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0→1と1→2の違い/経験してないことへの対応


先日、母にいくら私が辛くたって仲の良い友達にはLINEとかお祝いを送るべきと言われた時に「あー、母には私の辛さなんて分からないんだな」とぼんやり思った。

前にも書いたが、母は2人目不妊には1年ほど悩んでいたようだ。
と言ってももう20年以上前の話なのでAIHやIVF経験者ではない。

2人目不妊ももちろん、私には分からない辛さはあるだろう。当日1.2歳の落ち着きのない私を連れて、病院に行くのだってきっと楽ではなかったと思う。


でも、個人的に1→2と0→1の差ってかなりあると思う。

母がどこまで検査をしたのか分からないが、卵管造影で痛みに苦しみながらもこれでやっとGD期を手に入れたという達成感からのちっとも掠らなかった6ヶ月や、精子も調整しこれならどうだという希望からの結局何もなかったAIH、IVFはどこまで経験するか分からないもののとりあえず、自己注射の恐怖や何度もシフトの再調整をお願いし上司に頭を下げたこと、採卵が近付くにつれてどんどんお腹が張ってきて採卵日や翌日のお腹の痛さなどを母は経験していない。
別に私がいるから2人目はいいやと諦めた頃に2人目が出来たそうなので、よりいっそう「0→1ではなく1→2」だよなぁと思った。

最近は色々なものが発達しているので不妊治療者の経験談は探せば沢山出てくると思う。けれども、こればかりは実際に体験しないと本当に分からない世界だなと思う今日この頃。親だから分かってくれるだろうみたいなものはどこかであったのかもしれないが、結局は経験者でない人に自分の辛さを分かってもらうというのはやはり厳しいのかもしれない。(親に限らず友達とかも含めて)


この前観てきた映画ファーストキスで、「相談した時に欲しいのは𓏸𓏸するべきと言う解決策ではなく、分かる分かると共感してくれること」と言うセリフがあったが、これから先自分が体験していないことに関して相談される機会だって多分あるはずだ。

この1年半ちょっと不妊に悩み、経験してもないのに分かりきったように話されるのも多分私はちょっと思うところがありそうだなとも思ったのでなるべく相談者に寄り添いつつも、込み入ったアドバイスなどはせずに相談者へ共感することが何より大事なのかなと思ったり。

まあでもやっぱり親なら正論でなく寄り添って欲しかったな〜という愚痴。笑

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