ゴッホの見た星空(4) 緑色の星はないが、緑色の星雲なら?
緑色の星は存在しない
緑色の星は存在しない。そして、バラ色の星も存在しない。このことは、先のnote、「ゴッホの見た星空(3)バラ色の星はあるのか?」で説明した。https://note.com/astro_dialog/n/n4f8cf1511c02
この原因は、星の放射は連続光であり、さまざまな波長帯で光っているためだ。そのため、色は弱まり、星は白色に見える。ところが、ゴッホの目にはカラフルな星が見えたようだ。
緑、黄色、白、バラ色の星たちは、僕らの故郷より、さらにはパリよりも明るく、宝石のようにもっときらめいていた。オパール、エメラルド、瑠璃、ルビー、サファイア色と言った方がいいだろうか。(『ファン・ゴッホの手紙 II』圀府寺司 訳、新潮社、2020年、226頁)
ゴッホのこの文章は物理的には成立しないが、ゴッホの眼にはそう見えたのだろう。
夜空の星がさまざまな色で輝いていたら、壮観であることは間違いない。どこかに、緑色の星はないのだろうか? もし、緑色の星があるとすれば、その星はほぼすべての放射を、今度は波長500ナノメートル辺りで出していなければならない。その他の波長帯では、放射の強度がほぼゼロでなければ緑色の星には見えないからだ(図1)。残念ながら、そういう星は、この宇宙に一個もない。
したがって、論理的にはゴッホの主張はおかしい。
緑、黄色、白、バラ色の星たちは、僕らの故郷より、さらにはパリよりも明るく、宝石のようにもっときらめいていた。
ゴッホはどうやって緑、黄色、白、バラ色の星たちを見たのだろう。私のような凡人にも可能なら、あやかりたいものだ。
緑色の星雲ならある
緑色の星は存在しない。これは確かである。しかし、驚くべきことに、緑色の星雲は存在する。星ではなく星雲(雲状のガス)だが、せめてもの慰めということで、ここで紹介しておこう。
緑色の星雲。それは「こと座」の方向に見える環状星雲(リング星雲)、M57である(図2)。距離は2600光年。天の川銀河の大きさ(直径)10万光年に比べれば、大した距離ではない。しかし一光年は10兆キロメートルなので、それなりに遠い。
さて、この環状星雲M57はなぜ、緑色の星雲なのだろうか? 図2にある写真を見る限り、必ずしも緑色の星雲ではない。そこで、図3を見てみよう。この図の右側には、なんと綺麗な緑色のリングが見えているではないか! これが緑色の星雲である。光っているのは2階電離した酸素イオンである。このスペクトル線(輝線)の波長は約500ナノメートルなので、まさに緑色だ。
ただ、この写真には赤いリングも見えている。これは水素原子の放射するHαと呼ばれるスペクトル線(輝線)である。波長は656ナノメートルなので、真っ赤である。写真の感度が赤の方で高いので、赤いリングの方がはっきり見えている。しかし、もし肉眼で見たら、赤い光は見えにくい(目の感度が低い)。そのため、肉眼で環状星雲を見ることができたら、緑色の星雲に見える。
ここで注意しておくと、星雲の色は必ず緑色になるわけではない。実際、M57でも水素原子の放射するHα輝線が結構強い。酸素の輝線よりHα輝線の方が明るければ、星雲は赤い色で見える。結局、星雲の色はどのスペクトル輝線が強いかで決まる。
さて、この緑色の星雲を肉眼でぜひ見てみたいものだ。ところが、この星雲のみかけの等級は8.8等。肉眼で見えるのは6等星までだ。見たければ、双眼鏡か望遠鏡を使うしかない(望遠鏡の口径は10センチメートルもあれば十分見える)。
環状星雲M57の可視光スペクトルを図4に示した。2本の明るいスペクトル線(輝線)があるが、星のような連続光はない。
夜空に虹を見よ!
星の色を調べるには、星のスペクトルを撮ればよい。つまり、分光観測である。ゴッホも弟のテオに光スペクトルの重要性を説いている。
497 ニューネン 1885年4月30日 木曜日
色彩に関して言えば、光スペクトルの分解の問題とは君もいずれ取り組むことになるだろう。なぜなら、美術の専門家、批評家としては、自分の専門領域に通じ、確信も持っていなければならないと僕は思うからだ。(『ファン・ゴッホの手紙 II』圀府寺司 訳、新潮社、2020年、86頁)
こう言われては、私たちも勉強せざるを得ない。
混乱する宮沢賢治
環状星雲M57は童話『土神ときつね』でも解説されているので、見てみよう。
「・・・それから環状星雲《リングネビュラ》というのもあります。魚の口の形ですから魚口星雲《フィッシュマウスネビュラ》とも云いますね。そんなのが今の空にも沢山あるんです。」
「まあ、あたしいつか見たいわ。魚の口の形の星だなんてまあどんなに立派でしょう。」
「それは立派ですよ。僕水沢の天文台で見ましたがね」 (『【新】校本 宮澤賢治全集』第九巻、248頁、筑摩書房)
ここに出てくる水沢の天文台は、当時の東京大学東京天文台水沢緯度観測所のことである(現在は国立天文台水沢VLBI観測所)。童話『シグナルとシグナレス』では、M57を迷わずフィッシュマウスネビュラとしている。この童話は東北本線の電信柱シグナルと岩手軽便鉄道の電信柱シグナレスの恋の物語である。
「結婚指環(エンゲージリング)をあげますよ、そら、ね、あすこの四つならんだ青い星ね」
「えゝ」
「あのいちばん下の脚もとに小さな環が見えるでせう、環状星雲(フィッシュマウスネビュラ)ですよ。あの光の環ね、あれを受け取ってください。僕のまごころです」
「えゝ。ありがたう、いただきますわ」 (『【新】校本 宮澤賢治全集』第十二巻、149頁、筑摩書房)
M57をフィッシュマウスネビュラと呼ぶのは、聞いたことがない。科学評論家の草下英明(1924-1991)もこのネーミングに疑問を呈している(『宮澤賢治と星』、学芸書林、1975年、36-37頁)
・・・環状星雲というのは指環のようなリング状のガス星雲で、これを魚の口を真正面から見た形として魚口星雲と呼んだのは、なかなか穿っていて面白いが、寡聞にして私は環状星雲やアンドロメダ星雲のそういう別名を未だ書物で読んだことはない。もちろん吉田氏の本(『肉眼に見える星の研究』吉田源次郎、警世社、1922)にも書かれていないのであるが、ただ環状星雲の写真は載っているから、それを見た直観からの賢治の造語と解釈しても差支えはないが、どうも私は別の書物から得た知識と考える方が妥当だと思っている。
さすがの賢治も混乱したのだろうか。
東京大学・木曽観測所の超広視野カメラ
図3の虹の写真は結構大掛かりな装置で得られたものだ。まず、望遠鏡は長野県の木曽観測所にある口径105 cmのシュミット望遠鏡である(図5左)。この望遠鏡は東京大学天文学教育研究センターが運用している。
木曽観測所のシュミット望遠鏡は言うなれば大型の広視野カメラである。一回の撮影で6度四方の天域の写真が撮れる。満月の見かけの大きさは0.5度なので、満月を並べたら12個×12列=144個が一挙に撮影できる(現在は写真乾板ではなく、CMOSセンサーと呼ばれるデジタルカメラが用いられている)。
図3の右に示したような天体の虹を撮影する場合は、望遠鏡の先端部分にプリズム(対物プリズムと呼ばれる)を装着して観測することになる(図5右)。これは撮像と分光を同時にやるようなもので、得られる情報量は多い。
ところで、この撮像・分光同時モードは、皆さんお持ちのスマホについているカメラのレンズの前にプリズムをつければ良い。ただし、ピンボケになるだろうが。プリズムが手近にあったらお試しを。