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忘れないよ

中絶の表現があります。ご注意ください。


これを書くまで、1ヶ月以上もかかってしまった。心の整理がつけられなかった。いまも、まだ。

たくさんある時間でコウノドリを観ている。
出産は人の数だけストーリーがあって、決して幸せなものだけではないと理解している。つもりだ。


見ていて正直つらい。罪悪感もある。
幸せな出産も、幸せじゃない中絶も経験があるからぐちゃぐちゃな気持ちで見てしまう。

この人たちみたいに何事もなく安定期まで育てて産みたかった。幸せな家族になりたかった。
そんな気持ちと、みんなが幸せなお産だけならいいのに。そんな無謀な願いがこみ上げる。

中絶したからと言ってゼロクリアになんてなるわけない。
誰かにそう言って欲しかった。


妊娠して幸せだった。嬉しかった。わたしまた自分と好きな人の子どもを愛せるんだって、舞い上がった。そのためならきついつわりにも耐えたいって決意してた。これは本心だ。

中絶のあの日、2日前に駆け込みで予約をして、1日がかりです前日から夜まで絶食ですと言われて二つ返事で了承し、受診した。すでに妊娠11週だった。もう後がなかった。12週を越えてしまうと死産届と焼葬が必要になるのだ。そんなの辛いに決まってる。耐えられない。それこそわたしも一緒に死んでしまう。


9時半に受診し、つわりと、中絶を待つ悲しみと不安で泣きながら順番を待った。待つ途中でどうしてもやらねばならない仕事のオンライン会議もあって、病院の外に出て真夏の炎天下の中でファシリテーターをした。

2時間待ってお昼前に診察の順番が来た。
今でも鮮やかに浮き上がる記憶。

決してわたしを責めず事務的すぎず、理由も聞かず、ただ中絶を希望する意志の確認と注意事項を説明してくれた医師。中絶できるかどうか確認の診察。

カーテンのこちら側にモニターを入れてくれ、子宮の中の様子を見させてくれた。モニターは不要と断れなかった。見たら辛くなるってわかってたから、ほんとは見たくなかった。

赤ちゃんは元気に動いていた。
手足をたくさん動かして生きようとしていた。何も知らない赤ちゃん。胎児。こっちの世界に招き入れて幸せにしたかった。見たくなかった。つらかった。

泣きながらエコー写真を断った。じゃあまた午後2時に来てね、暑いけど絶飲食頑張ってねという言葉を貰って病院を出た。

一度帰宅し昼の時間をぼーっと過ごし、2時に受診した。すぐに呼ばれ、着替えてベッドに横になった。
点滴の針を刺され他の人達が次々と呼ばれていく中、一人泣きながらつわりに耐えながら呼ばれるのを待った。

4番目に呼ばれた。
内診台に座り簡単に説明を受け、麻酔始めますねと医師に言われた。はい、と言い終わってすぐに意識が途切れた。


次に目覚めた時は、医師の作業が終わって内診台を下ろすところだった。普通ならここで目覚めないらしいが、麻酔の効きにくいわたしは目が覚め、自分で歩けますと言ってベッドへ戻った。

麻酔が切れてきてお腹の痛みが激しく、出血もたくさん出ている感覚があった。痛みに唸っても良くならない。わかっていたけど痛くて痛くて死にたくなった。持っていたロキソニンを飲んだ。

妊婦では飲めないロキソニンを飲んだんだ。ああ、本当に赤ちゃんは居なくなってしまったんだな、そこで初めて実感した。ロキソニンが効くまで痛みに呻きながら、どうしようもなく涙を流した。


しばらくして中絶直後の診察に呼ばれた。きれいになってますね。そんなコメントと、子宮を収縮するための薬を貰い、よく頑張りましたね、の一言で涙が溢れた。

作業に慣れているはずの医師もこちらの顔を覗き込み、本当に頑張りましたね、ゆっくり休んでくださいね、と言葉を付け加えてくれた。ありがとうございました、そう声を振り絞ってまた泣いた。

病院を出た。早くもつわりが無くなって、絶飲食だったわたしは食事をした。もう午後4時半になっていた。 

そこからメンタルを大きく崩したのは別の話。

次の受診は1週間後検診。
初めましての女性医師だった。
眠れてますか?その一言で涙が決壊し、泣きながら眠れないんですと声をあげた。食べられないんです、どうしたらいいですか。

もうこの時期には、ご飯も食べられず夜も眠れなかった。精神が限界だった。

睡眠薬を出してくれ、1週間後の内診をし、子宮の中は問題ないですとコメントを貰った。

ずっと泣いていて、呼吸もできなくなって、医師にゆっくり呼吸しようか、と言われてもうまく出来なかった。落ち着いてきた頃にスマルナステーションを紹介してもらい、悩みがあればここを使ってみて、と優しい言葉をかけてもらった。

そしてその後すぐにスマルナステーションを使った。もう限界だった。死のうと思っていた。何にでも縋りたかった。

あれからスマルナステーションには何度かお世話になっている。孤独になったとき、死にたいとき。根本的な解決にはならなくても気持ちを吐き出させてもらっている。


精神科にも何度か受診をした。もともと2年前から通っているところだ。
睡眠薬も強くなり、薬も徐々に増えてきた。

事の顛末を全て話し、それは辛かったですね。人生何度でもやり直せると思います。早まらないでね。そう言ってくれた。
あの先生は信用ができる。不要な言葉もわたしを蔑ろにする言葉も言わない。他の人に人生何度でもやり直せると思う、なんて言われたら、他人だから無責任なことを言えるんだと思ってしまうが、この先生はそんなことがない。よくわたしを理解してくれていると思う。

正直、まだ向き合いきれていない。自分の辛かった記憶ばかりが鮮明で辛くて、ふと頭に浮かんできて。言い訳のような日記を書いて消化したかった。でもやっぱりうまくできない。
わたしが命を奪ってしまった赤ちゃんが、つわりの記憶が、エコー写真が、全てが鮮明すぎる。

忘れないよ。
死ぬまで覚えている。
わたしに幸せになる権利なんてないのだろうけれど、わたしが死ぬその時まで、向き合い続けるよ。

産まなくてよかったと思う。あのときの決断は間違っていなかった。幸せにさせてあげることはできなかったかもしれない。決断は正しかったんだ。

それでも書くのが本当につらい。
思い出すと涙が止まらない。
忘れないために。
命を失ったあの子のために。
自分の戒めのために。



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