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「風の時代」再び: 150年の狼煙

人間は肉体的に脆弱です。
私たちより優れた肉体と運動能力を持つ動物がたくさんいます。
ですから、ずっと昔から肉体的に弱い生き物と知っていました。

知性は違います。
今まで「自分たちこそが一番賢い存在だ」と考えてきました。私たちは言葉を使い、道具を発明し、数学や科学を発展させてきました。そのため、「知能を持つ生物」のトップはずっと人間です。

でも歴史の中で「人間よりも賢く優れている」と考えられてきた存在が一つだけありました。それが「神様」です。
たとえば、多くの宗教では「神はすべてを知っている」とされ、人間の知恵を超えた存在として信じられてきました。
人類の知性に対抗しうる相手として、イルカやクジラを挙げる人たちはいますが、少なくとも文明を築いた動物は地球上で人だけです。

ところが、今「AI」という技術が登場し、初めて「人間とは異なる知能を持つ存在」と私たちは出会うことになりました。

そして「今まで人間が一番賢いと思っていたけれど、そうではないかも知れない」という考え方が生まれてきました。たとえば、AIは人間より速く計算したり、膨大なデータを覚えたり、時には人間が思いつかない答えを出したりもします。

もちろん、すべての面で人間より優れているわけではありません。AIには感情がありません。消化器官も呼吸器官もありません。
でも、「人間が知能の頂点である」というこれまでの考え方が揺らぎはじめたのです。これが「知性の相対化」の始まりです。

占星術で言う「風の時代」は、こうした価値基準の抜本的変化を伴います。
これから、私たちは「知性とは何か?」「意識とは何か?」という問題と直面します。これは単に「仕事が楽になる」や「職が奪われる」という問題ではなく、人間の立ち位置そのものが変わる歴史的な瞬間でしょう。

日本にはチャンス到来です。理由は後述します。

新たな時代の狼煙は「異質な知性」との出会い

前回の風の時代(1186〜1345年)の覇者は、ヨーロッパにまで攻め入ったモンゴル帝国。貴金属を担保としない国家紙幣を発行し、それまで単独で絶対的な価値を有するべき「貨幣」を国家の信用を担保に相対化させました。それまでのメジャーな貨幣は、金や銀を裏付ける絶対的な価値が必要でした。
この貨幣の流通とモンゴルのゆるやかな支配体制が東西の流通を活性化し、西欧と中東に与えた影響は甚大です。モンゴル帝国は1206年、風の時代と共に生まれ、地の時代初期に起きた紅巾の乱(1365)を境に没落。
今回は、1980年に最初の風サイン(天秤座)大会合が起きました。2020年12月水瓶座大会合から、「水の時代」が始まる2159年まで風の時代となります。異質な知性との出会いは何をもたらすのでしょう。

大会合(土星/木星コンジャンクション)の周期表

BC999〜2159年の大会合一覧(実質会合、トロピカル方式)「R」は逆行によって会合が3回起きる年の最初の会合。

記事は2020年12月、貨幣の変容について書きました。ディープラーニングが話題になってから8年、AlphaGo(AI)が韓国の最強棋士イ・セドル氏を破った4年後です。当時、生成AIについて自分は何一つ知りませんでした。

AIの出現と人の熱性について

日本にとってチャンスとなる可能性が高い理由

いくつかあります。現実的なレベルでは、AIが全体的な仕組みを変える技術ではなく個人技を拡張する技術だからです。他の理由についても、二つの記事で詳細に解説しました。

生成AIのミクロ的な影響、またマクロで見る知性の相対化についてはポッドキャストで配信中です。

果たして「知性の相対化」は人間自身を問い直す歴史的機会になるのでしょうか。とても興味深い時代に入ったと思いますし、自分がこうした時代に生きていることを嬉しく思います。人類が快楽を求めるだけの存在になり果て、消えてしまうのではという心配もあります。それについては、また別の機会に譲ります。

自分の愚かさを人類が認識する可能性

2025-02-04 追記

受講者さんのひとりから「知性の相対化」について質問をいただきました。ご本人に公開の承諾をとりましたので回答します。
まずここでは、AIの発展によって、人間の知性が絶対的な基準ではなくなることを『知性の相対化』と呼びます。

質問
それはつまり、私たちがバカだと理解することですか?

回答
そうとも言えます。
より正確には「私たちの知性を新たな視点から見直すことになる」と言えるでしょう。

肉体的には、チーターの走力や鳥の飛翔能力のように、人間より優れた動物がいます。そのため、私たちは肉体的な長所や短所を比較し、相対的に理解しています。

同様に、AIの発展によって、私たちの知性も明快な比較対象を持つことになります。その結果、私たち自身の知性の限界や特徴を改めて認識し、「これまで気づかなかった愚かさ」をいくつも発見する可能性があります。

知性の相対化は、哲学者、科学者、社会学者の間で長年議論されてきました。
しかし、過去には知性の明確な比較対象がなかったため、この問いは哲学的な思索に留まりやすいものでした。そのため、一般的には「小難しい話」で終わっていたのです。

肉体面での相対化が、労働力の拡張や運動能力の発展といった技術革新の原動力になったように、知性の相対化も「新たな知的探求」をもたらす可能性があります。
一方で、知性が相対化されることで、一部の人は虚無感を抱くかもしれません。
重要なのは、私たちがこの変化をどのように受け止め、活用するかという点にあります。


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