6/7放送の「虎に翼」第50話では、紆余曲折を経た民法改正案成立を受け、ライアンこと久道頼安をはじめとする司法省民事局民法調査室の面々が、「神保教授のごり押しで730条が残ってしまったことが残念だ」「『直系血族及び同居の親族は、互いに扶(たす)け合わねばならない』などという当たり前のことをわざわざ法律で規定することを国民はどう感じるだろうか」と話し合うシーンが描かれました。
ご覧になって、少し不思議に思った方もいらっしゃったのではないでしょうか。
あれほど家制度の堅持にこだわっていた、神保教授が、なぜこれだけの条文を残すことだけで譲歩されたのか。この親族の扶け合いという条文にそれほど大きな意味があるのか、と。
神保教授はドラマでは政治学の権威である帝大教授として描かれますが、モデルとなった人物を、史実の臨時法制調査会(※憲法改正に伴う諸般の法制の整備に関する重要事項を調査審議するために設置された諮問機関)の委員のメンバーから一人選び出すとしたら、それは、新派刑法学の大家、東京帝国大学名誉教授 牧野英一博士そのひとだと思われます。
牧野博士のWikipediaの記事には、
という記述があるのです。
えっ、牧野博士ともあろうお方が、個人的な背景に基づいて、しかも畑違いの家族法についてそんなごり押しを?と興味を持ちまして、いろいろな文献を検索してみました。
すると、同じく臨時法制調査会委員であり、改正民法の起草委員を務めておられた我妻栄博士が、著書「改正民法余話:新しい家の倫理」18章「親族の扶け合い」の中に、この、牧野博士と民法730条について詳しく書かれている箇所を発見しました。
かなり長くなってしまいますが以下に引用します(※新字体に改めています)。
お分かりでしょうか。
民法730条は、この時まさに抹殺されようとしていた「家」制度を、その精神、思想だけでも、なんとかして生き延びさせようとしていた保守派の委員たち最後の抵抗だったのです。
我妻博士は続けます。
そうなのです。
牧野博士は、某党がこの67年ほど後に発表することになる改憲草案で出してきた、憲法に家族主義についての条項を入れろという動きを、日本国憲法制定過程ですでに先取りし、そして破れ去っていたのでした。
そして、民法へのごり押しは、この憲法での敗北を経てのものだったのです。
ここまで読んで理解しました。
冒頭で述べた「虎に翼」のあのシーン、発芽玄米こと小橋が朗読し始めた民法730条の後半「互に扶け合わなければならない」を、やや揶揄うようなニュアンスで、一同で声を合わせたシーン。
あの時の皆の苦い笑いは、奮戦の結果、こんなにも陳腐な文言になっちゃったが、それでもここにこだわり続けた神保教授の執着心にはまあ恐れ入りましたね、という意味だったのだと。
今回の製作陣(というか、清永聡解説委員)ならば、必ずこの背景まで研究されているはず、と自分は確信しています。
さて、我妻博士は牧野博士について、最後にこう書かれています。
いやあ、どうですこの嫌味の切れ味?
「博士十八番の自由法的解釈」ときましたよ。
前回のnoteでも思いましたが、この時代の先生たちの悪口言う能力ってちょっとすごいものがありますですね。
ところで、牧野博士の呈した「親子と夫婦を区別するのはおかしいじゃないか」と言うイチャモンについては、我妻博士と共に起草委員を務められた中川善之助博士が、著書「新民法の指標と立案経過の点描」に所収の「民法改正覚え書き」の中で審議でのこんなやりとりを紹介されています。
「論理のラビリント」と高尚な感じを出しつつ、最後は子どもの喧嘩かよ、みたいな感じですが、これは中善先生の一本勝ちではないか、と思うのは贔屓目でしょうか。
今回いろいろ調べてみて、牧野博士についての最初の疑問、なぜ畑違いの家族法にこんな口出しを?についてもだんだんわかってきました。
刑法を学ばれた方ならご存知の通り、牧野博士といえば、主観主義刑法・目的刑・教育刑・特別予防です。
そして、牧野博士は、実は民法についての研究著作も多数あるうえ、戦前から生存権を紹介するなど、刑法分野以外でも業績を残されておられました。
牧野博士は、民法改正が成った後の雑誌「法律のひろば」1950年10月号に書かれた随筆「わたくしの法律学」でこのようなことを書かれています。
これを読んで、
牧野博士が教育刑を唱えられるのも、生存権について論じられるのも、根っこは全て同じだったのではないか、と思うに至りました。
それは国家による庇護、パターナリズムの思想です。
そう、今日のトラちゃんの言葉を借りれば、牧野博士も、徹頭徹尾、「大きなお世話」を言い続けられた方だったのだなあ…と。
その博愛思想の源泉がどこにあったのか、今回、牧野博士の生い立ちもいろいろ調べてみたのですが、件のWikipediaにあった「病弱な妹」の存在も含めて解き明かすことはできずじまいでした。
引き続き研究を進めてみたいと思っています。