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隕石が落ちてきたのに変わらない僕

「隕石でも落ちてこねぇかなぁ」

 つい最近まで毎日考えていたことである。

 もちろん、実際に隕石なんか落ちてきたらえらいことになるだろうから、これはあくまでたとえ話の一種である。

 その心は「会社に行きたくない」だとか「劇的に日常が変わる何か」に期待した、精神的逃げなのだ。

 しかし、奇しくもそんな僕の願いが叶うような出来事が起こった。


 そう、コロナウィルスの流行だ。


 今年の三月頃から僕らの生活は一変した。

 突然の在宅勤務。マスク必須の外出。手洗いの徹底。

 政府は様々な自粛を要請し、人が集まるイベントは次々と中止を余儀なくされた。


 まさに新たな生活様式が始まったのだ。


 そして、かつて「隕石でも落ちてこねぇかなぁ」と言っていた男はどうなったかというと、



 何も変わらなかったのである。



 日常に刺激を求め、そして望み通り劇的な変化が訪れたにも関わらず、

 何も変わらなかったのである。

 

 それまでと同じように仕事をし、酒を飲み、休みの日には早めに起きているにも関わらずだらだらとスマホを眺め、「あぁ、小説書きてえなぁ」と呟きながら昼寝をする。

 あぁ。書いているだけで我ながら情けなくなってくる。

 つまり、いくら変化が欲しいと望んでいても、結局は自分で動こうと思わない限りは隕石が落ちてこようが新型の感染症が流行しようが人はまったく変わらないのだ。

 先の記事(親友の死が与えてくれたもの。)でちょっとばかし感動的なことを書いていたにも関わらずだ。

 

 この記事を読んでいる皆さんにも、思い当たるふしはないだろうか。

 あるよね? 絶対あるよね? 情けないでしょ? 不甲斐ないでしょ? ね? ね?

 でも、情けないと思えているうちが花だとは思う。

 これが情けないと思えなくなってきたらいよいよ終わり(ジ・エンド・オブ・ギャラクシー)だね。


 で、結論。

 人間って、そんなものだよね。

 そういう気持ちも大事なんだと思う。

 SNSを見てるとさ、頑張っている人とかキラキラ輝いてる人がいっぱい目について「あぁ、自分なんも頑張ってないなぁ」なんて思っちゃって、どんどんどんどん気持ちが落ち込んでくることもあるけど、それぞれのペースでやればいいんだと思うよ。

 もちろん、怠けっぱなしもダメだとは思うけどね。

 隕石が落ちてこようと、感染症が流行しようと、動くのはいつも自分自身だからね。

 自分を嫌いにならない程度に、頑張っていきまっしょい。


 それでは、みなさんご唱和下さい。






 宝くじはよ当たれやーーーーーー!!

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