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『銀河系』のお話し (3)『銀河系』という言葉はいつから使われていたのか?

カバーの全天写真は「2ミクロン・オール・スカイ・サーベイ」の成果です。https://www.ipac.caltech.edu/2mass/gallery/images_misc.html

「銀河のお話し」の状況設定と同じです。

「the galactic system」 はいつから使われていたのか?

宮沢賢治は「銀河系」という言葉を1923年に使っていた。つまり、ハッブルの1936年の本が銀河系という言葉の起源になっているわけではな買ったのだ。では、賢治はどこで銀河系という言葉を知ったのか? この疑問の解明は重要だ。いつ、誰が銀河系という言葉を発明し、日本でその言葉が流布するようになったのか? この疑問の解明に直結しているかもしれない。

輝明はインターネットを使って、いろいろ調べてみることにした。すると、いくつかの重要な情報を得ることができた。明日の優子との打ち合わせを楽しみにして、その日は眠りにつくことにした。とはいえ、もう夜明けが近かったのだが。

 そして、翌日の放課後、部室で優子と会った。 輝明は開口一番、昨夜の発見を優子に知らせた。
「ハッブルの1936年の教科書の前にも、the galactic systemという言葉は使われていたよ。」
「えっ? やっぱりそうだったんですか!」
「うん、論文を三つ見つけた。」
輝明はまたパソコンと取り出し、スライドを見せてくれた(図1)。

図1 「Galactic System」という言葉が用いられている論文。 [1] A New Theory of the Milky Way, Easton, C. ApJ, 12, p.136-158 (1900年)コーネリアス・イーストン(1864-1929)はオランダ人で、この論文はオランダの学術論文集に掲載された。論文題名「ミルキーウエイの新しい理論」。 [2] On the Galactic System With Regard to Its Structure, Origin, and Relations in Space, Bohlin, Karl, Upsala & Stockholm Almiqvist & Siksells Boktryckeru-A. -B.(1909年)カール・ボーリン(1860-1939)はスエーデンの天文学者。ウプサラ天文台での球状星団の観測に基づいて銀河の構造を議論した本。著書名「空間の構造、起源、および関係についての銀河系論」。 [3] 「Globular Clusters and the Structure of the Galactic System」Shapley, H. Publications of the Astronomical Society of the Pacific, Vol. 30, No. 173, p.42 (1918年) ハーロー・シャプレー(1885-1972)はアメリカの天文学者。球状星団の分布の異方性から天の川の構造を議論。論文題名「球状星団と銀河系の構造」。

このスライドを見て優子が聞いてきた。
「これら三つの論文は、どんな内容なんですか?」

「最初に紹介した論文の著者、イーストンはパリのソルボンヌ大学では語学を専攻したので、天文学を本格的に学んだことはなかった人だ。実際、職業は新聞や雑誌の記者だった。ところが趣味が、天の川の詳細なスケッチを描いて楽しむことだった。そのスケッチから出発して、天の川の渦巻星雲モデルを1900年に提唱したんだ(図1)。」


図1 イーストンが1900年に提唱した天の川銀河の構造。太陽系はこの図の中心部に位置しており、天の川銀河の中心は左にある最も密度の高い場所にある。この図はイーストンの論文の図6(157頁)。 https://articles.adsabs.harvard.edu/pdf/1900ApJ....12..136E

輝明は話を続ける。
「このイーストンの天の川銀河のモデルはかなり新規性があった。何しろ、太陽系がその中心にはないことを観測に基づいて提唱したからだ。そのため、結構メディアには取り上げられたかもしれないね。」

 優子は気になったことを輝明に質問した。
「日本ではどうだったんでしょうか?」
「『最近の宇宙観』(スヴァンテ・アレニウス 著、一戸直蔵 訳、大鐙閣、大正九年)で紹介されている。この本は1920年に出ているから、宮沢賢治も読んだ可能性はあるね。」
「でも、イーストンの論文のタイトルにある言葉は「銀河系」じゃなくて、「ミルキーウエイ」だったんですね。」
「彼はオランダ人。しかも、もともとはアマチュアの天文家だから、「銀河系」、「the galactic system」よりは「ミルキーウエイ」を選ぶだろうね。これは仕方ない。」

 優子は納得した。そして、また、質問した。
「二番目の論文は?」
「二番目と三番目の論文には共通のキーワードがある。それは球状星団だ。」

最初は渦巻、今度は球状星団。いったい、どういうことだろう? 優子は輝明の説明を聞くことにした。

「天の川銀河の周りには球状星団がある。ところで、球状星団のことは知っているかい?」
「はい、天の川銀河のハローの部分にある星団ですね?」
「銀河の円盤部にある散開星団とは違って、年老いた星々が数十万個から百万個も球状に集まっている星団だ。天の川銀河の周りには約150個の球状星団が見つかっている。」輝明は天の川銀河の模式図を見せてくれた(図3)。

図3 球状星団の分布。球状星団は天の川銀河のハローにある星団で、太陽質量より軽い星が数十万個から百万個も集まっている。右の写真は球状星団の一例で、「さそり座」のM80。

それを見て、優子には思いついたことがあった。
「銀河の円盤を太陽、球状星団を惑星だと思えば、銀河系という言葉も理解できますね。」
「おおっ!素晴らしいアイデアだ。」

優子もまんざらでもない様子だ。
「ただ、問題はある。なぜなら球状星団はどの銀河の周りにもある。アンドロメダ銀河にもある。昨日の議論に出てきたように、なぜ同じようにアンドロメダ銀河系と言わないのか?」
「そうでした。その問題がありますね。」

英語で書かれた専門誌を誰が読むのか?

イーストンの論文は1900年、ボーリンとシャプレーの論文はそれぞれ1909年と1918年に出ている。ハッブルの本が出た1936年に比べればだいぶ前のことだ。果たして、賢治はこれらの論文を目にすることがあったのだろうか? 優子には判断できなかった。そんな優子の気持ちを読み取ったのか、輝明が話を始めた。
「普通の人がこれらの学術論文を読んで、そこに出てくる言葉を実際に使うことがあるだろうか?」

優子は首を横に振った。

「そうだよね。まず、学術論文をどうやって読むかという問題がある。天文学科のある大学の図書館なら論文を探すことができるだろう。しかし、普通の本屋さんには並んでいないわけで、僕たちが読むのは不可能だ。もちろん、今のようにインターネットが普及していれば、不可能ではない。しかし、百年以上も前のことだから、それは無理だ。」

 この話を聞くと、賢治がこれら二つの論文を読んだとは、優子には思えなかった。

明治から大正、昭和の初め頃の天文学の教科書

「宮沢賢治が生きていた時代、銀河系という言葉はどの程度使われていたのか気になります。」

「そうだったね。ということで、またまた神田神保町のパワーに頼ることにしよう。賢治が生きていた時代、明治、大正から昭和の初め頃の天文学の教科書や解説書を探してみた。明治十二年から昭和六年まで、十九冊もあった。これらの本に天の川、銀河、銀河系などのキーワードが出ているか調べてみた結果をまとめてみた。」

輝明はそのまとめをスライドに出してくれた(表1)。


1 『洛氏天文学』文部省。上冊・下冊の二分冊。『Elements of Astronomy』(J. N. Lockyer、1870年)の翻訳本。著者のLockyer(ロックヤー)を洛氏としている。『Elements of Astronomy』の原著の索引を見ると、銀河関係では「Galaxy」と「Milky Way」が出ている。 2 『改訂 天文講話』横山又次郎、早稲田大學出版部、明治三十五年が初版だが、購入したものは昭和二年刊のもの(弐圓八十銭) 3 『星學 全』須藤傳次郎、 博文館、明治三六年 (三十五銭、改正定價四十銭の印鑑あり) 4 『高等天文学』一戸直蔵、博文館、明治三十九年(六十銭) 太陽、月、地球、および観測天文学を詳細に解説した教科書だ、銀河や星雲に関する記述はない。 5 『改訂 天文地学講話』横山又次郎、早稲田大學出版部、明治四十二年が初版だが、購入したものは大正十二年刊のもの(弐圓八十銭) 6 『星』一戸直蔵、裳華房、明治四十三年(壱圓五十銭) 7 『宇宙発展論』『最近の宇宙観』スヴァンテ・アレニウス 著、一戸直蔵 訳、大倉書店、大正三年(壱圓八十銭) 銀河は天の川銀河と螺状星雲の二つの意味で用いられている。 8 『趣味の天文』戸直蔵、現代之科學社、大正五年(壱圓二十銭)倉書店、大正三年(壱圓八十銭) 銀河は天の川銀河の意味で用いられている。アンドロメダ星雲までの距離は十九光年になっている。 9 『天文学六講』一戸直蔵、現代之科學社、大正六年(価格は不明) 銀河と銀河系は区別なく用いられている(第五講の中、例えば227頁)。また、「吾が銀河系」という言葉も出てくる(230頁)。 10 『通俗講義 天文學 下巻』一戸直蔵、大鎧閣、大正九年(三圓五十銭)
11 『最近の宇宙観』スヴァンテ・アレニウス 著、一戸直蔵 訳、大鐙閣、大正九年(四圓七十銭) 12 『天文學汎論』日下部四郎太、菊田善三、内田老鶴圃、大正十一年(価格は不明) 第27章では、章のタイトルに「銀河系」が使われているが、冒頭に「銀河は天之川とも称せられ・・・」とあるだけで、銀河系という言葉の説明はない。 13 『星の科學』原田三夫、新光社、大正十一年(価格は不明) 14 『肉眼に見える星の研究』吉田源次郎、警醒社、大正十一年(参圓五十銭) 15 『宇宙の旅』 H. H. ターナー 著、大沼十太郎 訳、新光社、大正十三年(弐圓六十銭) 銀河が用いられているが、一箇所で次の記述がある。“吾々の集団(銀河系の宇宙)”(355頁)。 監修は東京天文台の平山清次(きよつぐ)、翻訳者の大沼十太郎は平山の親戚とのことである。なお、平山(1874-1943)は太陽系の小惑星の中で同じ運動学的な性質を持つ「平山族(ヒラヤマ・ファミリー)」という小惑星の一群を同定したことで、国際的に有名である。 16 『星のローマンス』古川龍城、新光社、大正十三年(弐圓) 宇宙系統という言葉が出ているが(32頁)、現代風に言うと系外銀河のことである。 17 『天界片信』関口鯉吉、興学会出版部、大正十五年(弐圓五十銭) 大銀河系と小銀河系という用語あり。球状星団を含むものが大銀河系。 18 『空の神秘』(誰にもわかる科學全集第二巻)原田三夫、國民図書、昭和四年(壱圓) イーストンの天の川の渦巻形状(図9)が紹介されている(302頁)。 19 『天文學概論』本田親二、教育研究會、昭和六年(弐圓五十銭)ハッブルの1926年の論文(The Astrophysical Journal, 64, pp. 321-369 “Extra-Galactic Nebulae”)を引用してハッブル分類について説明してある。

「ずいぶん、あるんですね!」
 優子は表1を見て、目を丸くした。
「定価は1円から4円ぐらいですね。今でいうと、いくらぐらいなんでしょうか?」
「大正時代の1円は現在の4000円に相当する。2円50銭なら、一万円だ。結構なお値段だね。」
「今だと、天文学などの教科書は2000円から3000円ぐらいでしょうか。それに比べると、すごく高いですね。」
自然科学を学ぶ人は少なかったのだろうか? 理由はさておき、輝明も優子と同じ意見だった。

気を取り直して、優子は輝明に聞いた。
「それで、銀河系という言葉の起源はわかったんですか?」
「残念だけど、わからなかった。最初に「銀河系」という言葉出てきたのは一戸直蔵の『天文学六講』という本だ(文献9)。大正六年、1917年のことだ。」
「ハッブルの教科書の出版が1936年。翻訳本が出たのは1937年でした。20年ぐらい遡ることができましたね。」
「神保町のおかげだよ。ただ、一戸直蔵の本では銀河と銀河系が区別なく用いられている。また、「銀河系」という言葉は、説明なしで使われている。」
「それじゃあ、しょうがないですね。いずれにしても、「銀河系」という言葉が使われ始めたのは1917年より前なんですね。」
「そう考えるしかない。その一年前の1916年に、一戸直蔵は『趣味の天文』という本を出しているけど(文献8)、そこには「銀河」は出てくるが、「銀河系」は出てこない。これも重要な情報かもしれないね。」

優子も表1を見て、同じ感想を持ったので頷いた。輝明はさらに説明を続ける。

「この表1を見るとわかるけど、一番出てくる言葉は銀河だ。これはもちろん僕たちが住んでいる天の川銀河のことを指している。一方、銀河系という言葉もそれなりに使われている。ところが、なぜその言葉を使うか、どの本にも理由は書いていなかった。ただ、吉田源次郎の『肉眼に見える星の研究』(文献14)には銀河系宇宙という言葉の説明はあった(図4)。」

輝明はその説明を示すスライドを見せてくれた。


図4 吉田源次郎の『肉眼に見える星の研究』(文献14)にある「銀河系宇宙」の説明。「太陽系」と「宇宙(銀河系)域外の宇宙」の説明も併記されている(42頁)。

「吉田源次郎の定義によれば「銀河系宇宙」は太陽系+恒星+星団+ガス状星雲になる。これをひとつの系と見なして銀河系というわけだ。この本は宮沢賢治の愛読書だったことが知られている。賢治もこの頁を見て銀河に想いを馳せんたんじゃないだろうか。」
「賢治はこの本を読んで銀河系という言葉を知ったのかもしれませんね。でも、この本が銀河系の定義を与えたと考えていいんでしょうか?」
「そこがまた悩ましい。なぜなら銀河系という言葉は1917年に使われている。一戸直蔵の『天文学六講』だ(文献9)。ただし、そこにも定義の説明はなかった。吉田源次郎独自の説明かもしれない。」
「うーん、困りましたね。」
「ということで、銀河系という言葉の起源はよくわからないままだ。」

また、付け足すように輝明はつぶやいた。
「あと、意外だったのは「天の川」という言葉がほとんど出てこないことだ。これは教科書のせいかもしれない。そしてもうひとつ、「天の河」の方が圧倒的に多い。これは時代のせいかな。」

この調査で輝明はひとつ面白い本に出会った。それは原田三夫の『星の科學』(文献13)だ。原田三夫(1890-1977)は天文学者ではなく、科学ジャーナリストである。銀河系の話が出てくるか眺めていたら、次の文章を見つけた。

この銀河系 - かやうに天文学者は、その世界を呼ぶのである (293頁)

この表現には、なんとなく突き放したような雰囲気を感じる。つまり、「天文学者は銀河系と呼んでいるけどね」みたいな。この『星の科學』は1922年に出ている。一戸直蔵の『天文学六講』(1917年)に遅れること5年だね。少なくとも1917年以前に銀河系という言葉はある程度一般に流布していたんだろう。
ところで、著者の原田は雑誌『子供の科学』の初代編集長なんだ。この雑誌の創刊は1924年。賢治がこの雑誌を読んでいたかはわからないけど、原田は有名な人だったので『星の科學』を読んでいた可能性はあるかもしれない。なお、原田は『空の神秘』(1929年)でも天文学を平易に解説している(表1の文献18)。かなりのやり手の人だったんだろうね。」

The galactic system、再び

「なんだか、100年前の方が、言葉遣いは自由だったんですね。でも、結局、銀河系という言葉の由来はよくわからないですね。」
「イーストンやシャプレーはハッブル以前にthe galactic system という言葉を使っている。また、さっき話したように、本田親二の『天文學概論』ではハッブルの1926年の論文に基づいてこの言葉を使っている。巷にどの程度流布していたかはわからないけど、天文学者には馴染みの言葉だったんじゃないだろうか。」
「そうですね。」
「ということで起源はthe galactic systemということで一件落着ということにしよう。」

「銀河系をめぐる旅、面白かったです。あっ、違った。「銀河系」という言葉を巡る旅でした。」
「たしかに、面白かったね。この旅は。」
しかし、疑問は残ったままだ。それは、優子も同じようだ。

「やはり、銀河系という言葉をどう使うか、わかりやすい説明が必要ですね。初学者の人は混乱すると思います。私もその一人ですが。」
「僕もそうだよ。ここまでの話をまとめるとこうなるかな。」

 輝明はスライドでまとめを見せてくれた(図5)。


図5 『銀河系』という言葉の起源を調査した結果のまとめ。

「やっぱり、天の川銀河を銀河系と呼ぶのは論理的におかしいように思います。もし、天の川銀河が銀河系なら、さっきも言ったように、アンドロメダ銀河もアンドロメダ銀河系と呼ぶべきです。というより、すべての銀河は銀河系になってしまいます。」
「結局、私たちが取るべき道は次のようになるね。」

 輝明は用意していた最後のスライドを見せてくれた(図6)。


図6 私たちの住んでいる銀河の名称に関する提言。

「こんな感じかな。」
「はい、それでいいと思います。」
とはいえ、輝明と優子の気持ちがスッキリ晴れたわけではなかった。いつ、誰が「銀河系」という言葉を考え出したのか、そしてそれがどうやって世間に広まったのか? これらの答えはわからないままだ。

「まあ、いいか・・・。」
二人はそういうしかなかった。
こうして二人の長い放課後は終わった。

「今度、また古書店で昔の天文学の教科書を探してみるよ。」

輝明の長い長い放課後は、まだまだ続くようだ。


<<<これまでのお話し>>>

『銀河系』のお話し(1) 僕たちの住んでいる銀河は,なぜ『銀河系』と呼ばれるのか?
https://note.com/astro_dialog/n/n45824f0b6272

『銀河系』のお話し(2) 宮沢賢治は,なぜ『銀河系』という言葉を知っていたのか?
https://note.com/astro_dialog/n/nfcea0e50e032


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