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私と占い

先日の記事でご紹介した、ライナー・バーデル先生の"Die Astrologische Deitung der Mandnkoten"(『月のノード(交点)の占星学的解釈』)を読んで(今の所ごくごく一部ですが)、感銘を受けながらもつくづく思うのは、占いというのは、ないものが出てくるような、打出の小槌とか、魔法の杖みたいなものではなく、うすうす気づいていることをはっきりさせるものなんだなと云うことです。それが物足りないとか、つまらないということではなく、認めて受容することこそ最大の効用なのではと思います。マドモアゼル・愛先生のお話を聞いても、それについては同じように考えていらっしゃるのではないかと思います。違うところもあるかもしれませんが、「受容こそが…」みたいなところは見解が一致するのではと思います。

世の中で起こっていることが星のとおりだったり、カードを引いた時にぴったりのものが出てきたりするのは、然るべき原理が働いていると思います。そういう意味では魔術の原理とか、引き寄せとか、意識の原理のようなものが働いていると思います。ただ、ないものが出てくる打出の小槌みたいなものではないかと思います。あるものはある、ないものはないと云う感じがします。

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