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宮沢賢治の宇宙(8) 心象スケッチで繋がる賢治とゴッホ


銀河のお話し」の状況設定と同じです。 こちらをご覧ください。 https://note.com/astro_dialog/n/n7a6bf416b0bc

《夜のカフェテラス》のスケッチの謎

放課後、今日も輝明は天文部の部室にいた。いつも先に来ている優子の姿は見えない。

前回の部会で、ゴッホの《夜のカフェテラス》にはスケッチが残されているという話をした(後で出てくる図2を参照されて下さい)。なぜか完成された絵とは微妙に違う。部会でこのスケッチの話をしながら、輝明の頭の中にはある言葉が浮かんだ。それは「心象スケッチ」だ。この言葉は宮沢賢治が自分の作品に対して使った言葉として有名だ。ゴッホの絵を見て、なぜこの言葉が浮かんだのか? 輝明はよくわからなかった。そのため、前回の部会では話題に出さなかった。しかし、やはり気になる。このことについて天文部の部員の意見を聞いてみたいと思い始めていた。

そのとき、部室のドアが開いた。優子だ。
「あら、部長、今日は早いですね。」
元気な優子の声が部室に響いた。
「やあ、優子。ちょうどよかった。少し話をしたいと思っていたんだ。」
「どんなことですか?」
「優子は「心象スケッチ」という言葉を知ってる?」
「宮沢賢治ですか?」
「おっ! それなら話は早い。」

心象スケッチ

宮沢賢治(1896-1933)は岩手の花巻で生まれた詩人・童話作家だ。普通、詩を書いたら、それを詩という。童話を書いたら童話という。しかし、賢治は違った。自らの作品を「心象スケッチ」と呼んだ。不思議だが、優しさも感じる言葉だ。まるで、賢治のような、と言うべきか。賢治の代表的な詩、『春と修羅』の「序」は、こう始まる(『【新】校本 宮澤賢治全集』第二巻、7頁、筑摩書房、1995年)。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です

はっきり言って、僕にはよくわからない。そして、そのあとの方に出てくるのが「心象スケッチ」だ(『【新】校本 宮澤賢治全集』第二巻、8頁、筑摩書房、1995年)。

ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです
 

どうだい?」
「たしかに、よくわからない詩です。」
「賢治はメモ魔であったことはよく知られている。どこにいくときもメモ帳とペンを持ち、せっせとメモをしていたそうだ。ある瞬間、感じたことをメモにする。それが心象スケッチなんだろうね。」
「なるほど、見たまま、感じたままの言葉ということでしょうか。もしそうなら、特に問題はないような。」

「そうなんだけど、もうひとつわからない言葉がある。」
「なんですか?」
「Mental Sketch Modifiedという言葉だ。」
「あら、英語ですね。」
「賢治は語学も堪能だったから。」
「問題は、この言葉の意味ですね?」
「そうなんだ。どう思う。」

Mental Sketch Modified

「もう少し説明しておこう。」
「お願いします。」
「賢治の「兄妹像手帳」と呼ばれる手帳に、『銀河鉄道の夜』に関連すると思われるメモがある(図1)。このメモに示された作品の名前は “The Great Milky Way Rail Road”だ。日本語にすると、“偉大なる天の川鉄道”。」
「すごいタイトルです!」
「もちろん、これは明らかに『銀河鉄道の夜』のことだ。日付は1931年9月6日。賢治の亡くなる二年前のことで、最終形(第四次稿)を仕上げていた頃になる。しかし、このメモには、まだ night (夜)は出てこないんだけど、タイトルが決まったのは1931年の頃なんだろうね。」

図1 宮沢賢治の兄妹像手帳にある銀河鉄道の夜に関連するメモ (『【新】校本 宮澤賢治全集』第十三巻、(上)本文篇、405頁、筑摩書房、1997年)

「賢治の作品で“mental sketch modified”が付けられている他の作品はあるんですか?」
「うん、あるよ。『春と修羅』の「序」の他には、「青い槍の葉」と「原体剣舞連」がある。ところが、もうひとつあった。それが『銀河鉄道の夜』。「兄妹像手帳」のおかげで、この童話にも“Mental Sketch Modified”の称号が与えられていたことがわかったんだ。」
「どうしてこれらの作品だけなんでしょうね。あれだけたくさんの作品を残しているのに不思議です。」
「そうなんだ。『銀河鉄道の夜』以外の三つの作品に何か共通することがあるのか? これについては、今福龍太さんがひとつの共通点を指摘している。

「 (mental sketch modified) 」と但し書きされた三篇すべての作品に「気層」ないし「気圏」という語が使われていることにも注意を払わねばならないでしょう。 (『宮沢賢治 デクノボーの叡智』(今福龍太、新潮選書、新潮社、2019年、223頁)

ただ、「気圏」や「気層」は賢治のお気に入りの言葉だ。【新】校本の索引で調べてみると、「気圏」が49回、「気層」が15回も作品の中で使われている。」
「そうなると、単に「気圏」や「気層」を取り入れたから、“mental sketch modified”になっているわけではないんですね。
「実際のところ、『銀河鉄道の夜』には「気圏」や「気層」という言葉は出てこない。」
「あとは、書かれた年代かな。『春と修羅』の執筆は大正十一年、十二年(第二巻、5頁)。1922年と1923年だ。また、『青い槍の葉』と『原体剣舞連』も1922年に書かれている。どうも、年代的には、“mental sketch modified”は1922年頃に結びついているようだ。」
「1922年といえば、妹トシが亡くなった年ですね。」
「そうだね、トシとの関係はやや気になる。『銀河鉄道の夜』では、主人公であるジョバンニの親友カムパネルラが川で溺れて死んでしまう。」
「はい、とても悲しい出来事です。」
「カムパネルラにモデルがいるとすれば誰か?」
「トシですか?」
「うん、有望なモデルは妹のトシだと考える人が多いようだ。賢治は『銀河鉄道の夜』の推敲を重ねながら、トシの面影を追い続けていただろう。時を重ねながらの「心象スケッチ」というところかな。」

Modifiedの意味

そこで、優子が思い出したように言う。
「ところで、modifiedというのは、どういう意味ですか?」
「modifyというのは「修正」とか「変更」を意味する英単語だ。」
「じゃあ、「心象スケッチ」としてざっと作品を書いたけど、あとで修正を加えたということでしょうか?」
「それでいいと思うよ。ところが、今まで、いろいろな意見が出されている(表1)。」

 

「なんだか、難しい解釈が多いですね。」
「この中で最もシンプルな捉え方は恩田逸夫の“再構成された”だろうね。僕はさっき優子が言った「心象スケッチ、修正版”」ぐらいでいいような気がするよ。」
「賢治さんに答えを聞きたいところですけど・・・。」

Modifiedの位置

「あと、もうひとつ。Mental Sketch ModifiedはModified Mental Sketchとしてもおかしくはない。」
「そうですね「修正された」という形容詞としてmodifiedを使えば、Modified Mental Sketchの方が自然かもしれません。」
「以前、天文関係の本で読んだんだけど、論文のタイトルとして。「Galaxy formation theory, revisited」というのを見かけたことがある。これは「銀河形成論、再訪」という意味だ。賢治は自然科学と英語に長けていたので、こういう使い方を知っていたのかもしれないね。賢治に科学者としての才能を見る思いだ。」

そうだ、ゴッホの話だった!

「おっと、もう5時を過ぎちゃった。」
「あら、ホント。話をしていると、あっという間に時間が過ぎちゃいますね。」
「今日は、ゴッホの《夜のカフェテラス》のスケッチについて、優子の意見が聞きたかったんだ。」
「どんなことですか?」
「スケッチはまさに「心象スケッチ」だった。そして、作品として残された《夜のカフェテラス》は「Mental Sketch Modified」だった(図2)。こんな考え方をしてもいいのかなと思ったんだ。」

図2 (左)《夜のカフェテラス》のスケッチ。(右)《夜のカフェテラス》 (左) https://www.artpedia.asia/work-café-terrace-at-night/ (右) https://ja.wikipedia.org/wiki/フィンセント・ファン・ゴッホの作品一覧#/media/ファイル:Vincent_Willem_van_Gogh_-_Cafe_Terrace_at_Night_(Yorck).jpg

「賢治とゴッホの流儀には似たものがあった。そういうことですね?」
「うん、しかし今日はもう遅い。また、今度話そう。」
「了解です。」
優子は新たな面白いテーマに興味を持ってくれたようだ。輝明は安堵した。

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「ゴッホの見た星空(16) 《夜のカフェテラス》で最後の晩餐を
https://note.com/astro_dialog/n/n5354fd1f648b

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