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宮沢賢治の宇宙(11) ポラーノの広場はどこですか?

地名がいざなう賢治童話の世界

天沢退二郎(1936-2023)は詩人・フランス文学者だが、宮沢賢治の全集の編集者としても名高い。その天沢は次の言葉を残している。

「一言にして言えば、文学作品の場合、地名は生命である。特に宮澤賢治の場合、地名の重要性は多岐にわたっている。そして、その重要性は根源的である。(『宮澤賢治イーハトーヴ学事典』天沢退二郎、金子務、鈴木貞美 編、弘文堂、2010年、325頁)

『ポラーノの広場』

宮沢賢治の童話に『ポラーノの広場』がある。主人公はイーハトーブのモリーオ市(盛岡)の博物館に勤めているレオーノ・キューストという人だ。前一七等官という役職についている。この童話はキューストが執筆して、宮沢賢治が訳述した形式になっている。賢治の童話の中では、異色の作品だ。

キューストは、いなくなった山羊を探しに行ったとき、農夫のファゼーロたちと友達になり、ポラーノの広場を探しに行くことになった。広場にたどり着くには、つめくさの灯りが頼りになるという。その広場にはオーケストラも、お酒も、何でもある。楽園のような場所だ。さあ、キューストたちの旅が始まる。結構な長旅にな李、結局、7年がかりの物語として紡がれる。そして、最後は“ポラーノの広場の歌”を歌って大団円となる。この歌は一番から三番まであるが、一番は「つめくさのはなの終わる夜は」という意味深な歌詞で始まる。

つめくさのはなの 終る夜は
ポランの広場の  秋まつり
ポランの広場の  秋のまつり
水を呑まずに   酒を呑む
そんなやつらが  威張っていると
ポランの広場の  夜が明けぬ
ポランの広場も  朝にならぬ。
(『【新】校本 宮澤賢治全集』第十一巻、筑摩書房、1996年、122頁)

ポラーノの意味

ところで、ポラーノとはどういう意味なのだろう? 原子朗の『定本 宮澤賢治語彙辞典』(筑摩書房、2013年)を紐解いてみると、八つの候補が紹介されていた(表1)。こんなにあると、どれが正解なのかわからない。

文献1 『定本 宮澤賢治語彙辞典』原子朗、筑摩書房、2013年、669頁;1のポリン説、3のポーラー説は井上和子(『四次元』1952年“宮沢賢治研究ノート”(8))や大塚常樹(『ポラーノの広場』宮沢賢治、角川文庫、1996年、解説を参照)が指摘している。2の北極星は大塚常樹(『ポラーノの広場』宮沢賢治、角川文庫、1996年、解説を参照)が指摘している。4のポリヤーノ説と5のポラーノ説については小森陽一と西成彦が指摘している(1999年に発行された雑誌『すばる』に掲載された記事「座談会昭和文学史 X 『宮澤賢治』」)。5のポラーノ説は天沢退二郎が提案している(『宮澤賢治イーハトーヴ学事典』天沢退二郎、金子務、鈴木貞美 編、弘文堂、2010年、325頁)。以上の詳細については文献2を参照されたい。 文献2 『宮沢賢治・『ポラーノの広場』論』山下聖美、D文学研究会、2003年。山下は“ホラアナ”説を提案したが、それまで提案されたポラーノの語源について詳しく議論しているので非常に参考になる。 文献3 『イーハトヴ・ポラン学事始 – 賢治心象のユーラシア時空間を探る -』米地文夫、米地俊夫、高喜書房、2013年、第3部)。書名をみてわかるように、この本ではイーハトヴにおけるポランの意味を詳しく考察している。四部構成になっており、ポランの広場については第三部で議論されている。ちなみに、第四部では『銀河鉄道の夜』に関する考察がなされている。

つめくさ

“つめくさ”はナデシコ科ツメクサ属の一年草である(図1a)。ただ、単なる“つめくさ”ではなく“白つめくさ”や“赤つめくさ”かもしれない(図1b, c)。なぜなら、『ポラーノの広場』には次のように説明されているからだ。

“白いぼんぼりのような円いぼんぼりのやうな白いつめくさの花”(『【新】校本 宮澤賢治全集』第十一巻、筑摩書房、1996年、78頁)。

たしかに、道端でよく見かけるのは“白つめくさ”や“赤つめくさ”の方だ。名前には“つめくさ”がついているが、実は“つめくさ”とは種が異なる。“白つめくさ”と“赤つめくさ”はマメ科シャジクソウ属の多年草である。

図1 (a) “つめくさ”の花。(b) 白つめくさと(c) 赤つめくさ。普通はカタカナでシロツメクサとアカツメクサ(あるいはムラサキツメクサ)と表記される。なお、ピンク色の花をつけるアカツメクサもシロツメクサと同じ科・属である。いずれもよく見かける花である。 https://ja.wikipedia.org/wiki/ツメクサ#/media/ファイル:Sagina_japonica_(flower).jpg https://ja.wikipedia.org/wiki/シロツメクサ#/media/ファイル:シロツメクサ.jpg https://ja.wikipedia.org/wiki/ムラサキツメクサ#/media/ファイル:Rotklee_Trifolium_pratense.jpg

つめくさにあかりが灯る

『ポラーノの広場』では、“つめくさ”が重要な役割を果たす。

「おや、つめくさにあかりがついたよ。」ファゼーロが叫びました。 (『【新】校本 宮澤賢治全集』第十一巻、筑摩書房、1996年、78頁)

なんと、“つめくさ”に灯りがついて、ポラーノの広場への道案内をしてくれるというのだ。

「そら、ね、ごらん、さうだらう。それに番号がついているんだよ。」わたしたちはしゃがんで花を見ました。なるほど、一つ一つの花にはさう思へばさうといふやうな小さな茶色の算用数字みたいなものが書いてありました。 (『【新】校本 宮澤賢治全集』第十一巻、筑摩書房、1996年、78頁)

つめくさの番号は天体の番号なのか?

問題はこの算用数字だが、天体の名前の可能性がある。『宮澤賢治イーハトーヴ学事典』によれば、提唱者は気象研究家の根本順吉(1919-2009)だ。根本は “つめくさ”の番号は銀河・星雲・星団のカタログに載っている番号であると考えた(根本順吉『科学朝日』第50巻第4号、1990年“自在に自然と遊んだ天才詩人―造語に秘めた知識”)。そのカタログの名前は“New General Catalogue of Nebulae and Clusters of Stars”、通称 NGC。このカタログに掲載されている天体数は7840個もある。これを採用すると、『ポラーノの広場』に出てくる天体は次のようになる。

NGC 1256、(17058)、3426、3866、2566、5000
ただし、NGC 17058は存在しないことに注意されたい。

これらがどのような天体なのか、図2に示す。

図2 『ポラーノの広場』におけるNGC天体の姿。NGC 17058は存在しない(一番右上)。 https://www.wikidata.org/wiki/Q1042439#/media/File:NGC_1256_DSS.jpg https://en.wikipedia.org/wiki/NGC_3426#/media/File:NGC3426_-_SDSS_DR14.jpg https://fr.wikipedia.org/wiki/NGC_3866#/media/Fichier:NGC_3866_PanS.jpg https://bs.wikipedia.org/wiki/NGC_2566#/media/Datoteka:NGC_2566_DSS.jpg https://en.wikipedia.org/wiki/NGC_5000#/media/File:NGC5000_-_SDSS_DR14.jpg

根本は “つめくさ”の番号をNGCの番号だと仮定して、NGCの天体を順に巡っていくと、ポラーノ、つまり北極星に辿り着けると考えた(図3)。

図3 根本順吉が提案した「つめくさ」の番号(=NGC番号)を頼りに北極星へと至る」経路(図中の鎖線)。

図3を見るとうまく北極星に向かうように見えるが、実はそうはいかない。根本はすべてのNGC天体を同定していないからだ。根本は手に入れた星図に掲載されているNGC天体で、類似のNGC番号を頼りに図3の軌跡を描いた(根本順吉『科学朝日』第50巻第4号、1990年、15頁)。NGCカタログでは、天体は赤経の順に掲載されている。番号の近い天体の赤経はだいたい同じ値だが、赤緯方向はランダムになっている。これが災いして、根本は正しい軌跡を追うことができなかったのである。

では、本当はどのような軌跡になるかチェックしてみよう。NGC天体の番号は次の流れになる。NGC 1256、3426、3866、2566、5000。これを星図に示すと図4になる。ここに北極星に向かうルートは見えない。

図4 『ポラーノの広場』におけるNGC天体の順番、NGC 1256、3426、3866、2566、5000を矢印で結んで示した。

大切なヒント

『ポラーノの広場』に、ひとつ大事な文章があったことを思い出した。ファゼーロの言葉だ。
「だめだ、磁石ぢゃ探せないから。」とぼんやり云ひました。
キューストは驚いて問い返した。
「磁石で探せないって?」私はびっくりしてたづねました。
「ああ。」子どもは何か心もちのなかにかくしてゐたことを見られたといふやうに少しあわてました。
「何を探すっていふの。」
 子どもはしばらくちゅうちょしていましたが、とうとう思い切ったらしく云ひました。
「ポラーノの広場。」  
(『【新】校本 宮澤賢治全集』第十一巻、筑摩書房、1996年、73頁)

磁石で探せないなら、ポラーノは北極星ではない。

もうひとつのヒントは17058という数字である。この数字を見たとき、つめくさの番号をNGC番号だと思ってはいけないことに気づくべきだったのだ。NGCにはそんな大きな番号を持つ天体はない。

ポランの広場はあった

ポラーノは北極星ではないのか? では、何を意味する言葉なのか? また、あるとすれば、ポラーノの広場はどこにあるのか? 
待てよ・・・ 私はふと思い出した。
「そういえば、あそこにポランの広場があった。」
あそことは岩手大学。ポランの広場があるのだ(図5、図6)。

図5 岩手大学構内にあるポランの広場。
図6 岩手大学構内にあるポランの広場には水平型日時計がある。これは賢治の好きだった楽器セロを模している。しかも、全体としては“ 凹型赤道環日時計”になっている。

まずは、盛岡の岩手大学に行けばいい。しかし、そこにあるのはポランの広場だ。

賢治よ、ポランの広場ではなく、ポラーノの広場はどこにあるのだ?

うつくしい夏のそらには銀河がいまわたくしどもの来た方からだんだんそっちへまわりかけて、南のまっくろな地平線の上のあたりではぼんやり白く爆発したようになっていました。 (『【新】校本 宮澤賢治全集』第十一巻、筑摩書房、1996年、86頁)

こんな素敵な場所なら、私も行ってみたい。

註:『ポラーノの広場』とその前駆形である『ポランの広場』では、なぜか「つめくさ」の番号が異なる。興味のある方は『ポランの広場』をご覧下さい。

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