占いの仕事はこれでいいのか、ということについて
何でかわからないけど、10代の後半から哲学とか文学に興味を持ちはじめて、いろいろ読んだりしていた。でも、そういうものを読んでも実生活にはほとんど役立たなくて、不満が残っていた。哲学者になっても、細かい知識がつくだけで、自分が変わることはないと思った。そういうことを思ったということは、自分を変化させたいと強く感じていたということでもある。
知識を蓄えることにあまり喜びを感じない体質なのかもしれない。もっと実践的に活用できる何かが欲しいと思っていた。実践と結びつかない研究は特に意味のないものに感じてしまう。これはタロットの本をいろいろ読んでいて思い出したこと。タロット占いの能力は本をたくさん読んでも向上しない。実践を重ねて、直感を磨くことが必要。時には、教科書的な意味とは全然違う読み方をするべきことだってある。自分について占うのではなくて、人を占ってそれを伝える時には、それをどう伝えるのかとか、相手に何が今何を必要としているのかを考えないといけない。それを重視すると、タロットカード自体を研究するというのとはまた違った興味関心がないといけない。自分にとってはそっちの方が大事な気がしている。
人は内面とか人間関係とか仕事に問題をいくつか抱えながら生きている。それを放置したまま研究をしても仕様がないのではないかと思う。優先順位をはっきりさせた方がいいのではないか。もちろん僕は研究してくれた人の本を読んで、学ばせてもらっているから、大きな恩恵を受けている。それには感謝したい。でも、自分にとって大切だと思えることに忠実であるべきだと思っている。それはもっと直接的に人の役に立ちたいということかもしれない。
お金をとって占いをすることについて考えたときに、お客さんが何を求めているのかをもっと理解している必要がある。それは、お客さん自身が意識できていないことでもあるだろうと思う。もう一歩深い視点が必要だ。何か欲求しているものがあって、わざわざ安くないお金を払って、時間をとって、足を運んで、占いを受けにくる。そのおおもとの人を動かす欲求に対して、きちんと対応することができないといけないだろうと思う。
「占い」という大義名分というか、一つのジャンルがあるにしても、結局は人と人との対話が肝になっている。人間同士の対話とか交流にどんな意味や効果があるのか改めて考えないといけないのだと思った。極端なことを言うと、たぶんそこには「占い」というツールを挟む必要もないのかもしれない。占いにしても、一つの産業とか業界を作っていて、そこでは惰性の習慣が出来上がってしまっている。占いってこんなものだろうか。。。?という取り組み方が何となくできてしまっている。それに疑問を持つところから始めないと、自分がそもそも何をしたくて、実際に何をするべきかがわからなくなってしまう。
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