養うために働き続けた人でした。欲しいものを聞けば、本当にささやかなものを伝えてくれるような、欲のない人でした。

昨年、同年代の友人が、癌で亡くなりました。
30年前には、大学時代の親友がバイクで滑落死しました。
とても厳しい疾患を抱えてしまった若い人たちもいます。

戦争が終わりません。
世界には治せない傷が多すぎて、心がふさがれることがあります。
沖縄で凌辱される女性たちの歴史、現在が、私の胸に錘を載せます。
性売買で使い棄てにされた女たちの記憶を、なかったことにできません。
ヘイトスピーチやマイクロアグレッションに、心を閉ざしていく友、そして私がいます。
それらをみえない尊厳で押し返す。
それが、私にとっての書くこと、本を作ることです。

おそらく私の中に在るのは、サバイバーズ・ギルト(生き残った人が持つ罪悪感)です。
この感情は、厳しい状態、環境、経験を経ても、佳き人、信頼できる方、優秀で適切な方とのご縁と思いやりを得て、自分自身をつかみなおし、生き延びることを繰り返してきた私が、ずっと感じてきた罪悪感です。

だから、サバイバーズ・ギルトなどというキーワードではなく、しっかり自分の言葉で書かねばなりません。

恢復への試み

文章、文学、詩が、人を救うことなどありません。
医師、医療従事者、政治、ひとつのリンゴ、一枚の毛布が人を救うことはあるかもしれません。
ひとつだけいえることは、深い人間性、思いやりに基づいて、更新しつづける専門性が、人を支え得るかもしれないということです。

それでもなぜ書くのか。
なぜ人の話を聴くのか。
そのことについて、普段も学生たちと考えているのですが(私は縁あって教員をしています)、ずっと旅の途中です。
たどり着くことより、旅することの方が生きることに近いのかもしれません。

今年は、鹿児島にある、精神疾患の恢復者の方たちの就労支援事業所の出版社に、学生たちと旅します。
書くこと、編集することで、恢復を試みる方たちと、その方たちと共に生きる医師、精神保健福祉士の方がいらっしゃる。
私たちの旅の問いは、こうして出会いを紡いでいきます。

今年は、乳癌や子宮癌など、女性性に関わる病を経験された方のお話をうかがいたいと思います。

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