宮沢賢治の宇宙(15) 風と会話する賢治、再び
「どうどう」は堂々と紹介されている
どっどどどどうど どどうど どどう
宮沢賢治の童話『風の又三郎』に出てくる風の音だ。
前回のnoteで紹介したように、岩手県では、風は「どう」と吹く。それならば、賢治の童話で風が「どう」と吹いても問題はない。
では、風の音は「どう」と表現されることがあるのか? 『広辞苑』(第7版、岩波書店、2013年)で調べてみたら、風の音としての「どう」は出ていなかった。ところが、「どうどう」はあった!
① 足音高くふみならす音。
② 水・雨・波・風が激しく鳴り響く音。
風の音として「どうどう」は、堂々と紹介されているのだ。
風の音が鳴る理由
風はなぜ音を出すのか? 風は空気の流れだ。もし、静かに流れているだけなら(「層流」と呼ばれる)、音はほとんどしない。音は空気の振動が鼓膜に伝わって聞こえる。したがって、空気が振動しなければ音はしない。
空気の流れが乱れると(「乱流」と呼ばれる)、空気中に含まれる分子同士が衝突して、音が出る。たとえば、松風の場合、風が松の木の幹や枝に衝突して、乱流となる。その振動が音として出ることになる。この乱流は多数のカルマン渦と呼ばれる渦構造を作る(図1)。
註:カルマン渦については以下のnoteを参照して下さい。
「ゴッホの見た星空(19) 《星月夜》の渦巻はミストラルなのか?https://note.com/astro_dialog/n/n710ea0863e99
例えば風が強い日には街中の電線が「ひゅうひゅう」音をたてている。電線は細い。したがって、風が吹き抜けて電線のあとに生じた乱流のサイズは小さい(波長が短い)。したがって、周波数は高くなるので、高い音が出る。一方、樹木の太い枝や幹は電線に比べれば太いので、ぶつかった風は、より低い音を出す。
つまり、風が速ければ速いほど、風が揺さぶる物体が細ければ細いほど、振動の周期が短くなって高い音が出る。
一本の木でも形状は複雑だ。根本に近い太い幹と、梢の細い枝では、生じる乱流のサイズに差が出る(図2)。さらに、林となれば、風はより多くの衝突を経験する。さまざまな振動数の乱流が形成されると、音はそれらを足し合わせになる。その結果、乱流の波長が伸びて、振動数は下がる。これは音の「唸り」と呼ばれる現象だ。さまざまな波長の音が合成されたものなので、低音だけど、大きな音になる(ブーンとか、ドーンいう音)。
もうひとつ留意すべきことがある。それは音源と私たちの距離だ。音速は約340メートル/秒である(気温が15℃の場合)。音源が3.4キロメートル離れたところにあると、そこで鳴った音は10秒後に聞こえる。その間、空気の振動は空気中を伝播してくるが、通過する空気と衝突して振動数が変化する。波長の短い振動(高音)の方が影響を受けやすいので、高音は弱くなる傾向にある。つまり、聞こえやすい音は低音になる。
賢治は山歩きが好きだった。賢治の周りにはいつもたくさんの木があった。細い木、太い木、背の低い木、背の高い木、枝のたくさんある木。風はさまざまな音で賢治に語りかけたはずだ。賢治はそれを、お得意の心象スケッチで作品に書いた。
イーハトーブに行くのが一番!
賢治関係の本を紐解くと、『風の又三郎』はよく取り上げられているが、風の音はオノマトペという括りで紹介されているだけで、詳しい解説は見当たらない。困ったものだと思っていたら、オノマトペ研究者である小野正弘の文章に出会った。小野は岩手県人である。
「秋口の台風シーズンに、機関銃で撃たれるような圧力のある風は子どもの頃に感じていました。どうっ、と瞬間だけ吹いてくるのではなく、どっどどどどうどと連打して吹いてきて、賢治も実際こんな強い風を受けていたのかもしれませんね」(「専門家が語る宮沢賢治のオノマトペ」小野正弘、『ダ・ヴィンチ』2023年6月号、28頁)
やはり賢治の故郷、イーハトーブ・岩手県に行くしかなさそうだ。
小野はさらに続ける。
「・・・感じたものをただそのまま書いたわけではなく、賢治自身のフィルターを通して一番ハマる言葉を選びに選んで書いていったはず。その結果、あの独特のオノマトペが生まれたのでしょう」
なるほど、これで納得できた。
英語で「どっどどどどうど どどうど どどう」
英語では「どっどどどどうど」をどのように表現するのか? これは気になる。ロジャー・パルバースによる『風の又三郎』を見てみよう。
Howl and thunder … howl roar HOWL!
Wind, blow off the fresh-green walnuts
Wind, blow off the sour quinces
Howl and thunder … howl roar HOWL! (『『風の又三郎』を英語で読む』ロジャー・パルバース、コスモピア、2023年、14頁)
意外にも、パルバースの英訳ではオノマトペは使われていない。風の唸りということで howl という言葉が採用されている。文末ではHOWL!と繰り返されるので、オノマトペ的な雰囲気は残されている。また、roar は吠えるとか、とどろきという意味である。これも、意味的には繰り返しの効果がある。
日本語と英語の作法の違い
英訳でオノマトペが使われていないが、これは日本語と英語の作法の違いだと考えればよい。日本語では副詞で動作の状況を表すが、英語では動詞で状況を表すためである。
たとえば、泣くという状況を日本語ではメソメソ泣くとか、わあわあ泣くとか、副詞で泣くという動詞を補う。それで、泣く様子がわかる。
ところが、英語は違う。cry(一般的な「泣く」という言葉)とかweep(静かに涙を流すような泣き方) とか、動詞そのもので、泣く様子を区別する。
オノマトペは形容詞として用いられることもあるが、多くの場合、副詞として用いられる。風がそよそよと吹く。雨がザアザア降る。「吹く」、「降る」。これらの動詞を「そよそよ」、「ザアザア」という副詞で状況を説明している。つまり、日本人は副詞の使い方が上手い。賢治は日本人でよかったのだ。
平安時代に戻ってみたら
最後に、風の音を詠んだ平安時代の和歌を楽しもう。
秋来(き)ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
これは平安時代の歌人、藤原敏行の詠んだ歌である(図3)。『古今和歌集』(秋歌上169)に掲載されている歌だ。子供の頃、国語の授業でこの歌を知った。
この歌で興味深いのは「風の音にぞおどろかれぬる」の部分だ。周りの風景を見ると、まだ夏であり、秋の気配は見えない。ところが、風の音に驚いた。ひょっとして、風はどうと鳴ったのか?
ちなみにこの歌は秋立つ日(立秋)に詠まれたものである。旧暦では7月、新暦では8月上旬(8日頃)。秋は夏のうちに仕込まれているのだ。
ところで、藤原の歌は京の都で詠まれたものである。考えてみれば、山に挟まれた地形という意味では京都も花巻も似ている。近畿地方と東北地方では吹く風の様子は違うかもしれないが、ときとして風の音は似る。
もう一首見ておこう。
吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしといふらむ
こちらは平安時代の歌人、文屋康秀(ふんやのやすひで)の歌である。文屋康秀も三十六歌仙の一人。この歌は『古今和歌集』(秋歌下249)と『小倉百人一首』に掲載されている。「むべ」は「なるほど」という意味。山風。山を風の上に移せば「嵐」。それはさておき、山風は山から吹き降りる強い風だ。やはり、力強い音がするはずだ。
結局、平安の時代から、人々は風に親しんできたことがわかる。賢治はその作法を受け継いでいるだけだ。
「風よ、さあ吹くぞ!」
「おうよ、任せとき! どっどどどどうど!」
風と会話できる賢治さんは幸せだ。
賢治さんに一言だけ言っておきたい。
「みんな、風の音が好きなんだよ。」
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宮沢賢治の宇宙(14) 風と会話する賢治https://note.com/astro_dialog/n/nff631091cfb9