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中国運命学

二十代前半に、佐藤六龍が率いる透派五術の香草社に学ぼうとしたが、
その中国運命学から、私は特に何も得る事は出来ず、浪費に終わった。

後に、御子神龍児、阿藤秀夫といった、明澄透派五術の知識から、
張耀文(張 明澄)や透派五術の実態について色々聞く事になった。

阿藤秀夫は、張耀文から非常に信頼されている人物だった。
後に "阿藤大昇"と名乗り、数少ない五術の第一人者である。

惜しみなく話してくれる人だった。

風水の流派乱立と紫微斗数については、鮑黎明の著書から入り、
後に紫微斗数の大家 東海林秀樹との接触によって実態を知った。

東海林秀樹は出し惜しみせず、何でも聞けば教えてくれる人で、
決定的にこれが正しい、と決め付けるようなところはなかった。

私の紫微斗数の命式を見て、彼は言った。

「ん?両親と何かあったんですか」

何らかの確執ないし離婚や事件を指摘した。

私は父親の酒乱による過酷な暴力と、母親の脅迫的罵倒に曝されて育ち、
その両親は子供の頃に離婚しているのだが、その最後は警察沙汰だった。

「これは ホロスコープをやる人の命式ですよ」

と、東海林秀樹は言った。

私は、その手の事は一切、告げていなかった。

「こういう人は 悟って仙人になればいい」

と言って、彼は笑った。

乱立する風水の妥当性について話題が及んだ時、

「好きなのでいいんですよ」

と、彼は言った。

運命学の核心を突いている。

台湾で藩子漁に学んだ時の事を、惜しみなく話してくれた。

紫微斗数を少し学ぶと、占星術を色濃く連想させる。
私は直接縁した事はないが、卓越した研究事例も目にする。

暦法に精通し、明晰な分析で知られる"北斗柄"こと松岡秀達は、
紫微斗数が、アラビックパーツを起源とする事に言及している。

このような研究発表は 他に聞いた事がない。
着眼の鋭さ、分析力、驚くべき聡明さである。

私は紫微斗数や子平を単体で学ぶ、という方向には進まなかった。
命理の源流は占星術である事を確信していたし、手応えがあった。

東海林秀樹が指摘した通り、私は自然にホロスコープに戻るのだった。