空が応えてくれる時
強い想いを抱いて星を眺める、
あるいは問いかけをする
すると、ごく希に空は応えてくれます。
たとえば、その瞬間に
流れ星が流れる
とつぜん曇り空が開いて、星々が輝き出す
ふと東の空を見ると木星が輝きはじめる
想いと、空が絶妙なタイミングで見せてくれる接合の瞬間。
こうした体験は、星を眺める醍醐味のひとつです。
もちろん、それを答えとするか、偶然とするかは、その人次第。
占いが「兆し」を捉える方法なら
これも占星術のひとつかも知れません。
でも、仮に
「オレンジ色の流れ星が西に見えたら不吉な意味」
「雲が開いて、しし座が見えたら勝利という意味」
そんな解説を書き残したらどうでしょう。
途端に色褪せてしまいます。
実際に見て感じた、個人的な体験と感動は消え
残るのは無味乾燥な文字の羅列だからです。
これを実際に行ったのがメソポタミアの天文神官たちです。
空の現象を膨大な予兆集にしました。
その後、それを洗練させたのが古代ギリシャ人。
彼らは論理的にも美しく、言語化出来ない世界を描くことを目指しました。
でも、そこには同時に「体験し感じる」ことを忘れさせる錯覚が忍び込みます。
批判と誤解を招くことを承知で書きます。
今、大元にあったはずの感動は、占星術と天文学には残されていません。
あったはずの直感と啓示はどこへ消えたのでしょうか
空の現象を法則化することにどれほどの意味があるのでしょうか
ひとりで探るには過分な命題です。
実はその命題に近づくためにホラリー占星術を学びました。
どこまでその挑戦が具現化されているのか、知りたかったのです。
最初は独学。後に先生を見つけました。
ホラリー占星術の実践は驚きの連続でした。過去未来の事実を示すことがあるからです。
でも、そうした驚きと、直感と啓示は全く別のものです。
僕はそういう感動を取り戻したいと思っています。
2021年7月2日に配信したArcherメルマガの内容を少し手直しての公開です。こどもの頃はこうしたことは考えずに星を眺めていました。ただ、当時も今も変わらないことは、星々の先の闇にある轟音と静寂です。星を眺めてはいるのですが、実際のところ僕自身を捉えて離さない最たる原因は、有音と無音が入り交じる闇の世界かも知れません。星々の輝きの美しさの背後にある圧倒的な深淵。豪差の無い天体の動きを支配し、立ちつくす矮小な自分を抱擁する力。その前では自分の力が及ぶことのない絶望感。同時に力強く輝く星々が救いと希望に感じるのです。
ここで書く「直観と啓示」はその対比から生まれる感動です。実際、星々が想いと同期することがあります。そしてそれは誰にでも起きることです。単に僕が多く空を眺めているだけのことで、それだけ遭遇する確率が高いというだけの話です。あるいは、それを「偶然」としない態度の違いに過ぎません。昔の人々(といってもせいぜい200〜5000年前ですが)にとっては、もっと当たり前のことだったのでしょう。晴れてさえいれば、いつでも深淵を背景にきらめく満天の空を眺められたのですから。