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春霞のひまわり

春霞に煙る空を見上げるとき、わたしはきまって想う人がいる。
まるでわたしの中に、もとからそう組み込まれているように。

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彼女が突然この世を去ってから、10年ちかくになる。

早朝、わたしに「知らせ」があった。
気配を感じて振り返ったが、そこには誰もいなかった。

ただひとつ、電話機が突然、しずかに光った。
着信音は、ひと言も鳴らなかった。
わたしは凪の海に立ち尽くすみたいに、その場から動けなくなった。眼前にまばゆくひかる盤面をぼんやりと見つめながら、自分の心臓の音ばかりが大きく、ゆっくりとわたしの身体に響き渡っていたのを覚えている。
電話機はしばらく光り続けた後、しずかに消えた。

「知らせ」の数日後、ひまわりのような大輪の笑顔の似合う彼女は、大好きなひまわりの花に埋もれて、春霞に煙る空へと旅立っていった。


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 見えないことと存在しないことは、まったく違う。
 空が曇っていて、太陽がよく見えないからといって、ぼくらは、太陽が消えたとは言わない。よく見えないだけで、太陽は雲の向こうで、いつもと変わらず輝いている。
 死者も同じだ。ぼくらがその姿を見失うことがあっても、彼らは、ぼくらに向かって光を放ち続けている。

若松英輔『魂にふれる』

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 彼女とは、いわば戦友だった。幼少期に年単位の入院で日々の苦楽を共にした時期があった。
 あの頃、彼女がいつも隣にいることが当たり前だった。
 そんな経験を共有したこともあって、お互いに同じ職業―しかも看護師―になったときには、運命のいたずらを感じずにはいられなかった。
 会おうと思えばいつでも会えた。でも、会わない。
 わたしたちは日々、とても贅沢な選択をしているのだなと、今は思う。

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 悲しいと感じるそのとき、君は近くに、亡き愛する人を感じたことはないだろうか。
 ぼくらが悲しいのは、その人がいなくなったことよりも、むしろ、近くにいるからだ、そう思ったことはないだろうか。

若松英輔『魂にふれる』

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 晩年、病気の進行とともに体力を奪われていった彼女は、携帯電話を手にもって操作することも、軽いガラケーを開ける動作すら難しかったそうだ。
 「誰かに連絡する?」そう問われた彼女は、しずかに微笑みながら首を横に振ったそうだ。
 彼女の母親はこっそり、彼女が眠っている間にケータイを覗き見た。
 電話帳の登録は、ゼロ。
 彼女の手によって、すべて削除されていた。

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 君の心はきっと、寂しさと悲しみが違うことを知っている。
 寂しさは、失われた何かを取り戻そうとするときに湧き上がる。
 悲しみは、新しい何かを生み出そうとして、僕らの住む世界の彼方から訪れる。

若松英輔『魂にふれる』

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 彼女のことを想うとき、悲しみが波のように寄せては引いてを繰り返すが、不思議と寂しくは、ない。
 毎年、春霞に煙る空を見上げる度に、わたしは彼女の気配を感じることができるから、なのかもしれない。

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