挑戦記:じぶんのあじつけ
サボっていました。
この3日。
仕事の終わりを決められずに、寝落ちる夜を3日過ごし、
やっと人の助けを借りることで、少し落ち着いた気持ちになり、
手放せた今日、
書いて、このまま寝ます。
今日の私の学びは、
「いかに私が見ようとしている世界は偏っているか」
です。
私の思い違いだったこと、
勝手に想像していたことが多すぎて、
今日はちょっとしょげたを通り越して、
びっくりしました。
今は、
「え、こんな小野寺、これからどう物事をしつつ、
人と関わっていったら良いんだ?」
という感じ。
今日あった私の余計な解釈集をここに。
例1) フィールドワークのプログラム調整にて
フィールドワークの依頼をしてくださった団体からの「現場の提供のみ」でよいという文面を、「ホームステイだけでよく、ハイキング等のプログラムは必要ない」と勝手に思っていた、私。
誰もそんなこと言ってなかったのに。
そして、ニクソンさんとの間で混乱を生み出していた、という。
さらに、「大変にはなりすぎない感じで」という言葉も、
「これしっかりニクソンさんに伝えなければ!」と思い、
頑張って伝えて、伝わってないかも…とか思っていたら、
実際はニクソンさんの方がやり方も、振る舞い・程度もわかっていた
という。気づいてなかった。
冷静に考えたら、ニクソンさんの方が経験があって、確実にいろいろ知っているはずなのに、なんでわかってないかもとか思ったんだか。
これも私の勝手な味付け。
そして、そして、「何のためにIGC(ネパールでお世話になっている会社)が動くの?(byニクソンさん)」に対して、「何のために分からずやるのは嫌だし、わからないまま動きたくない」と言っていると思っていたことも、私の味付けでした。
実際は、どんなスタンスで関わったらいいのか、これからその相手とどんな関係を気づいていったらいいのか、を気にしていただけだった。
そして、この一連の流れの前に、
ニクソンさんやIGCが築いてきたものがしっかりあり、
それに大変お世話になって、居させてもらっていることにも、
気づけておらず。
なんか勝手に自分ができるというか、
日本側のことは大抵いい感じに聞いてくれるとしか思っていなかった自分を
発見し、愕然としたのでした。
なんて、舐め腐っていた小野寺。
そして、そんな拙い私をちゃんとぺーぺーだと理解して、
怒るでもなく、諭し、要求をはっきりと伝えてくれる姿勢。
尊敬と共に、
自分が悲しくなりました。
こんなにできないのに、できる人でいたかった自分が。
みじめだな。滑稽さの凄さ。
そして、これをまだまだ人生の中で繰り返すということに、
果てしなさを感じたり。
ただ、自分がこうやって生きて行きていて、
それでも友達がいて、関わってくれる人がいて、
面白いねって関わってくれた人々がいて、
「目の輝きがいいよ」って応援してくれた人がいて。
自分のことはいつか誰もみなくなるくらいの気持ちで居たけれど、
なんて失礼で、自分のことしか考えてなかったんだろう、と。
そして、これからもそんな自分に沢山出会うのだろうな、とも。
ああ、私はどうしたら、いいように 関わられるのだろうか。
リスペクトを持って、行動できるのだろうか。
今の処の答えは、
とりあえずやってみること。やり続けること。
興味を持つように自分で仕向けて、
どんなことにも、自分から楽しんで関われるように、
知識を沢山得ながら、人に沢山聞いていくこと。
その中で、
どんだけ「自分で味付けしているか」、
どんだけ「自分ができる人でありたいのか」、
どんだけ「自分が恥かくのが嫌なのか」
を観察しつつ。
ゆるしつつ、受け止めつつ。
そんなおバカで愚かな自分のことに毎回ショックを受けつつ、
いくな。と。
ちなみに、例はもう一つあって、
例2) SNSでの返信
現地の人と話したほうがいいだろうと思っているプログラム参加者がいて、
「もし話したいことがあれば、現地の人々と繋げたい」と自分が思っていると思っていました。
しかし、「話したいこと、相談したいことありますか?」と聞いた返事に、「〜〜という現地の人の肌感がわからない部分があります」という文章を見つけたけれど、これは「日本のあの人に聞いたら良いじゃん〜」
と、私は思ったのでした。
つまり、私は「つなげる気もなかった」のだと、
小野寺の会話の切り取り方が語っています。
なんてこった。
私は、そんなに自分が仕事できるとか、傷つかないとか、
が、大事なんかい!
そんなに、人と関わるの面倒なんかい!
しょっくだ。
人に気に入られたくて、私は今までこんなにいろんな振る舞いをしてきたのか。
ピアノを弾くのも、人にすごいって顔されたいから。
子供たちの気を弾くため。
ギターもちょっと似ている。コミュニケーションのきっかけのため。
よく笑うのも、人に嫌われたくないから。
あーーー、そうね。
これが全て悪いとは思わないけれど、自分を守るためにやっていることは事実で。
だから、人と繋がった感じしなかったんだな〜とか、
もっとそのツールで仲良くなって、一緒になにかできるひとが 羨ましかったんだなあって。
私は、魅せることばっかり考えてきたから、今自分の持っているもので、
人と楽しめている感じがしないって思ってきた。
なんか、申し訳ないなって。
もっと、自分の持っているものに、目を向けよう。
そんで、怖がるんだけれど、怖がらずになんでもやってみよう。
そんで、落ち込みながら、人と楽しいことできる人の部分も育てていこう。
おやすみなさい。
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