天文俳句 (7)店からあふれた林檎は星空へ向かったのか? それともイタリアの街角へ?
岩手山の夜景 (撮影:畑英利)
『星戀』(野尻抱影、山口誓子、深夜叢書社、1986年)のカバーhttps://www.nippon.com/ja/japan-topics/b07224/
天狼
今日も天文部の部会だ。輝明はいつものように話し始めた。
「さて、前回はカノープスで盛り上がってしまった。」
「面白かったです。」
優子も楽しんだようで、何よりだ。
「今日はどんな話をするんでしょうか?」
優子の質問に輝明は本来の天文俳句路線の話にしたいと言った。
「優子は橋本多佳子という俳人を知っているかな?」
「いえ、知りません。」
「わかった、じゃあ、まず橋本多佳子の説明をしよう。」
「お願いします。」
輝明は背景説明から始めた。
「天文俳句の達人、山口誓子は1948年に俳誌「天狼」を主宰した。」
「天狼ってシリウスのことですか?」
すかさず、優子が質問する。
「そうだよ。」
「まさか、俳誌の名前に天狼が使われていたとは!」
「天狼は「おおいぬ座」のα星、シリウスの中国名だ。シリウスは全天で一番明るい星だ。」
「そうか、真冬の南の空に凛とした姿で輝くので、俳人の方々にも人気があったんでしょうか?」
「オリオンと一緒だね。多分そうだと思うよ。」
「俳誌「天狼」の同人に橋本多佳子がいた。と言うことで、今回は、橋本多佳子の俳句の世界を覗いてみたい。山口誓子譲りの天文俳句がいくつかあるからだ。」
橋本多佳子
「どんな俳句を詠んだ人なんでしょうか?」
優子は興味津々のようだ。
「ここに、『橋本多佳子 全句集』(橋本多佳子、角川ソフィア文庫、2018年、図1)を持ってきた。」
「わあ、綺麗な人ですね。」
優子はうっとりして本の表紙を眺めている。
「この本の帯にも「戦後俳壇の女流スター」と紹介されている。」
「すごいですね。」
「『橋本多佳子 全句集』の解説に、山口誓子のこんな文章が残っている(538頁)。」
ひとが多佳子の美貌のことを言うと、多佳子はそれを否定して、私には何か雰囲気というようなものがあるのかも知れませんと言うのを常とするが、そういう「雰囲気」が多佳子俳句にもある。
「別な言葉で言うと「品(ひん)」でしょうか。」
「なるほど、いい表現だね。
輝明は優子の意見に賛成した。
星空へ店より林檎あふれをり
「じゃあ、まず、橋本多佳子の次の句を見てほしい。僕の大好きな一句だ。この句は1947年の一月の作だ。」
星空へ店より林檎あふれをり
「ほのぼのという表現がいいかどうかわかりませんが、優しさに包まれるような句だと思います。」
「そうだね。最初の「星空へ」の一言で、もう気持ちは宇宙に飛んでいってしまいそうだ。」
「この句の季語は林檎ですね。」
「そのとおり。秋の句だ。「星空へ」という言葉はあるものの、天文俳句ではない。」
「林檎が溢れ出てきているお店とは、どんなお店なのかな? お洒落な果物専門店ではないし・・・。八百屋さんかな?」
「うーん、難しいね。 野菜や果物の他に、雑貨も置いてあるお店なのかな? ほら、昔の町並みで見かける、普通の雑貨屋さんだ。エプロン姿のお母さんが切り盛りしているかもしれないし、咥え煙草にねじり鉢巻のお父さんがやっているお店かもしれない。いろいろイメージが湧いてくる。」
「このお店に出向いて、林檎をひとつ買ってみたいですね。そう思わせるのは、やはり最初の言葉「星空へ」のせいでしょうか。」
オリオンと天狼を季語にした?
「星や星座は俳句の季語にならない。そういう話をしたよね。」
「はい。」
「ところが、橋本多佳子はオリオンと天狼を季語に採用しているんだ。」
「ええーっ!? ホントですか?」」
「その証拠が『橋本多佳子 全句集』の季語索引にあるので見てみよう。オリオンと天狼が出ているだろう? (図2、図3)」
「うわあ、ホントですね。いいんでしょうか?」
「いいも悪いも、という感じだね。僕もよくわからない。」
「季重なり」と「季違い」
「俳句には季語が必要だけど、一句にひとつの季語しか使えない。」
「そりゃそうですね。二つ入れると、間違いが起こりそうです。」
「二種類の問題がある。ひとつは「季重なり」、もうひとつは「季違い」だ。」
「最初の「季重なり」は?」
「たとえば、ひとつの句に季語を二つ入れてしまうケース。」
「じゃあ、「季違い」は異なる季節の季語を入れてしまうことですね?」
「そのとおり。「季重なり」も「季違い」もやってはいけないことだ。」
「どんな例があるんでしょうか?」
「優子、いい質問だ。宮沢賢治の詠んだ俳句で説明しよう。」
「なんと、宮沢賢治が出てくるとは・・・。」
霜先のかげらふ走る月の沢
「この俳句の季語は?」
「ええと、まず「霜」。これは冬の季語ですね。それから「月」。こちらは秋の季語です。」
「それだけかな?」
「あっ、そうか。「かげらふ」は陽炎なので、春の季語ですか?」
「ピンポーン! ということで、この俳句にはなんと三つも季語が使われている。「季重なり」の極端な例だ。」
「しかも冬・秋・春の三つの季節にまたがっていますね。」
「つまり、「季違い」にもなっている。」
「賢治さんてば・・・。」
「俳人の石寒太さん(1943- )は次のように言っているよ(『宮沢賢治の俳句』PHP、1995年)。
「宮沢賢治はあまり俳句の季語に拘泥していない。というより、とんと無頓着である。一句の中に三つの季語を並べることも、平気であった。」
「そうか、自由に楽しめということですね。」
「僕は俳人の尾崎放哉(1885-1926)の詠んだ俳句「咳をしても一人」というのが結構気に入っている。」
「自由律俳句ですね。種田山頭火(1882-1940)の俳句もあるし。」
「賢治は1896年生まれで1933年に亡くなっている。なんだか、尾崎や種田と同時代の人だね。」
「あら、ホント! そういう雰囲気の時代だったのかも。」
橋本多佳子のオリオンと天狼
「さて、橋本多佳子はオリオンと天狼を冬の季語にした。実際に彼女の俳句を見てみよう。まず、オリオン。
オリオンの盾新しき年に入る
田に燈なし冬のオリオン待ちてゆく
三つ星がオリオン緊める新ラ刈田
西天に赫きオリオン修二会後夜
オリオンが方形結ぶ野火余燼
オリオンが頭向け落ちくる露大地
除夜の門(と)を閉しオリオンを野に放つ
「オリオンが詠み込まれた七つの句を見てみた。これらの句の季語をまとめたのが表1だ。」
「あら? オリオン以外にも季節を表す言葉が入っていますね。」
「そうなんだ。実は、すべての句が「季重なり」。しかも、「季違い」も多い。」
「なんと!」
「次は、天狼を詠み込んだ句。こちらは次の二句しかない。」
山焼きし余燼もなしや天狼下
天狼のいでて修二会の星揃ふ
「天狼以外の季語との関係は表2にまとめた。」
「ありゃりゃ。またまた「季重なり」「季違い」ですね。」
「こうしてみると、オリオンと天狼を季語とする場合、「季重なり」と「季違い」のオンパレードになってしまう。『橋本多佳子 全句集』ではオリオンと天狼を季語になっているけど、いいのかな。」
「俳句そのものは違和感なく楽しめます。」
「なるほど、優子の言うとおりだ。それでよしとしよう。」
「はい。」
夜のカフェテラスに出かけようか
「ここで、もう一度最初の句に戻っていいかな。」
「はい。「星空へ店より林檎あふれをり」ですね。」
「天文学者の海部宣男さんの『天文歳時記』(角川選書、2008年、82頁)に次の文章があるんだ。」
夜の果物店から路地に流れ出す黄色い明かり。山盛りになった赤い林檎。それを包む町並みの上には、紺色の夜空がひろがる。華やかでほがらかで、やさしい星空だ。「私の目には浮かぶのは、なぜか南欧の街角」と、私はゴッホの「夜のカフェテラス」を念頭において前著『宇宙をうたう』の中で書いた。その後、中公文庫『俳句集』(日本の詩歌30)を見ていたら、野尻抱影がこの句について「ゴッホの『夜のカフェ』の星の名画を連想する」と書いてあった(沢木欣一氏の解説)。
「引用されていた『宇宙をうたう 天文学者が訪ねる歌びとの世界』(海部宣男、中公新書、1999年、21頁)の文章も読んでみよう。」
私の目に浮かぶのは、なぜか南欧の、イタリアあたりの街角だ。小さな店の黄色い灯が、台の上に山盛りになった赤いリンゴを照らし、その勢いで外の石畳へほのかに流れ出している。狭い家並の間からのぞく濃紺の夜空に、星の光はかすかなことだろう。
「うわあ、ゴッホの《夜のカフェテラス》に繋がっていくんですね。俳句の力と絵の力。二つの合わせ技としか言いようがないですね。芸術は人にとって、とても重要な要素であることがわかりました。」
「よし! じゃあ、神保町のカフェで美味しいコーヒーでも飲もうか。僕が奢るよ。」
「やったー!」
二人はいそいそと街へ出た。
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