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スペースワールドの思い出
ラッキーラビット、この指止まれ。こんな終わり方ってあるんだろうかと閉園のお知らせが出た時は思ったけど、それから一度も遊びに行くことはなかった。そりゃ、魚を氷漬けにしてスケートリンクに埋めようなんて案が出た時点でクレイジーだから、誰か止めようよと思うけど。だから生き物を大切にしてないとか極端な話になるのは違うよね、我々も命を食べているのだからとか、それはまた別の話で。あの時から寂しいって気持ちは変わらないんだ。
初めて行ったのは家族で、5歳の時。ジェットコースターなんてよくわかってないから、保育園の友達に聞いた『「タイタン」に乗る!』って、行く前からしつこく家族に話していて、いざ当日。「タイタン」ってあんなに高いの、怖そう、やめるね。何言ってるのあすちゃん、せっかくここまで来たんだから乗って帰ろうよ、身長制限も大丈夫みたいだしさあさあ。実は、タイタンに乗ったのはこの一度きりだけど、あの時の風景と発車ベル音は、無駄に記憶力のいいわたしの頭の中に、まだ記録されているんだなあ。
小学校1年生の社会見学は雨だった。前回の「タイタン」でずいぶん懲りたわたしは、子供向けジェットコースターに友達が誘ってくれるのを、お断りし、足が速いけど超ビビりな将太くんと「トロッコじいさん」を観に行った。椅子が動くけど、将太くんも大丈夫だったみたい。ちょっと泣いてたけど。あと、かずこちゃんとたまたま同じハローキティのレジャーシートで、同じ箇所に親が名前が書いてて「すごい~」って嬉しくなったな。書きながら思い出したけどあの時わたしのお弁当、お箸が入ってなくて随分大変だったぞ、お母さん。そういうのも非日常体験ってやつで済ませられたけどね。
それから、小学校の社会見学、子供会の遠足、家族、幾度となく足を運んだ。アトラクションに並ぶ時間は年々短くなっていた。昔、この場所に何かあったような気がするけど、ここにあるのは立派な花壇だ。あの場所も同じ。スケートリンクも、プールもできたようだけど、行ったことはなかったな。それでも、いつか子供ができたら連れて行くんだろうなと考えたこともちょっとだけあったんだけど。
中学生3年生の遠足で行ったときは、ストレートな表現をするとガラガラだった。平日は空いているのが当たり前だったけど、貸し切りなことも珍しい。それでも定番のアトラクションなどうろうろして、学校の友達と来るのって楽しいんだなと思った。観覧車の前で、理科の先生2人に会った。1人はおじさん先生、1人はお兄さん先生だった。無邪気に「先生、観覧車乗ろうよ」と誘うと、2人とも快諾してくれた。もちろん観覧車にはほかに誰も乗っていなかった。「先生は子供のころ、観覧車に乗るといつも、頂上で止まらないかな、と思っていたよ。」「頂上じゃなくても止まると怖いですね!」なんて話しながら、先生2人とわたしと友達2人でゴンドラに乗り込んだ。ゴンドラからの風景は、なんだかんだ覚えていない。無駄に記憶力がいいのに、どうしたことか。でも、先生と友達と観覧車に乗るなんて、そんな非日常、嬉しいに決まっている。楽しかった。すっごく。そして、頂上に差し掛かるとき、上のスピーカーからベルが鳴った。「点検のため、一時停止します!」係員のお兄さんの声がした。私は嬉しくてたまらなくなった!「先生~!すごいです!点検なんて絶対にウソ!だってここ、頂上だもん!」この時の風景も覚えていないけど、おじさん先生の優しい顔は忘れようにも特別な思い出だ。
それからは、塾の高校合格祝い遠足があったけど、思いのほか人が集まらず、高校3年生のお兄さんお姉さんも一緒に行ったりとか。予備校仲間と大学合格祝い遠足に行ってプリクラを撮ったけど、あんなに1年間励まし合い一緒に頑張ってきたのに、会うのはそれきりになってしまったりとか。その日どう過ごしたかは、ほとんど覚えてないくらい、それは日常だった。閉園して、駅こそ名残はあるものの、もうかつて北九州市民が慣れ親しんだ思い出の地はそこにはない。スペースシャトルもなくなった。あの観覧車もザターンもヴィーナスもなくなった。官営八幡製鉄所がかつて栄え、この街を豊かに強くしてくれたように、スペースワールドも子供たちを育み、大切な人との思い出を創り出してくれた。寂しいな。あと10年、20年経てば、子供に「昔はそういうのがあったんだよ」と話すんだろうか。30年、40年経つ未来は。ただ、100年後、誰も知らななくても「北九州市の歴史」に惜しまれながら閉園したことが記録されているといいなぁ。とはいえ、わたしは50年後も、昔の北九州はよかった、だってここにはスペースワールドがあったんだからとか言い続けて立派な老害になるのは容易に想像がつくけど、気分最高~。オーー