見出し画像

過ぎゆく日々

 2021年、あるいは下二桁分の歳を抱いて暮らしたわたしの一年。その総括。
 そろそろ、来年のことを言っても鬼は笑わない頃合いになっただろうか。今日は「良いお年を」初めをした。

1月。
 友人宅でいただいたお正月もほどほどに、夜行バスに乗り込む。向かう先は前年から引きずっていた執着。その当時は、「愛」と名付けていたっけ。その日のうちにまた夜行バスに乗り込んで、京都へ戻る。
 三が日もすぎないうちに、仕事初め、何をしたかはあまり覚えていない。春のイベントに向けて歩き出す。心の一部を確実に占めていた対象への思いが、滲み出る。
 授業に行けなかったり、バイトを飛ばしたり、気がついたら課題を落としていたり、あまり調子が良くない。そんな中でもギアをあげる日常。340日前の日々と今の違いってなんだろう。自分を染める感情の色かもしれない。寒さに逃げたくなることは、この冬も変わっていなさそうだった。

2月。
 早々から死生観について考えたらしい。内容は覚えていません。どうせなら内容を書いておいてほしかった。どうやら、台所に立つ習慣はありそうだった。信仰対象を追って、東へ、さらに東へ。盲目なのは恋と同じなのかもしれない。それは、確かに幸せだった。
 仲良くなり始めた人たちと西へ。雪山に行ったら、隣の山に弟がいて嬉しかった。沢山沢山人に会えて幸せになる。人間が好きだから。

3月。
 ぼーっと過ぎていく。日々に追われ「覚えてない」の記述が目立つ。将来のことを考え始める。半分も終わっていない学生時代に頑張ったことを求められて。信仰対象が近づいて、心も踊って。その喜びもつかの間、儚くて、消えて。ひとつの呟き、ひとつのいいねに狂わされる。
 集団の中の「わたし」の立ち位置が固定化してくる。それは1年分の休眠を超えて、再び動き出した青い春。5ヶ月遅れの、おまつり。

4月。
 突然告げられた別れの場。ばっさり切りそろえられた真っ暗な髪が揺れて、痛いほどに最期を伝えてきた。淡い桃色のペンライトは涙に滲み、いきなり消えた信仰対象のかげを追い求める。
 それでも日常は進んでいく。将来のこと、自分の今までのこと。曖昧なかたまりが徐々に形をなしていく。
 一緒に歩いてこれなかった日々も長かったわたし「たち」が幕を下ろす。寂しさを隠すように、南へ。美味しいものは私に優しい。自分の思想とあるべき姿に悩んで、正解のない正義を探す。
 周囲に環境が変わる人が多くて、ぶつけられた感情の暴力性を持て余していた。それを「暴力」と呼ぶのはあまりにもエゴがすぎるけれど。話すことは救いだなと思う。

5月。
 王者を名乗る1週間、気持ちを擦り合わせながら過ごす。外界の話を沢山取り入れて、焦りのままに走った。私は、どこにいきたいと思っていたのだろう。
 このワンルームを出るであろう日々とその生活のこと、どうしても大切にしたいもの、大切にしなくてはいけないもののこと、なごり雪が宿る。愛とか恋とか信仰とかそういうすべてをぶつけることを許してくれていた対象に捧げる、結果としては最後の祈り。
 積み重なった「やりたいこと」は「やらなくてはいけないこと」になり、息がつまる。

6月。
 相棒となるクロスバイクを買う。全然好きじゃないはずの黄色。そういえば、最初に与えられた自転車もその色だった。足を得た楽しさで市内を府内を周る。
 固定化する対個人との人間関係に苦しむ。一人で生きられる人になりたい、一人で幸せにできる自分でありたい。感情を定義できずに浮かせる。今も、浮いている。
 悩みに悩んで、悩みすぎたので実家に帰ることにした。美味しいご飯を食べて、温かいお風呂に入って。
 そして、救いに出会う。自分が自分にかけた呪いを解く。それは皮肉にも、呪いをかけてから丁度1年で。無自覚に無邪気に「信仰」を傷つけて、その痛みで、また弱くある強さを知る。

7月。
 浮かせて踊らせた感情と、固まった関係との温度差を感じる。裏でひとり進めていた、これもある意味でおまつり。
 学期末、今まで溜めた課題とテスト対策を一つひとつ切っていく。切れなくて諦めるのもぽつり。サボって会いにいく顔のいい女と、猫耳。ショートパンツから伸びる脚と、手を上げた時に覗くお腹。えっちだ……。
 視界に入る「悪さ」、他者に押し付けた「悪さ」それら全部を隠して、揺れたり揺れなかったり。扇風機の音に夏を感じる。三文の徳、長続きはしないらしい。
 時間をすぐに知れるように、腕時計を買った。かわいい。欲しい物のためにする労働が一番楽しい。
 夏が来た。

8月。
 5Gに接続するとかいう、左腕が上がらなくなる。浮かせたままの「わからなさ」が相手の執着と絡んで、解ける。スマホの小さい画面で映画を見て、信仰心を失った私の感情の定義を探す。
 秋に向けて、本格的に走り始める。夢中になりすぎると、周りが見えないらしい。我儘に強欲に、それはあまりにも圧倒的な暴力だったと。
 一年ぶりに弟に会う。イケイケの大学生みたいな見た目になっていても、中身は私の弟なことにほっとする。
 人に会うことを救いとしてしまうことの善さは、今もわからない。夏最終日、山に登る。楽しかった。

9月。
 将来のことを考えて、明日のことに気がつけなくて。責任不在のまま目をつむっていたことが鮮やかに降りかかる。人間は自由に振る舞う。近づこうとして離したり、無邪気さに襲われたり。そのギャップに苦しんだ。私はどうすべきだったんだろう、と考えても考えても、タイムマシンなんて存在はしていてくれやしない。
 それでも案外、いや、予想通りに、私は単純で、その分だけ複雑だった。
 「好きな人」を祝いに東京へ向かう。こんなにも穏やかに祝える誕生日があるんだ……。他の子を見ても許されることに、本当に救いを感じる。

10月。
 東西と南北が交差する、冠なしの第二象限に降ってきた謎の勢力。彼らが提示する「お前ららしさ」に苛立ちを覚える。感情は消えやすいから、美味しいものを食べれば幸せになれるらしい。
 再び始まった授業を受けたり、受けられなくて凹んだり。日々の中で動くもの。近づけて嬉しいこと。こうでしかあれない、「私」でしかいれなかった自分自身に苦しんで、それを肯定できた、かもしれない。
 帰る場所だったはずの東京の町が、いつからかステージを見に行く場所になっていた。可愛い顔の女の子たちが、救いとしてそこにある。
 可愛い顔の女の子に近づきたくて、衣装を買って写真を撮った。イベントにかこつけて可愛くなれたかなぁ。沢山褒めてもらえて嬉しかった。

11月。
 可愛い女の子への執着から、可愛さと愛嬌を売る労働を始めようとする。結局それは、失敗または伝達ミスに終わるのだけれど。
 本当に自分を捧げた、捧げてしまった、捧げるべきではなかったかもしれないものへのカウントダウン。余韻が始まる。
 大阪に来た顔のいい女の子に会いに行く。「好きだ‼️」なんて書かれた浮かれたシャツを着て。その帰り、2年ぶりに京都に来た両親をもてなす。バイト先のご飯は美味しい。
 葉の色が変わることに繊細な友人がいる。ファインダー越しに覗くその世界は、思っていたよりも綺麗だった。
 カウントダウンはいずれゼロになる。届かなさと、それでも掴めたもの。
 好きな人間と歩きながら、幸せについて考えた。笑顔で生きたいね。可愛い女の子の格好をして、愛嬌を振りまいた。楽しかった。
 日々が愛しい。

12月。
 師匠も走るとはよく言ったもので。ようやく手に入れた日常と開放感、余韻に遊ばれる。日の短さすら、気がつけないほどに。鍋が美味しい季節になっていたようで。
 軽率に、1.5kで話す1分間が積み重なる。「来てくれてありがとう」営業文句にわかりやすく引っかかって、オタクとしての自分のチョロさに気づかされる。ルッキズムに染まっていることに嫌気がさす。
 冬の寒さにやられて、起きれなくて。感情がまたわからなくなって。1日ずつ残りページの少なくなる2021年に怯える。
 繰り返される別れ。「また明日」が「また来週」に、そしてきっと「また会いたいね」になって私達はそうやって大人になってしまうんだろうな。
 カレンダーよりも1週間早く、年をめくって。今年もよろしくね、と笑う。22年前のこの日は綺麗な満月だったと聞く。今日の月も綺麗でよかった。

 悩みぬいた日の分だけ、今年も優しくなれていたらいい。伝えられなかった思いの分だけ、強くなれているだろうか。

 また1日ずつ。

 





連想ゲームのネタにしますね。