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壊れたメガネと、私を救うあいまいな境界線

ある日、私のメガネが壊れた。
ポキリと、あっけなく。
涙の跡を拭こうとして、ただ雑にクロスを滑らせたその瞬間だった。
涙のマダラ模様が残るレンズに、何かを見ようとしていたのかもしれない。けれど、壊れたのはレンズ越しに見える世界じゃなくて、私自身だった気がする。

壊れたメガネを手にしたとき、思ったよりも心は静かだった。
泣き疲れて感情が枯れてしまったのか、それとも現実感が追いつかなかったのか。

悲しいよりも、虚無。

その割には、壊れたフレームをじっと見つめていた。
長い間、私と共にいたものが突然いなくなる。
それだけのはずなのに、世界が少し揺らいで見えた。

スペアは無かった。
「コンタクトがあるから、どうにかなる」と自分に言い聞かせながらも、平日月曜日というタイミングはあまりに悪かった。

仕事の隙間時間にメガネ屋に駆け込むこともできない。
ワンデーのコンタクトを使いながら日中をやり過ごし、家では裸眼で過ごす日々。

けれど、裸眼の世界は予想以上に不便で、そして…不思議な発見に満ちていた。

たとえば、床に落ちたボタンが虫に見えたとき。
驚いて転んだ拍子に物を散らかしてしまった私を、家の壁が冷たく見守っていた。
側から見れば滑稽な光景だっただろうけど、当人にとっては真剣だ。
笑う余裕なんて、最初は少しも無かった。

それでも、不思議と気持ちが軽くなっていった。
よく見えない世界は、どこか優しかったのだ。
モネの絵画のように輪郭がぼやけて、曖昧になった景色。

光はぼんやりと揺れ、細部はどうでもよくなった。目を凝らしても正体がわからないけれど、ぼんやりとした光の粒がやけに綺麗で、私はその美しさに少しずつ気づいていった。

メガネが無くても、光は私を見失わなかった。
眩しくて、頼りなくて、それでも心の奥にほんのり温かい明かりを灯してくれる。それはきっと、泣き疲れて荒んだ私に必要だった何かだったのだろう。

結局、新しいメガネが手元に届くまで2週間。
長いようで短い、特別な時間だった。
その間に、たくさん転んで、見えないものを怖がり、何度も笑った。そして、少しだけ自分自身を見つめ直した気がする。

「ありがとう、古いメガネ。そして、よろしく、新しいメガネ。」
メガネが壊れたとき、私の中で壊れたものと、新しく生まれたものがある。そのすべてに、今は感謝したいと思う。

見えないものが教えてくれる世界の輪郭は、いつも意外と美しいのかもしれない。
ぼんやりとした世界の中で感じた光の粒たちは、今も心の中に残っている。

絶対、ICLをやって、メガネとコンタクトレンズから離れる生活にすると決めているが、それでもあの時のキラキラした世界を手放すのは惜しいなと思う時がある。

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飛鳥井はる
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