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自分を語る前に。
ちょっと自分のことをこれからまとめて喋る予定があって、上手く整理したいんだけどまず思ってること上手く吐き出したくて、喋るときの5つの項目に分けてわーって書きたいと思う。
好きと直感を信じる
これは自分の信念みたいなこと。高校生のときまでとかは他人から見られる自分とかを意識しすぎて、自分ってなんなんだろうって思ってて、でも他人軸の自分が自分すぎてわからなかった。大学生になって意識したり、苦しいこと楽しいこと自分の心に向き合えるようになってこれだなって今はなってる。
たぶん無意識にみんなやってるのかもしれないし、私にはすごく熱中できることもないし好きなことは挙げられるけど本当に好きか自信はない。だけど、そのとき、なんかいいなって思ったこと、心が動いた方向に進んでいくことが私らしくいられるし、私らしいなって思った。というかそれも直感でそう思った。
お店でご飯を選ぶなんて小さいことも、将来が左右されるようなことも。
本当はもっと強い芯を持っていたいと思って苦しんでもがいた時期もあったけど、そのときどきで悩んで苦しみながら選んで止まって休んで逃げて向き合って歩んでいくのが私だと、思う。
受け身のとにかく全肯定
これは私が人と関わるときの向き合い方。家族とか本当に死ぬほど仲いい人とかだったら少し変わってくるかもだけど基本これ。やりたいって言われたことは応援するし休みたいって言われたらそれを受け入れる。自分が意味を見出せなくて苦しかった経験とか他の人でもただただしんどそうなのを近くで見ていたことがあって、そんなことにはなってほしくなくてどうしても引いてしまう。なにかを誘うにもお願いするにも、大変だったらやめてほしいんだけどって絶対に言う。でも本当はもっとちゃんとしゃべって引き出すとか関わりにいった方がその人のためになる。全肯定じゃなくてこれはやった方がいいと思うよとか、言わないことはないけどほぼ言ってこなかった。しんどい思いしてほしくないっていうのと、でもそれ以上にたぶん怖いのと自分が苦しくなっちゃうって思ってるから自己防衛だと思う。誰かの人生に関わっちゃったら自分の人生で精一杯なのに重さが増してしまう。だから自分から関わりにいくことはほぼなくて受け身。そして自分が変えてしまわないように否定しないで全肯定。
でももうこれが私の色でもある。他人じゃなくて自分を生きる。からこその向き合い方。いつか自分が傷ついてでも一緒に生きていきたいと思える人と出会いたい。
パンクしがちのゆっくり思考
これは私の苦手なこと。というかいわゆる短所といわれるもの。
いろんなことが浮かんできて浮かんでくるけど自分でも整理できずに頭がぐるぐるしてすぐ言葉にできなくて、話を振られても止まってしまうことなんて日常茶飯事。やらなきゃいけないこともたくさん浮かんでくるけど、たくさんあるどうしようってなって不安で埋め尽くされて手が動かなくなる。
それがこの何年間かでわかってきた。でもこれは私にとってマイナスじゃなくて。もっと上手く話せたらそつなくこなせるような人だったらとは思わなくないけど、私が私である所以みないな感じ。向き合えるようになってきた。
毎日大学に行ったらやることを書き出して、頭がぐるぐるしだしたらこうやって書きつけて、あとはいつも一緒にいる人は私がすぐ話すとか考えるのが苦手だってわかってくれてて話すの後回しにしてくれたり、すぐ話さなきゃいけない場面で困っちゃったらこうやって困ってるってしゃべっちゃうとか、少しずつこう動こうってできるようになってきた。
だから苦手で短所であるのはそうだけど、どちらかというと個性って感じ。
少し強くなったこと
大学生になって変わったこと。変わった、に対して端的に返すなら本当は、誰かじゃなく自分になったってこと。でも、それそのまま話すのはなんかそうなんだけどちがくて。少し強くなった、がピンとくる。
苦しいこと、楽しいこともあって、そんな中で自分の心と向き合う中で、自分の鎧は取れなかったけどその鎧の中身を知れた感じ。
こんなことが嫌って思ってこんなことが苦手でこれをするのがしんどくて、こういうことに心動いて好きって思ってとか、それを知れて向き合ってこれて、自分で生きれるようになってきた気がする。
全部ふわふわしてるし、信念が直感だし弱そうだけど、でも苦しんで悩んでるのも含めて自分として生きれるようになってきたのは強くなってきた感じがします。
言葉に想いを乗せること
得意なこととか強さって聞かれて、自分を知れて強くなったのはあるけどそうじゃなくて、強みってなんだろうって考えてて出てきたのはこれだった。
言葉に想いを乗せるってなんか重くて大げさな気がするし、得意というには弱いかもだけど、意識してること。大切にしてることで、譲れないこと。
といえど最近は、早く返信しなきゃのときとかこういうの書くときとか自分の思うことそのまま出したいときとかは気合いで書いて出すとかはある。あるというか全然多い。でもちゃんと出すときとか、伝えたいときとかすごい考えるし込めるし。すぐ返信するとかわ―って書くときも、自分の気持ちの感覚が合うような言葉で絵文字とかも入れながら伝える。
自分だけのlineグルで何回も何回も修正して文章を送るときなんて鬼のようにあるし、投稿するとかのときは絶対そうだし、1番はプレゼンとかスピーチとか人の前で話すとき。そのときどきでなんかのコンテストとか紹介をするとかこれを話すっていう枠組みはあるけど、そのときどきで自分が伝えたい想いを込める。聴衆が多くても、この人に伝えたい、これを伝えたいを持って、というかちょっと反骨心みたいなこれを伝えてやるんだって外には見せないけど心の内にそんな想いを込めて、全力で苦しみながら落とし込む。伝えるのって怖いし、自分の想いをその感情のままでも感情だけで押し切らないように伝えるってすごい難しい。だから苦しいんだけど全力で伝えにいく。言葉だけじゃない。文章だったら句読点にも助詞にも改行にも、直接のスピーチなら間にもトーンにもその重さにも込める。センスがある、とかじゃない。なんとしても伝えてやるって熱量がたぶん人よりあるってだけ。でもその熱量は負けない。静かに青い炎を燃やしてる。そしてやっぱりなによりその言葉に自分が救われる。あとたぶん自分の想いを感情を言葉にしていくのが好きで、ぴたっとはまったときすごい気持ちよくて、しんどいけど好きって感じ。きっとこれからも好き。
わーって書いてみた。このままで上手く喋れるかと言われたらまたちがうんだけど、1回吐き出せたからどうやって喋ろうかなーってやりつつ、この喋ることも自分を言語化する自分を知ることに使ってやろうって気持ちで書きつけてまたまとめて、自分の支えにしたいです。