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子どもに干渉すると自分も苦しくなる

息子が家にいる時は大体Switchでオンラインゲームをしているか、タブレットPCでゲームをしているか、YouTubeで動画を観ています。

宿題はたまにしかしませんし、提出は殆どしていません。

来月個人懇談があるので、先生に何て言おうかな…と考えると気持ちが少し重くなります。

でも無理矢理やらせるのも何か違うんだよな、と思っています。

つい最近「自立共育」子育て実践編という本を購入しました。どうやら順番としては「自立共育」を読んでからの実践編のようですが、同じ作者の「皇の時代」「自立共育」の読者の方が実際どの様な育児をしているのかを知ることができるため、先に買って良かったなと感じました。

今の子どもについて感じるのは、自分のことをわかっている、わかっているからやりたいことがはっきりしている、人と人との境目がぼんやりしているなということです。

息子は予定よりかなり早く生まれたためNICUに3ヶ月間入院していましたが、どうやったら看護師さんたちの注目を浴びるのかを最後2ヶ月でマスターしていた様に感じます。今もコミュニケーション能力が高く、どこに行ってもすぐに一緒に遊べる相手を見つけたり、大人には可愛がられています。

そんな息子が自分の意思で遊び、過去には学校に行かないと選択したのなら、もう自身の感覚で決めていることなんだろうと思います。

翻って自分はどうだろうかと考えた時に、「我慢して」「仕方なく」「これをしなければならない」との感覚が頭にあると、とにかく身体が動かないんです。考え方を変えて、リラックスした状態で流れに乗り、その場で自分の感覚のまま話し、動いた時はとにかく抵抗が少ないなと感じます。

私がそう感じるのなら、息子にとって「あーしろ」「こーしろ」は、とにかくうるさいんだろうなと想像できます。


人は生まれる前に今生でやろうとしていることを決めていると仮定すると、誰かから何かをいうのは、相手が決めてきたことを邪魔することになってしまいます。そう考えると、干渉する余地が無さ過ぎるなぁと思います。

息子のランドセルを見れば片付けなさいと言いたくなるし、物を出しっぱなしにしていればやっぱり片付けなさいと言いたくなる。時間を気にせずゲームをしていれば止めなさいと言いたくなる。

でも放っといてみています。

何が正しいかはわからないです。

本物のダメ人間になるかもしれない不安や恐怖もあります。


放っておいたら、私に反発しなくなりました。少し時間は遅くなっても時間を見て動いている。何より明るくなって、次から次へと話すようになりました。

親の思い通りに動いて、言うことを聞いて、学校の勉強ができたら安心はするかもしれませんが、それは息子であって息子ではない何かになってしまう。

私が自分の感覚に向き合わないで、何年も苦しんできたから、息子には自分の感覚で生きてもらいたいな、と思います(もっとしっかりしてー!との思いと行ったり来たりですが)。


この記事は数か月前に書いてから寝かせていたのですが、子どもへ干渉するのは、自分が不安定な時にやり場のない気持ちをぶつけている時だと感じます。

母親が楽に生きられれば、きっと子どもはもっと自由になるのでしょう。


私たちは辛いとか、苦しいとかを当たり前として生きてきましたが、そろそろそこから離れ、自分に素直になることが大切なのかもしれません。



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