アニー・エルノーの「シンプルな情熱」を読み、その文学的表現の面白さ、そのエロチックな強度、その感情の濃密さに巻きつかれてしまった。
そのような物語として思い出した村山由佳氏の「ダブルファンタジー」は主人公が抑圧的な夫とのことをある演出家にメール交換の中で相談するうちに浮気し、その後家を飛び出し、さらに二人の男のとの逢瀬を描いた物語で、最後の方に、『すべては「浮気」が始まりだったのだ。』(文春文庫 下 pp278)と総括される物語で、女性視点での性行為の描写が人気らしい物語。
女の側から見ると男が引き付けられ続ける物語であるのに対し、男の側から見ると取捨選択されるのでなかなかしんどい物語である、というか恋多き女だったら結婚しない設定にすればいいのに、と思う。(この作品は評価され3賞受賞している)けどそうだったら当たり前すぎて面白くないんだろうね。
私はそこで次の連想に入った。フランスのロマネスク、ヴェズレーやオータンでの柱頭彫刻において、悪魔や女に誘惑される主題についてフーコーに従い修練主義や禁欲主義について調べていると、この小説でも主人公と僧侶のワンナイトラブの前、その時懇ろだった愛人(岩井)とかわす会話が面白い:
「いっそのこと誘惑してみようかな。いけない、いけないと思いながらも色欲に引きずられて禁忌を犯す・・・苦渋に満ちたお坊さまの顔って、ふふ、ベタだけど、ちょっと見てみたい気がする」
やれやれ、と岩井が溜め息をついた。
「まったく、なんてぇ悪魔だ」
「あら悪女じゃなくて?」
「悪魔、です」
「小悪魔でもなくて?」
「悪魔ですってば。・・・・(引用ここまで)
はヨーロッパ中世僧侶が誘惑される様子をコピーしているかのようでおかしかった。氏は立教大学出身なのでよく知っていて当然かもしれない。
カトリックの教父、ヒエロニムス(2世紀ごろ)が書いた「テーバイのパウルス伝」(砂漠に引きこもった人々 キリスト教聖人伝 選集 戸田聡(編訳)教文館 2016年)の中にキリスト者を堕落させる方法(したがって拷問)として伝わる物語として、3節に:
(横たえられ、張り付けされた男のもとに)やって来た見目麗しい娼婦は、優しい抱擁で若者の首をなで、そしてー語るも罪だがー男性性器を手でいじり始めた。体が欲情へと駆り立てられて、恥知らずな女が勝者として男の上に身を投げ出すためだった。・・・・若者は、歯で噛み切った舌を接吻しようとする女の顔に吐きかけた。(引用終わり)
ヒエロニムスが書いたとはいえかなりエロチックな表現である。
直ちに色々思い浮かぶ:誰か書き足したとか。書誌情報はどうなんだろうか?幾つの写本が残されており、ここの異同はどうなんだろうか?この後男は結局死んだのだろうか?誘惑に打ち勝ち殉教したということなんだろう。
ロマネスクでも結構セクシャルな表現がある彫刻があるので、このモチーフでも是非彫刻して欲しかった。探すとあるのかも。
なおグーグル翻訳で男性性器をラテン語にするとgenitalia masculina、となるので、ヒエロニムスのラテン語
https://books.google.co.jp/books?id=4fgUAAAAQAAJ&pg=PA13&hl=ja&source=gbs_toc_r&cad=3#v=onepage&q&f=true
を調べたら出てくるかもしれない。(別記事にて報告済み)
このパウルス伝をもとにした彫刻がヴェズレーには2つある。このシーンではない。一つはインスタとFBで先日公開しました。
この記事はnoteサイト向けに加筆修正の上転載したものです。
https://quartetgrape.wordpress.com/2022/10/31/村山由佳のダブル・ファンタジーとヒエロニムス/