「常識ってなに?」の話。

「おれさ、分数の割り算がまじで意味わかんない。習う意味もわかんない」


いつかの長男との会話。

うんうん。

分けたものを更に割るとかほんと意味わからないよね。


「ママもこの勉強したけど、人生で一度も使ってないと言っても過言ではないな」





じゃあなんでこれ教わったんだろう?


「それは国が決めたことだから」

「常識だから」

ってな言葉ではまるで納得出来ない性分なので

グルグル考えていた。



「あ、そうか。学校に行ったヒト達が作る世界に合わせて生きるから

登竜門として学校に行かないとならないのか。

だとしたら、学校に行かないヒトが作る世界があっての良いよね?

どうして生きる設定を最初から決められなきゃならんのだろう」


に、辿り着きスッキリしたけども納得は出来ない。




常識ってのは集合意識なんだろう。


ヒトが集まって司るヒトがいる、ってな

とある世界があって

その司る側にとって都合良く設定されてるモノ、だと思う。

個々が自由に生きると困るヒトがいるんだろうって。



先生の言うことを聞いて

宿題と言うノルマをこなして

集団生活に慣れて

会社勤めに備えて

すっかり「個」を忘れるようなシステムを過ごし

社会に出れば今度は急に

「あなたの個性はなんですか?」って言われても

全くトンチンカンだ。


幸い、我が家のこどもたち5人は

曲者揃いで、親としては多々大変ではあるが笑

同じだけ自慢だし

「このまま己を生きろよ」とも思う。

学校にいきたくない

と本気で言うならば行かないのも全然ウェルカム。



この世界は

「じぶん」と言うものを謳歌する

ゲームのようなもんだから

「じぶん」を見失ったら

ゲームをしてること自体さえ

見失ってしまう。


それじゃつまらない。

まぁ「つまらないゲーム」を設定して

この世界に来るヒトもいるだろうから

その辺はご自由にどうぞ、でもあるのだが

「ワタシってなんだっけ?」

「これってなんでやるんだっけ?」

「ワタシが心地よいのはどっち?」

を常に意識して「じぶん」を遊びたい。


秋の入り口はそんなことを考えている。
いや、秋の入り口以外も、常に、かな。



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