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宮沢賢治の宇宙(90) 「星がすべった」これはいったい何だ?

ガス雲から星へ、星からガス雲へ

1900年代と1910年代は、星の研究が進み、スペクトル型などの定量的な研究が行われるようになった。そのおかげ、星間減光の様子から、星間ガスの性質も調べられるようになった。ちょうど賢治が活躍していた時代だ。賢治は天文学の進展と歩みを揃えるように生きていたことになる。

 星は生涯の最期に輝きを失う。それと同様に、明るい星雲も輝きを失い暗黒になる。たとえば、オリオン星雲は、今は明るく輝いている。しかし、大質量星がたくさんあるので、それらはいずれ超新星爆発を起こし死んでいく。それらが引き起こす爆風波は、オリオン星雲やその近くにある分子ガス雲を吹き飛ばしてしまうだろう。そして吹き飛ばされたガスは、どこか別の場所に集まり、そこで密度の高いガス雲が生まれる。暗黒星雲として観測されるだろう。そして、そこが新たな星を生む場所になる。

星とガスはこのような輪廻を繰り返しながら、天の川の中を旅していく。まるで、星とガス雲でできた銀河鉄道が天の川の中を進んでいくようだ。

「星がすべった」って何だ?

現在では、星やガス雲の性質はよくわかっている。その常識を持って、賢治の作品を読むと、理解できない話がときどき出てくる。
その例を紹介しよう。〔北いっぱいの星空に〕の初期形だ。

銀河のなかで一つの星がすべったとき
はてなくひろがると思われてゐた
そこらの星のけむりをとって
あとに残した黒い傷
その恐ろしい銀河の窓は
いったい空のどこだらう 
(『【新】校本 宮澤賢治全集』第三巻、校異篇、筑摩書房、1996年第、265頁)

銀河のなかで一つの星がすべったとき
この一文を読んで最初にイメージしたのは流れ星だ。星が流れる。星がすべる。まあ、似ている。
しかし、わからない文章が続く。

あとに残した黒い傷

黒い傷は暗黒星雲のことだろうか? しかし、流れ星は地球の大気の発光現象だ。暗黒星雲とは関係ない。こうなるとよくわからない。

まあ、いいか・そう思って済まそうとしていると、さらによくわからない一文が出てくる。

その恐ろしい銀河の窓は
いったい空のどこだらう

これまた、悩ましい。銀河の窓。これはいったい何か? 暗黒星雲でよいのかもしれない。しかし、窓を開けたら何が見えるのだろうか? こうして私たちは賢治の魔術に翻弄されていく。

銀河のそととみなされた星雲は何か?

賢治の魔術はさらに続く。

誤ってかあるひはほんたうにか
銀河のそとと見なされた
星雲(ネビュラ)はどれだらう 
(『【新】校本 宮澤賢治全集』第三巻、校異篇、筑摩書房、1996年第、265-266頁)

銀河のそとと見なされた
これまた、わからない。
銀河が天の川銀河であれば、その「外」なので、星雲は天の川銀河の外にある星雲、銀河系外星雲になる。つまり、系外銀河のことだ。例えば、アンドロメダ銀河だ。

確かに、アンドロメダ銀河は天の川銀河とは独立した別の銀河であることが判明した。1925年のことだ。米国の天文学者エドウイン・ハッブルはそれまで銀河系の中にある星雲だと思われていたアンドロメダ星雲の距離を測定した。約90万光年という値を得た(現在では約250万光年とされている)。天の川銀河の大きさは10万光年なので、明らかに天の川銀河の外にある。

では、銀河のそとと見なされた星雲(ネビュラ)はアンドロメダ銀河なのだろうか? 辻褄は合っている。ところが問題がある。〔北いっぱいの星ぞらに〕は1924年8月17日に書かれた詩だ。一方、アンドロメダ銀河が系外銀河であることがわかったのは1925年の1月である(ハッブルの論文が掲載された時期)。賢治が〔北いっぱいの星ぞらに〕を書いたとき、まだアンドロメダ星雲は天の川銀河の中にあるアンドロメダ星雲だったのだ。

今一度、問う。

銀河のそとと見なされた星雲はどれだらう

昭和の時代、科学評論家として活躍した草下英明も悩んだようだ。この文章の後に続く文章に疑問を呈している。

このあとに賢治は普賢菩薩が説いた、もろもろ仏界のふしぎな形が、花や円形、平べったい形のものとして、もっと遠い彼方に見えるだろうかといった数行が続いているのだが、これをどう定稿としてまとめようとしたのか、賢治亡き今ではその意図を知る由もない。 (『宮沢賢治 4』草下英明、洋々社、1984年、「賢治と宇宙」108頁)

まったく、そのとおりである。

アレニウスの影響?

さて、〔北いっぱいの星空に〕の初期形にある文章についていろいろ考えてみた。だが、どうにも理解できない。銀河のそとと見なされた星雲 これが何かわからないからだ。

そこで、最初の文章に戻るのが近道だと思った。
銀河のなかで一つの星がすべったとき
この文章の意味がわからないと始まらない。

星がすべる。すべると、その方向には星が見えなくなる。暗黒星雲のように見えるだろう。そう思った。しかし、本当にこれでよいのだろうか? この疑問を持ったとき、大塚常樹の解説を見つけた。アレニウスの『宇宙の進化』という本に説明があるというのである。要約すると次のようになる。

「星がガスに侵入すると、ガス雲に裂け目ができる。それが痕として残る。」

残る痕は暗黒星雲である。実際、「はくちょう座」の暗黒星雲の写真が掲載されているというのだ。

私の持っているアレニウスの『宇宙発展論』(図1)を調べてみた。以前のnoteではアレニウスの『最近の宇宙観』(アレニウス 著、一戸直蔵 訳、大鐙閣、大正9年 [1920年])を持っている話をした。

その後、本棚をもう一度探してみたら、『宇宙発展論』が見つかったのだ。なお、この本は最初、『宇宙の進化』というタイトルで刊行された(『宮沢賢治 4』洋々社、1984年、「賢治の宇宙論―銀河をめぐって」大塚常樹、84頁の注3参照)。宇宙の進化の方が一般的で分かりやすいタイトルのように思うのだが。

さて、『宇宙発展論』の頁をめくってみると、星がガス雲に突入する話が出ていた。そして、やはり「はくちょう座」の暗黒星雲の写真が掲載されている箇所を見つけた(図2)。

図1 アレニウスによる『宇宙発展論』(一戸直蔵 訳、大倉書店、大正3年 [1914年])の扉頁。本の色は紺色ではなく、深緑に近い色。『最近の宇宙観』と見比べると、色の違いがわかる。
図1 アレニウスによる『宇宙発展論』(一戸直蔵 訳、大倉書店、大正3年 [1914年])に紹介されている「はくちょう座」の暗黒星雲。

星とガス雲の衝突のみならず、星同士が衝突してガスを撒き散らし、星雲が生まれるなど、現在では考えられていない現象が議論されていたようだ。星やガス雲の性質がよくわかっていなかった時代なので、かえって自由な発想がされていたようだ。100年前の本には、案外面白いアイデアが眠っているのかもしれない。

銀河のそとと見なされた星雲の正体

星がガス雲を引き裂く話に戻ろう。

アレニウスは「暗黒星雲(銀河の窓)は星がすべってできた痕」だと考えていたのである。
銀河のそとと見なされた星雲 要するにこれは暗黒星雲のことなのだ。ところが、カムパネルラにとっては、暗黒星雲は普通のガス雲ではない。空の孔なのだ。

「あ、あすこ石炭袋だよ。そらの孔だよ。」カムパネルラが少しそっちを避けるようにしながら天の川のひととこを指さしました。ジョバンニはそっちを見てまるでぎくっとしてしまいました。天の川の一とこに大きなまっくらな孔がどほんとあいているのです。その底がどれほど深いかその奥に何があるかいくら眼をこすってのぞいてもなんにも見えずただ眼がしんしんと痛むのでした。 (『銀河鉄道の夜』、『【新】校本 宮澤賢治全集』第十一巻、筑摩書房、1996年、167頁)

そこは宇宙の裂け目であり、その先にあるのは私たちの知らない世界ということになる。暗黒星雲は外の世界へ通じる窓。これが銀河のそとと見なされた星雲の意味するところだったのだ。

そこにアンドロメダ銀河の出る幕はない。

銀河の外に繋がる星雲。ここで銀河は宇宙である。つまり、宇宙の外に繋がる星雲ということになる。こうなると、宇宙の外の意味を知りたくなる。

賢治は宇宙の外をどう考えていたのだろう?
草下英明の言葉を借りるとこうなる。
賢治亡き今ではその意図を知る由もない。

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