![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/133871797/rectangle_large_type_2_efda963cf7a3c7b7d4524834e4fa21e6.jpeg?width=1200)
宮沢賢治の宇宙(2) 童話『やまなし』のクラムボンはミズクラゲですか?
宮沢賢治の童話『やまなし』のクラムボン
宮沢賢治の童話『やまなし』
宮沢賢治の童話『やまなし』には謎の言葉がある。賢治の童話には謎の言葉がよく出てくるので、驚くには値しない。と言いたいところなのだが、『やまなし』に出てくる謎の言葉はかなり手強い。
そもそも、その言葉は物語の最初に出てくる。
川底にいる蟹の子供が話している。
『クラムボンはわらったよ。』
このクランボンが何者なのか、さっぱりわからないのだ。この言葉がわからないと読者はどうやって童話を読み進めてよいものか、戸惑う。戸惑った挙句、読むのをやめる人がいてもおかしくない。そういうレベルの謎の言葉なのである。
クラムボン
童話『やまなし』の第一話、5月の話を見てみよう。クラムボンのオンパレードである。
小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈です。
一、五月
二疋の蟹の子供らが青じろい水の底で話していました。
『クラムボンはわらったよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
『クラムボンは跳ねてわらったよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
上の方や横の方は、青くくらく
鋼のように見えます。そのなめらかな天井を、つぶつぶ暗い泡が流れて行きます。
『クラムボンはわらっていたよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
『それならなぜクラムボンはわらったの。』
『知らない。』
つぶつぶ泡が流れて行きます。蟹の子供らもぽっぽっぽっとつづけて五六粒泡を吐きました。それはゆれながら水銀のように光って斜めに上の方へのぼって行きました。つうと銀のいろの腹をひるがえして、一疋の魚が頭の上を過ぎて行きました。
『クラムボンは死んだよ。』
『クラムボンは殺されたよ。』
『クラムボンは死んでしまったよ………。』
『殺されたよ。』
『それならなぜ殺された。』兄さんの蟹は、その右側の四本の脚の中の二本を、弟の平べったい頭にのせながら云いました。
『わからない。』
魚がまたツウと戻って下流のほうへ行きました。
『クラムボンはわらったよ。』
『わらった。』
にわかにパッと明るくなり、日光の黄金は夢のように水の中に降って来ました。
(『【新】校本宮澤賢治全集』第十二巻、125-126頁;初期形の『やまなし』は第十巻、5-10頁、いずれも筑摩書房)
さて、クラムボンは誰でしょう?
こう聞かれて、答えられる人はいない。仮に答えたとしても、それが正解かどうかわからない。賢治はクラムボンが何者なのか、一切説明していない。正解はこの童話の中に書かれてはいないのだ。だから、最大級の謎になっている。
クラムボンは誰だ?
このような事情もあり、クラムボンは賢治ファンの間ではかなり人気がある。みんなこぞって、この謎解きに参加してみたくなる。そして、その行き先は三つのパターンに分かれるようだ。
[1] 何も思いつかず、諦める。
[2] とにかく、何かひとつアイデアを提案する。
[3] 謎解きをしてはいけないと提案する。
[1]と[2]はわかるが、[3]はそれ自身、ひとつの謎である。
[1]の場合はしょうがないので、[2] の場合に行こう。実は、結構たくさんのアイデアが提案されている。
クラムボンの候補のまとめを示す。まず、『定本 宮澤賢治語彙辞典』(原子朗、筑摩書房、2013年)を参照した(出典の文献の記載はない)。また、『宮沢賢治やまなしの世界』(西郷竹彦、黎明書房、1994年、54−55頁)には栗原敦によるまとめが出ている(『テクスト評釈「やまなし」』栗原敦、「國文学」1984年)。さらに、以下のURLにクラムボンの候補がラインアップされている:http://yamanasi.yoimikan.com/kuramubon.html
![](https://assets.st-note.com/img/1705210774184-3OFuUDIUYD.png)
ここに挙げられている候補を見ると、クラムボンの人気ぶりがわかる。9種類もの候補が議論されているからである。しかしながら、ピンと来るものはない。アメンボ。プランクトン、エビ、蟹。彼らの笑う姿が、頭の中に思い浮かべるのは難しいからだ。プランクトンに至っては肉眼で見えないぐらい小さい。小学校のとき、顕微鏡で見た記憶があるくらいだ。
クラムボンにはお手上げだ
さて、[3]の「 謎解きをしてはいけない」という提案だが、これは「クラムボンが何かを考えるな」ということである(『宮沢賢治・童話の読解』中野新治、翰林書房、1993年、82-101頁「やまなしー聖なる幻燈」)。中野新治はこの著書で、次の三つの文章を引用している。
正体不明のまんまのクラムボンでこそいい。・・・
クラムボンは何者かのセンサクは無用、無益、有害である。
(岩波文雄『宮沢賢治童話の世界』すばる書房、1977年に所収)
おそらく、蟹の子供にとっても何のことかよくわからないのだ。
(天沢退二郎『《宮沢賢治》論』筑摩書房、1976年)
言わばカニ語であって、しかも二匹の兄弟だけが了解するカニ語である。
(谷川雁『賢治初期童話考』、潮出版社、1985年、182頁)
こう言われてしまえば、クラムボンの正体を考えることは、なんだか虚しい作業のように思える。谷川雁は『賢治初期童話考』のなかで、さらに次のように述べている(182頁)。
作者(註:賢治のこと)は、このことばをあきらかに一つの陰語として用いているのだ。英語の字引きでものを考えない子どもたちに、クラムボンは何だと思うかと質問すると、その答えは泡、影、日光、水の流れ、魚、いのち、春の精、雪のかたまり、谷川を司どる神、森羅万象、小さないのちの総体などとふくれあがり、とどまるところを知らない。まさにそれこそが、作者(賢治)のねらいではなかったか。
ミズクラゲ説
とはいえ、クラムボンが何かを考えたくなるのが人情だ。そこで、ここでは新たな説を提案してみたい。
まず、クラムボンの様子を見ておこう。
クラムボンは笑う
クラムボンはかぷかぷ笑う
クラムボンは跳ねて笑う
これらの様子を見て、ふと頭に浮かんだものがある。それはクラゲである。しかし、子蟹が居たのは川の底である。海の底ではない。そのため、普通のクラゲではなく、ミズクラゲ(マミズクラゲ)、いわゆる川クラゲになる(図1)。
クラゲは海にいるものだと思ってしまうが、実は淡水域に住むクラゲもいる。相模原ふれあい科学館の説明をご覧いただきたい。
https://sagamigawa-fureai.com/diary/20190612-4854/
クラゲはフワフワと動く。賢治はオノマトペ(擬態語)の名手である。賢治にはクラゲの動きがカプカプしているように見えたのだろう。
![](https://assets.st-note.com/img/1705210895144-GptxNvFuA8.png)
さて、ここではクラムボンの正体はミズクラゲ(川クラゲ)の子供であるとした。なぜ、ミズクラゲの子供がクラムボンと呼ばれるのだろう?
賢治はミズクラゲが男の子だと思ったのだろう。男の子は“ぼんず”と呼ばれることがある。元々は坊主のことだが。少年のことを坊主と呼び、略称として“ぼんず”も用いられる。私も子供の頃は“ぼんず”だった。
こうして、次の図式が出来上がる。
クラゲの子供 → クラゲのボンズ → クラムボン
このように転じたと考えることができる。
なぜクラムボンにしたのか? それは賢治のセンスというしかない。
次のような物語はどうだろう。
![](https://assets.st-note.com/img/1705210952310-JynJwQJrEo.png)
ここで紹介したのは、ひとつの仮説にすぎませんが、お楽しみいただけたとすれば幸いです。
注:「クラムボン=ミズクラゲ説」が既に提案されていた場合、ご容赦ください。