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懐かしさの徒然に(7) 青春の後ろ姿は見えますか?
あの日にかえりたいですか
明日に行くことはできない。昨日に帰ることもできない。今という一瞬だけが私にある。しかし、人にはかけがえのない思い出がいくつかあるものだ。その思い出の世界に戻ることはできるのだろうか。もしできるのなら、あの日に帰りたいと人は思う。
荒井由美の六枚目のシングルは「あの日にかえりたい」だった。1975年のリリースだから、もう半世紀も前の歌であることに驚く。今、この歌を聴いても、古臭さは微塵も感じない。
見えるのは青春の後ろ姿だけなのか
あの日にかえることはできないが、思い出すことはできる。しかし、時と共に思い出はぼやけていく。あの日にかえったと思ったら、見えたのは後ろ姿だけ。
荒井由美は歌う。
青春の後ろ姿を 人はみな忘れてしまう
後ろ姿も見えなくなってしまうのか。それでは、あまりにも寂しい。
あの頃のわたしに戻って あなたに会いたい
これが叶ったとして、幸せはかえってくるのだろうか。
あの人の後ろ姿も忘れてしまったのに
見送りのうしろや寂し秋の風 松尾芭蕉
見送る人がいれば、見送られる人もいる。別れを切り出した人。別れを受け入れた人。いったい、どちらが寂しいのだろうか。答えの見つからない問題かもしれない。結局、青春にはかえれない。
ところで、なぜ「あの日にかえりたい」なのだろうか? 「あの日に帰りたい」とした方がわかりやすかったように思う。ひょっとしたら、今日をあの日に変えたい? その気持ちが、「あの日にかえりたい」になったのだろうか。
青春時代の頃に、帰りたい。この気持ちが高じると「タイムマシンにおねがい」ということになる。こちらはサディスティック・ミカ・バンドの歌だ。「あの日にかえりたい」リリースの1年前、1974年のリリースだ。動き出したJ-Popはノスタルジーもキーワードのひとつにしたということか。