娘とアニメを見ていて思ったこと。疑問を感じて考える。
娘と一緒に日本のアニメをみていて思ったこと。私も子どもの頃、同じアニメをみていたが、当時は何も疑問に思わなかった。しかし大人になって見てみるとなんだかモヤモヤする気持ちが湧いてきた。その気持ちを綴ってみる。
ここで感じる問題点
・Aさんは周囲の噂とCさんが泣いている様子をみて、Bさんが絶対に悪い
と思い込んでいる
・AさんはBさんの話も聞かず、暴力で解決
・暴力で解決したAさんを周囲は英雄と呼んでいる
次にA,B,Cさんに名前を入れてみる。
名前を入れると違和感が無くなる。
実はこれは子どもに大人気の戦隊ものにも同じように当てはまるのだ。
お年寄りが大好きな時代劇なども勧善懲悪のものが多い。
私たちは子どもの頃からお年寄りまで、勧善懲悪ストーリーが大好きなのである。しかしながら馴染みあるこの類のストーリーにひねくれものの私は疑問を抱いてしまったのである。
勧善懲悪の場合、悪い人が100%悪くてヒーローは100%間違っていない。
BさんがCさんに意地悪をしてCさんが泣いてしまった、それは良くないことだったかもしれないが、Aさんは噂といつも悪いことをしているからという思い込みでBさんが100%悪いと暴力で解決。そして、最後に周囲がAさんを英雄だと思っているところはかなり危険な考え方だと感じる。
このようなことが現実世界で起こっていたら少し怖い。このようなストーリーを子どもに見せ続けていたら、一種の刷り込みになるのではないかとふと頭をよぎったのである。
この勧善懲悪の考え方があると、一人を悪者にしてすべての問題を解決させる、という単純な解決方法を日常でも行ってしまうのではないか。
何事も自分の想いや考えを相手に伝える、どんなに悪いことをした相手に対しても一度冷静になってその人の話を聞く必要がある。悪いことをした人がいつも悪いことをするとは限らないし、特別な理由で悪いことをしなければいけない状況の場合もある。
〇イキンマンには〇キンちゃんというパートナーがいるが、もしも孤独であった場合はとても悲惨な状況だ。
「悪い人だからいつも悪いことをする。」
そんなことはないと私は思っている。
人間という生物には誰にでも優しい心が備わっている。
思い込みで人を判断したり、相手に歩み寄る前に否定するような人間にはなってほしくない。一母親、アラフォー女のたわごとに過ぎないが、「歩み寄り」を少しずつ増やせば、世界はもう少し優しい気持ちに包まれるのではないか、と思うのであった。
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