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介護のプロってなにか考えてみる

私はずっと何かしらの形で介護業界にかかわり続けているのだけれど、最初の方と今とでは考え方が変わっている。

角が取れたというか、柔軟になったというか。

そこで介護のプロって何だろう?を言語化してみたくなり、このnoteを書いてみることにした。

介護のプロ

今の私が考える「介護のプロ」とは、さまざまな可能性や選択肢を提供できる人、だ。

介護はご本人の状態や家族構成、考え方、環境などによってベストが変わる。そのベストも時期によって変化していく。

画一的なこたえがない。
その時のベストを探すため、ご本人や家族の「今」の意見を述べるきっかけ作りや、代弁することもある。

人によっては介護職とは、確実なベストを教えてくれる人、と期待しているかもしれない。
けれど私は、預言者でもなければ超能力を使えるわけでもない。

いろんな視点を持って「こっちかな?いいや、この可能性もあるかもしれない」という可能性を持ち、それを伝えられる人がプロなのではないだろうか。

たったひとつの答えを求めていた

偉そうに言い切ったが、以前の私は「この場合、こうでしょう!」と言えるものが介護のプロだと思っていた。
常に答えを導くために、知識が必要だと信じて疑わなかった。



ある日、さまざまなお宅を伺って同じ状況でも家庭やタイミングによって違う選択をすることに気づく。

そもそも答えって何だ?
私が求めていた回答って誰のため?

自信がない自分を奮い立たせたくて、確信的なものがほしかった。
今思い返して、言語化するとそんな気持ちからだったような気がしている。


「自立とは、依存先を増やすこと」

熊谷晋一郎医師の言葉に触れたとき、衝撃だった。
依存先を増やす…?自立なのに?

熊谷医師は障がい者の自立についてこのように話したのだが、考えてみると障がいの有無や年齢に関係なくあてはまると思う。

こどもは生まれたときに養育者(大半は父母)の下で育っていく。
親はいつまでもこどもの近くにいるわけでもないし、成長に伴って子は少しずつ社会に出ていく。
友人や恋人、クラスメート、先生などとかかわる中で生きる術を身に付けながら。

失敗を繰り返しながら、親以外の依存先を見つけて自分なりの生き方を模索する。

介護される側がこどもでも大人でも考え方は同じ。
ただ支援が必要であるから、介護職側がそれを理解する必要はある。


「本当は先回りしないでほしいんだよね…」と私にぼやいた利用者さんがいた。

今のところ、その人に介護職が24時間側にいるわけではない。
親はそばにいるがいつまでもいるわけでない。
親だけに頼るわけにはいかない、とも話していた。

先回りしていたら、いない時どうするの?

その人の将来をイメージしたときに、この芽を摘む行為だけは避けたい。
失敗しても良い。そのときは全力でサポートする。
先回りは全てを奪ってしまう。

1人の介護者が、常に助けられるわけじゃない。そのことをプロは意識しておく。

じゃあどうするか?

今の状況がすべてだと思わない

この環境がいつまでもあるわけではない。
あのシチュエーションもあるかも、こういう場面も可能性があるかも?

そんな問いかけを重ねながら、私は今日も介護をする。相手の未来を想像して。

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