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「肉の告白」をヒントにコリャード「懺悔録」を分析したい
次の企画はミシェル・フーコーの「肉の告白」のキーワードで17世紀日本のキリシタンの懺悔録を分析したい。
すなわち、天地創造、子づくり、第二の悔い改め、処女・童貞、結婚、夫婦の義務、性のリビドー化にテキストを配置して考えていきたい。
しかし、中世思想原典修正を読み直さなくてはいけないことも多いかと思うと気が重い。
また、告白はしたあとすぐ許されるものではなく阿部謹也先生の研究「ヨーロッパ中世の罪と罰」「ヨーロッパ中世の男と女」によると罪の償いが,決められていた。例えばパンと水だけで10日とか。
日本でこのような西洋化が進み始め、方やもう一つの極に儒教の勃興から国学への推移があった。和辻哲郎の図式的なパースペクティブに今日的な学問成果を置いていったらどうなるのだろうか?結論は変わるのだろうか?
フーコーの主張するように欲望の主体の形成について日本国内で鮮烈な対比ができるであろうか?
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