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地元の都市伝説を追う②の2 大山祇の系譜

 お元気ですか? 明日晴れです。

 今回は、前回の 神輿が流れ着いてできた神社 の続きです。

 鈴鹿明神社の境内には、入口の鳥居のすぐ側にかなり年期の入った道祖神如意輪観音などの石碑を見ることができ、同様の像が街のいたる所にも立っています。

左から、道祖神、判別不可、如意輪観音(雨(みず)の神格を持つ蛇神)、不詳の祠

地元の都市伝説を追う①で少し触れたピラミッド(?)のある谷戸山公園に設置された案内書によると、夫婦と見られるこのタイプの道祖神は「猿田彦命」と呼ばれているそうなので、やはりこの地域にはひっそりと受け継がれる古代出雲の信仰がありそう。(クナトの神と塞姫の可能性もありそう)
 神社の周辺では、この道祖神の他、地蔵菩薩、庚申塔と馬頭観音も祀られていることが多いです。

谷戸山公園の六地蔵
青面金剛と三猿の庚申塔
馬頭観音

 庚申塔には、青面金剛や三猿が彫られていることも多いですが、この庚申塔で気になるのが、この辺り一体の山岳信仰についてです。
 前出の旧陸軍士官学校の遥拝所があった「富士山公園」のペトログリフが彫られた遥拝石がある場所には、元々「浅間神社」が建っていて、地元民は「浅間様」と呼んでいました。浅間神社の総本社である富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)は富士山を御神体としていますので、この遥拝所は、旧陸軍が来る前から富士山を崇める場所だったのです。
 しかし、前述したように富士山はここから見えません。
 その代わりに「大山」の峰を一望できます。

これはピラミッドがある谷戸山公園からの景色ですが、富士山公園もこの近くにあります(^^

 この大山(別名: 雨降山〈あふりやま〉)山頂にある大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)は、本社に大山祇大神(オオヤマツミ)、摂社の奥社に大雷神(オオイカツチ)、前社にタカオカミ)を祀っています。
 3神とも雨(水)に関する龍蛇の神様です。この大山には、磐座があり縄文時代の祭祀土器も発掘されています。麓の地域には大山に湧く水を汲んで、自分の田んぼに撒くと雨に困らないという伝承も存在し、古来から雨乞いの信仰があります。

 さらに、富士山公園の麓には昔、日枝神社があり地元では「おさる様」と呼ばれていました。
 日枝神社の祭神は大山咋(オオヤマクイ)と言って、古事記では大山祇のひ孫とされていて、神大市比売の孫にあたります。現在は日枝大神と改称し、別の場所に移され、境内には
  天満宮(菅原道真)、稲荷社(倉稲魂神)、諏訪社(建御名方)、秋葉社(ヒノカグツチ)、三峰社(伊弉諾、伊奘冉)
を合祀しています。この天満宮は、元々「天神様」と呼ばれ、別の場所にあったとされていて、道真公は後付けで天神=雷神という神格が先にあったのではと推測でき、おそらく大山の大雷神ではと考えます。
 そして、日枝大神の境内にも古い庚申塔があり、大山咋=庚申(お猿)として習合したのではないかと思います。
 この浅間神社や日枝神社は昔、大坊と呼ばれる山伏の修験者が管理していたそうで、山伏といえば、天狗がイメージされます。
八大天狗の一人「白峰相模坊」は元々相模大山に住んでいて讃岐の白峯に移り住んだとされていて(相模坊の姿を描いたものに肌が青いものがあり、青面金剛との繋がりも今後調べてみたいところ)、そして、相模坊に代わり、鳥取県の伯耆大山(ほうきだいさん)に居た「大山伯耆坊」が相模の大山に移り住んだといわれています。
 鳥取県の大山といえば「出雲富士」として、厚く信仰される霊山で、もちろん山伏の修行場でした。この大山には大己貴命が鎮まるとされていましたが、後に地蔵菩薩と習合しています。そして、この大己貴命(別名:大国主)は、出雲大社の主祭神で、大山祇の子孫です。そして、大山阿夫利神社の奥宮には「大天狗」、前宮には「小天狗」がかつて祀られていたのです。
 修験道の祖とされる役小角は石鎚山法起坊(いしづきやまほうきぼう)という天狗の名前も持ちます。大山に住んでいた天狗と同じ「ほうき」坊です。この役小角は、富士山で修行したという伝説があり、この辺りもとても面白い繋がりだと思います。
 また、大山を有する相模国には「だいだらぼっち(でいだらぼっち)」と呼ばれる巨人の民間伝承があり

巨人が富士山を背負って運ぶ途中、大山に腰かけて一休みした。再度持ち上げようとしたが持ち上がらず、悔しがった挙句あきらめた。 

https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=ダイダラボッチ&oldid=100494965

と、富士山と大山を繋ぐ話が存在しますが、そのまま読むと大山の方が富士山より先にあったともとれます。このダイダラボッチ伝説は、日本各地にあり、名前は大太郎坊、大太法師とも表記され、大己貴命(大国主)が訛ったものとする説も存在します。
 各地にある浅間神社の祭神は、木花咲耶姫の他に、大山祇磐長姫であるとする寺社もあります。庚申信仰と富士山の関係はあまり指摘されていませんが、「富士山は庚申年に生まれた」とされており、縄文時代から富士山と大山、座間にかけて大山祇(山の神)の系譜=龍蛇神を信仰していたのは確実で、広大な富士王朝が実在したのではと思わせてくれます。
 富士山公園の遥拝石、鈴鹿大明神、地蔵菩薩、山伏、猿田彦、庚申塔が全て大山祇に繋がるということがわかったところで、次回は鈴鹿の「鹿」についてです。


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