宮沢賢治の宇宙(87) なぜ賢治は星座が大好きなのか?
星座好きの賢治
子供の頃、最初に覚えた星座はなんだっただろう。ときどき、そう考えるときがある。私は今では天文学者をやっているが、子供の頃は宇宙に興味を持っていなかった。夜は暗い。暗いは怖い。そういうことで、子供の頃、意識して夜空を眺めることはなかった。
賢治が夜空をよく眺めるようになったのは、中学生の頃だ。賢治の弟、宮沢清六の『兄のトランク』(ちくま文庫、1991年、21-22頁)を読むとわかる。
私と九歳も年の違っていた兄は、この頃家から十里も北の盛岡中学校の寄宿舎に入ったばかりで、時々の休みで家に帰って来ますと、私たちの遊びは全然別のものになったものでした。
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兄が星座に夢中になったのも其頃のことと思いますが、夕方から屋根に登ったきりでいつまで経っても下りて来ないようなことが多くなって来ました。丸いボール紙で作られた星座図を兄はこの頃見ていたものですが、それはまっ黒い天空にいっぱいの白い星座が印刷されていて、ぐるぐる廻せばその晩の星の位置がわかるようになっているものでした。
賢治が星座に夢中になった様子がよくわかる一文だ。ここに出てくる「丸いボール紙で作られた星座図」とは星座早見盤のことである。賢治が使っていたものと同じタイプの星座早見盤は国立天文台水沢VLBI観測所にある(図1)。日付と時刻を合わせると、そのとき見える夜空の様子がわかる。星座を見つけたいときに、役に立つものだ。
私が宇宙に興味を持つようになったのは、中学三年生の頃だった。たまたま、星好きの級友が天文の雑誌を学校に持ってきていて、それを休み時間に読んでいた。その雑誌には美しい天体写真が載っていた。そこで、友人に頼んで一晩その雑誌を借り受け、家で読んでみることにした。それまで、私は昆虫少年で、蝶々の採集を趣味にしていたが、友人の雑誌には、私が今まで見たことのない世界が広がっていた。翌日、雑誌を友人に返したが、学校から帰るとき本屋に立ち寄り、その雑誌を買い求めた。じつは、この出来事が私を天文学の世界に導いてくれたのだ。
賢治も私も、奇しくも中学時代、宇宙に関心を持った。賢治が宇宙に興味を持つきっかけが何であったかは知らない。賢治は花巻の小学校から盛岡の中学校に通うことになった。花巻では自宅にいたが、盛岡では寄宿舎住まいである。大きな環境の変化だっただろう。そして、出会う人たちも変わる。賢治の場合も、友人の影響が大きかったのかもしれない。
形あるもの
宇宙に興味を持つようになって、私も夜空を眺めるようになった。どんなものだったか覚えていないが、星座早見盤を買った。それを使って夜空を眺めると、星座の配置がよくわかる。ただ、一旦覚えてしまうと、星座早見盤は不要になる。賢治ほど、星座早見盤とのお付き合いは深くなかった。
それには理由がある。私は星そのものにはあまり関心を持てなかった。明るい1等星でも点のようにしか見えないからだ。私は「形あるもの」が好きだった。星雲や銀河だ。小さな望遠鏡を買ってもらって眺めていたものだ。もちろん、ぼうっとしか見えない。それでも、星雲や銀河の形を頭に浮かべて楽しんで眺めていた。
私は天文学者をやっているが、専門は銀河天文学と観測に基づいた宇宙論である。厳密にいえば星や星雲は専門外である。しかし、星や星雲のことを知らなければ、銀河や宇宙を理解することはできない。
ただ、星座は天文学とは無縁の世界だ。しかし、夜空を眺めれば星々が輝き、星の配置はドラマを誘う。賢治が活躍していた今から百年前は、天文学のみならず物理学などの学問がまだ発達していなかった。
宇宙のことに思いを馳せる場合、星座はその入り口を与えてくれる。そのため、賢治の作品にはさまざまな星座が出てきて、インスピレーションを与えてくれる。賢治お得意の「心象スケッチ」が活躍するからだろう。実際、賢治の作品を読むと、賢治はうまく宇宙に寄り添っているように感じる。
星座の時代だったのだ
それにしても、賢治はどうしてそんなに星座に心を奪われたのだろう? その秘密は賢治の愛読書にあった。吉田源次郎による『肉眼に見える星の研究』(警醒社、大正11年 [1922年])である。B6版、厚さ2センチぐらいの本だ(図2)。この本を読んでみたかったのだが、なかなか見つからなかった。幸い、昨年、神田神保町の古書店で購入することができた。
いったい、どんなことが書いてあるのか? 興味津々でページをめくった。そして、わかった。ほとんど、星座の話なのだ。
目次の最初の部分を図3から図5に示した。なんと、このあと、第8章まで星座の話が続く。そして、第9章と第10章で太陽系の話をしておしまい。約370頁の大著だが、220頁は星座の話なのだ。これを愛読していたのだから、賢治の頭の中が星座漬けになるのは当然だ。
当時の天文関係の本には星座の話が多かった。例えば古川龍城の『星のローマンス』(新光社、大正13年[1922年)も星座の説明に終始している本だ。
考えてみれば当然である。まだ、星がなぜ光るか(熱核融合)も分かっていなかった。100億光年以上の広大な宇宙にたくさんの銀河が潜んでいることもだ。
賢治のみならず、天文好きの子供たちは、夜空に見える星座に親しむことで、宇宙への興味を満たしていたのだろう。
地球号に乗って
最後に、賢治が弟の宮沢清六に語った言葉を紹介しよう。
私達は毎日地球という乗物に乗っていつも銀河の中を旅行しているのだ。(宮沢清六『兄のトランク』ちくま文庫、1991年、22頁)
賢治が中学生の時に語った言葉だという。今から百年も前、一人の中学生が語った言葉だとは思えない。賢治は星座の中を自由に泳いでいたのだろう。
ときどき思う。賢治は今頃、どの星座で休んでいるのだろうか?
銀河鉄道は臨時停車してくれたのだろうか?
しばしの間、私も賢治の隣で休みたい。
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