庚申塔
先日、久しぶりに大東市中垣内の庚申塔を見に行きました。
関東では数多く現存する庚申塔ですが、何故か関西では珍しいですね。
庚申塔とは庚申信仰に基づき建立された塔の事を言います。
庚申信仰は、干支で言う60日に一度やって来る庚申の日の夜に、人の体内に棲むと言われる三尸と呼ばれる虫が、宿主が寝ている間に体内から抜け出して天帝にその宿主の行った悪行を報告し、寿命を縮めるとされる言い伝えです。
その三尸が身体の中から抜け出すのを防ぐために、庚申の夜を一晩中徹夜で語り合ったり、飲食しながら過ごすのが庚申講です。
庚申信仰は奈良時代末期から平安時代に中国から天台宗の密教と共にもたらされたと考えられています。
菅原道真の「菅家文草」の中にも「庚申守」が詠まれた漢詩があります。
庚申夜述所懐
(庚申の夜、懐ふ所を述ぶ)
故人詩友苦相思
(故人なる詩友はなはだ相思う)
霜月臨窓独詠時
(霜月窓に臨みて独り詠ずる時)
己酉年終冬日少
(己酉の年終わりて冬の日少なし)
庚申夜半暁光遅
(庚申の夜半ばにして暁の光遅し)
燈前反覆家消息
(燈前に反覆す家の消息)
酒後平高世嶮夷
(酒後に平高す世の嶮夷)
為客以来不安寝
(客と為りて以来安寝せず)
眼開豈只守三尸
(眼を開く豈只三尸を守るのみならんや)
江戸時代には全盛を極めた庚申講ですが、明治以降は迷信として排斥され、衰退しました。
しかし今でも残っている地域があるそうです。
柳田國男はこの風習を、日待・月待と言うマチゴトと同様の日本固有の伝統民俗であると定義します。(1)
しかし窪徳忠は、日本に伝来した中国の道教起源説を主張し、日本固有説を取っていた他の民俗学者たちと激論となり、国内の実地調査に入りまとめて論証しました。(2)
(1)柳田國男「年中行事覚書」https://www.aozora.gr.jp/cards/001566/files/53812_50600.html
(2)窪徳忠「庚申信仰研究方私見」https://www.jstage.jst.go.jp/article/minkennewseries/24/1-2/24_KJ00003543610/_article/-char/ja/
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