気持ちを味わい尽くす先に見えてくるもの
今日は久しぶりに 琵琶湖近辺に行きました。
お天気が良くてとても爽やかな気分でお散歩した
ホシヨミスト グレースあかねです。
さて 新年になって10日余りが過ぎ
日常モードが戻ってきた感じがあります。
年末年始は 何かと親族が集まったり
忘年会 新年会など 賑やかな集まりがあったかと思います。
楽しい宴では 食事を楽しみ お酒を飲んだりして
心が開放的になり 普段よりテンションが高くなって
会話も弾んだりします。
ですが一方で この華やかな時間が過ぎると
いいしれない孤独感を感じたりすることはないでしょうか?
人によっては この孤独感が しばらく尾を引くことがあります。
あまりにも長引くと メンタルがかなりダメージを受けているのかも
しれません。
私は少し前に ある人が言っていた言葉が
今でも心に残っています。
その方は 賑やかな集まりにいても
どこか自分がひとりぼっちなんじゃないか・・・
誰にも気にかけられていないのではないか・・・
このまま消えても誰も気づかないんじゃないか・・・
そんな寂しい気持ちになったのだと言います。
私はまさかその人がそんなふうに思っているとは夢にも
思っていなかったのです。
人の集まりの中にいても そつなく 笑顔で穏やかに過ごして
おられるように見えていたのです。
さらにその方が言われたことが 心に残っている一言です。
「この寂しさを味わい尽くしたら なんとも思わなくなるのかも」
寂しさを味わい尽くすってどんな感じなんだろうと
私には想像もつきませんでした。
寂しさが耐えきれなくて 誰でもいいから
そばにいて欲しいと願うかもしれません。
そのように耐えきれないほど寂しい気持ちになった経験が
ないかもしれません。
寂しい気持ちとか 悲しい気持ち・・・
どちらかというとネガティブな気持ちと言われるものを
味わい尽くすのにはとても勇気がいるのではと思います。
でも とことん味わい尽くした先には もしかしたら
自分が体験したことのないような
開放された世界が待っているのかもしれません。
子供の頃に 悲しくて泣いていると
よく母親に「いつまで泣いているの 泣き止みなさい」
そのように言われていました。
「悲しんではいけない」とそう思い
もっと泣きたい気持ちがあったのですが
泣くのを我慢していたことがあると思います。
このような幼児体験が元で自分の感情を押し殺す
癖がついているかもしれません。
哀しくても 嬉しくても
「こうこのへんでいい・・・」と
感情をあらわにすることは良くない・・・
そのような刷り込みがあり
味わい尽くすまでに 感情を抑える癖があるかもしれません。
もちろん 感情的になり周りに悪意影響を及ぼすことは
よくないかもしれませんが 抑える癖がついていると
次第に自分が「どうありたいのか」
「どんな気持ちなのか」が わからなくなってしまいます。
自分の感情にたいして 鈍くなってしまいます。
まずは 自分の気持ちを大切に・・・というなら
自分の気持ちを 味わい尽くす 勇気と許しを与えることが
大事なのではないでしょうか。
今日 「アイノオト」という波動共鳴映画の自主上映会に
行ってきました。
内容はネタバレになるからここでは控えますが
この映画を観た後 ふとある人が言っていた
「この寂しさを味わい尽くしたら なんとも思わなくなるのかも」
という言葉を思い出しました。
良い映画でした。
自分の本当の気持ちに向き合いたい人に おすすめです。
映画の上映情報はこちら↓