懐かしさの徒然に (3) サイコロ振って、振り出しに戻る旅
苫小牧発、仙台行きフェリー
大学時代、北海道の大学に通う友達と東北縦断旅行をしたことがあった。二人の友達は苫小牧発、仙台行きフェリーでやってきた。私が仙台に住んでいたからだ。フェリーに乗船した友達は私に電報を打ってくれた(図1)。
「八ヒ一〇ジツクムカエタノム」
これは「(10月)8日10時に着くので、迎えを頼む」という内容だ。7日の夜に電報を受け取った私は、翌日(8日)、朝早めに起きて仙台港に向かったのは言うまでもない。今ならスマホでライン連絡だが、当時はこんなアナログな電報が急ぎのときの通信手段だったのだ。懐かしい限りだ。
あのじいさん(爺さん)ときたら わざわざ見送ってくれたよ
「苫小牧発、仙台行きフェリー」。この言葉を聞くと、ひとつの曲が頭に浮かぶのは私だけではないだろう。「苫小牧発、仙台行きフェリー」。この言葉に続く歌詞は「あのじいさんときたら わざわざ見送ってくれたよ」だ。吉田拓郎の『落陽』という歌だ。この歌のシングル・レコードは1989年にフォー・ライフレコードから発売された。しかし、歌が生まれたのは1973年。その年の11月下旬、中野サンプラザでのコンサートで初披露された(なお、中野サンプラザは2023年7月に惜しまれながら閉館となった)。このコンサートはライブ盤『よしだたくろうLIVE’73』でリリースされ、『落陽』は大きな注目を集めた曲だった。
この曲の作詞は岡本おさみ(1942-2015)。森真一が歌って大ヒットした『襟裳岬』も岡本の作詞だ。『落陽』は岡本が北海道を放浪したときの出来事を詩にしたものだ。すごい旅をしたようだ。
アルビレオ号
友達が乗船した苫小牧発、仙台行きフェリーの名前は何か? 答えは電報(図1)に書いてある。「八ヒ一〇ジツクムカエタノム」のあとを見てほしい。「アルビレオニテ」とある。友達が乗船したフェリーの名前は「アルビレオ号」だったのだ(フェリー会社は太平洋フェリーだが、今は「アルビレオ号」の名称を持つフェリーはない;https://www.taiheiyo-ferry.co.jp/senpaku/index.html)。
アルビレオという名前は天文ファンなら誰でも知っている名前だ。アルビレオは「はくちょう座」で2番目に明るい星の名前である(図2)。
アルビレオの見かけの等級は3等星なので、肉眼で見える。実は、この星は青色と赤色の二つの星が織りなす二重星として有名なのだ。ただし、お互いの周りを回っている連星ではない。つまり、たまたま近い方向に見えているだけである。ところが、明るい方の赤い星は図2の写真ではわからないが、青い星より近いところに別の青い星があり、連星を成している。星は見かけによらないものだ。
実のところ、天の川の中の星の半数以上は連星である。太陽のような単独星の方が少ない。太陽が連星だった場合、私たちは二つの太陽を持つことになる。夜は来るのだろうかと心配になってしまう。太陽が単独星でよかったとしておこう。
アルビレオの観測所
当時は知らなかったが、アルビレオは宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に出てくる。第九節「ジョバンニの切符」の冒頭に出てくる。
「もうここらは白鳥区のおしまいです。ごらんなさい。あれが名高いアルビレオの観測所です。」 (『【新】校本 宮澤賢治全集』第十一巻、筑摩書房、1996年、148頁)
銀河鉄道は白鳥区を過ぎようとするところでこのアルビレオ観測所を見る。そして、鷲(わし)の停車場を越え、終着駅である南十字へ向かう筋書きになっている。
アルビレオの観測所は「水の速さをはかる器械」とされているが、この観測所のモチーフになったのは、岩手県水沢市(現在の奥州市)にあった緯度観測所である(現在の国立天文台水沢VLBI観測所)。賢治は何回か緯度観測所を訪れていたので、童話の中に登場させたのだろう。
当時、『銀河鉄道の夜』の内容を知っていたらよかったのにと思った。もし知っていたら私はこう思ったことだろう。「ああ、友達は今、銀河鉄道に乗っているのだ!」
また振り出しに戻るのか?
拓郎の『落陽』に戻ろう。この曲の作詞をした岡本おさみは北海道の旅を終えるとき、ひとりの爺さんと知り合いになった。そして、フェリーで苫小牧を離れるとき、爺さんからお土産をもらった。なんと、ふたつのサイコロだ。博打うちの爺さんらしい。岡本は土産のサイコロを眺めて思った。
みやげにもらったサイコロふたつ
手の中でふればまた振り出しに
戻る旅に陽が沈んでゆく
旅とは不思議なものだ。旅立ったつもりでも、戻る先はいつもの家だ。こうして私たちは振り出しに戻る旅に育てられているのだ。
西の空を見れば、今日も、陽が沈んでいく(図3)。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?