見出し画像

playground

今年の1月に友人が開催してくれたあるホームパーティーを振り返る。

「DJしたい」と言い始めたのは去年の夏で、それから就活やら卒論やらで2018年は終わった。1月にDJをやってみた。

と言っても、使ったものはDJのアプリで大したことはしていない。実際の機材でやることをほとんど勝手にやってくれるアプリ。

曲を選んで流すだけでもDJだという人もいるし、そんなアプリなんてDJなんかじゃないと言う人もいる。いろんな流派があるが、わたしはDJという体験をすることができたと思っている。

曲を選び、曲を3つの段階ごとに分け、いつ次の曲に変えるかをひたすら考えていた。3つの段階のイメージを書いたのが今回のnoteの見出し?写真。知らない間に体が浮いちゃう様子を書いた(はず)。聴く人がこんな風に感じ取ってくれたらいいなと思いながら大好きなペンと色鉛筆で想像を膨らませた。

パーティー当日は卒論発表と重なり朝から緊張だらけだった。お昼ご飯が喉を通らなくて、今すぐこの爆発しそうな気持ちを話したくて、友達の家に駆け込んだ。
反応がこわくてたまらなかったけど実際流してみると、予想以上に反応が良かった。洋楽をあまり聴かない層だと思っていたので空気みたいな存在になるかなと予想していた。楽しんでくれる人が近くにいてわたしも素直に楽しめた。今でもそのときの曲を聴くと緊張が蘇って心がズキズキする。当日流していた時間はちゃんと書き留めておいた。

大学4年の1年間、他大学のゼミに通っていた。制作を年に何回かして発表をする。このパーティーの主催も遊びに来る人もそのゼミのメンバーだった。アットホームでコージーなホームパーティー。他にもいろんなコンテンツがあり、わたしはそのプログラムの一部として出た。

ゼミに参加していなかったらDJすることはなかったかもしれない。参加のきっかけはTwitterでたまたま流れてきた展示会のトークイベント。これは去年の2月くらい。気付けばpeatixでチケットを買って会場にいた。トークを聴いているときの体の内側が燃え出すような感覚は忘れられないくらい覚えている。ここだ!って悲鳴をあげてるみたいだった。

自分の好きを追求していて、つくりたい気持ちに溢れていた人ばかりで今でもわたしのモチベーションになっている。
誰にもつくることは制限されていないはずなのに身近な人が何かをつくると、
あ、つくっていいんだ
と可能性の広さを思い出させてくれる。
わたしはそういう環境にいるほうがしっくり来る。

正直ゼミでの制作は思うようにつくれなかった。消化不良。美術館にさえ行ったことがなかったから、作品の型を知ることから始まった。当時は何かモノをつくろうとしていたが、今だったらやっぱり音関係で何かつくりたいと思う。

最近仕事をしていて、またあのときにつくりたかったものをつくろうとしている気がしている。結局あのときに伝えたかったことと同じことをまたやろうとしているのかな?と思う瞬間が出てきて、やりたいことの軸は変わらないんだなと思った。