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ゴッホの見た星空(21) 渦巻銀河M51の渦巻はロス卿から、フラマリオン、そしてゴッホへ

《星月夜》の渦巻のモデルは渦巻銀河M51

ゴッホの名作《星月夜》(図1)。この絵に描かれている不思議な渦巻は「渦巻銀河M51」であるという話をした(note 「ゴッホの見た星空(6)」)。このアイデアは比較的流布している。しかしながら、他の説も色々議論されている(note 「ゴッホの見た星空(19)」、「ゴッホの見た星空(20)」)。そこで、「渦巻銀河M51をモチーフにした」とする説の概要を、今一度まとめておくことにしよう。

図1 ファン・ゴッホの《星月夜》(1889年)。ニューヨーク近代美術館に所蔵されている。 https://www.artpedia.asia/work-the-starry-night/

ロス卿から、フラマリオン、そしてゴッホへ

この説は次のようなストーリーである。

[1] アイルランドの天文学者ロス卿がM51の渦巻の様子をスケッチに残した
[2] フランスの天文学者フラマリオンが天文学の啓蒙書でそれを紹介した
[3] それを読んだゴッホはその渦巻に感動し、《星月夜》に取り入れた

この3人の連携が《星月夜》に繋がったとするものだ。3人の写真を図2に、彼らが生きた時代を図3に、そして受け継がれた渦巻を図4にまとめた。

図2 (左)ロス卿、(中央)フラマリオン、(右)ゴッホ。写真はそれぞれWIKIPEDIAから取得。
図3 ロス卿、フラマリオン、ゴッホが生きた時代。参考のため、下に日本の時代を示しておいた。
図4 (左)ロス卿の残したM51のスケッチ。この図の上に描かれているのがM51、下は別の渦巻銀河M99のスケッチ。(中央)フラマリオンが著書で紹介したロス卿によるM51のスケッチ。(右)ゴッホの《星月夜》。 左:https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/exhibition/051/ 中央:フラマリオンによる『Merveilles Celestes: Lectures Du Soir』に出ているロス卿によるM51のスケッチ。パリ天体物理学研究所の友人が送ってくれた図。

ロス卿

ロス卿の本名はウイリアム・パーソンズであり、第3代ロス伯爵のことである。ロス卿は口径72インチ(183 cm)の反射望遠鏡を製作した(図5)。望遠鏡の名前は「リヴァイアサン」。「怪物」という意味だ(旧約聖書の『ヨブ記』に出てくる巨大な海獣の名前)。

ロス卿がこの望遠鏡を使ってM51のスケッチをしたのは1845年の春である(望遠鏡の完成は1847年だが、1845年から天体を観ることができるようになった)。ゴッホが生まれる8年も前のことだ。

図5 ロス卿が製作した「リヴァイアサン」と呼ばれるニュートン式の反射望遠鏡。まるで巨大な大砲のように見える。これだけの施設を作るには財力だけでは駄目で、頭抜けた知恵が必要だったはずである。 リヴァイアサンのイラスト https://ja.wikipedia.org/wiki/ウィリアム・パーソンズ#/media/ファイル:BirrCastle_72in.jpg

ここで強調したいことは、ロス卿が“渦巻星雲は星の集団のように見える”と主張したことだ。たとえば、オリオン星雲などの多くの星雲はガス星雲である。しかし、渦巻星雲の成分がガスではなく星だとすれば、それは、銀河であることを意味している。銀河の形態分類といえば、米国の天文学者エドウイン・ハッブル(1889-1953)が思い浮かぶ。しかし、渦巻銀河を最初に認識したのはハッブルではなく、ロス卿だったのだ。

彼は単に天体の観望をしていたわけではない。科学者の目で天体を観測していたのだ。

ロス卿は渦巻星雲の渦巻にwhirlpool(ワールプール)という言葉を当てはめた。M51は今でも「Whirlpool galaxy」と呼ばれることがあるが、その言葉の由来はロス卿にある。

フラマリオン

さて、問題はゴッホがロス卿の観測成果をどのように知ったかである。普通の人は学術書や研究論文は読まない。普通の人が読むのは、いわゆる啓蒙書である。そこで、大役を果たしたのが、フランスの天文学者カミーユ・フラマリオン(1842-1925)である。

フラマリオンは天文学者として、先端的な研究を行った。例えば、太陽の活動性と黒点の関係(黒点がたくさん見えるようになると、太陽活動が盛んになる)や太陽系の惑星の研究で知られる。フランス天文学会を創立し、初代会長にもなった人だ。ハレー彗星が1910年の回帰の際、毒ガスを地球にもたらす可能性を指摘して、世間を騒がせた人でもあった。

ただ、フラマリオンは時代の最先端をいく天文学者であったことは間違いない。そして、フラマリオンは研究だけではなかった。天文学の解説書も多数出版した。なんと、50冊も出版したのである。これはすごいことだ。

その解説書の中で、ロス卿によるM51のスケッチを紹介した。この星雲の形はクエスチョン・マーク(?)に似ているため(図6中央)、ヨーロッパ中の話題を集めることになったのである。

図6  M51(大きな渦巻銀河、NGC5194の名称もある)とNGC 5195 (下にある小さな銀河。「子持ち星雲」として親しまれてきた。(左)ロス卿による「子持ち星雲」のスケッチ、(中央)クエスチョン・マーク、(右)ハッブル宇宙望遠鏡が撮影した「子持ち星雲」の写真。 ロス卿のスケッチ https://en.wikipedia.org/wiki/William_Parsons,_3rd_Earl_of_Rosse#/media/File:M51Sketch.jpg ハッブル宇宙望遠鏡による子持ち星雲の写真 NASA and European Space Agency - http://antwrp.gsfc.nasa.gov/apod/ap050428.html SOURC

そしてゴッホへ

そして、ゴッホはフラマリオンの本にM51の渦巻を見た(『天空の地図 人類は頭上の世界をどう描いてきたのか 』アン・ルーニー、鈴木和博 訳、日経ナショナルジオグラフィック、2018年、184頁)。ゴッホはロス卿のスケッチに感銘を受け、M51の姿を《星月夜》の夜空に大きく描いたのである。

18世紀から19世紀にかけて、星雲(銀河)の観測は写真やCCDカメラではなく、手描きのスケッチで行われていた。その中にあって、ロス卿のスケッチは非常に優れたものだった。M51のスケッチはゴッホの目にかなうものだったのだろう(『Observing by Hand: Sketching the Nebulae in the Nineteenth Century』Omar W. Nasim, シカゴ大学出版、2014年)。著者のNasim曰く、「ロス卿のスケッチのおかげでゴッホは“望遠鏡の眼”を持った」。だからこそ、M51の渦巻は《星月夜》に受け継がれたのだ。

ところで、M51が世間の注目を集めたのは渦巻だけでなく、全体の構造が「?」に似ていたからだ。これはお伴をしているNGC5195があるためだ。私たちはこの銀河にも感謝しなければならない。

追記:神保町の古書店でフラマリオンの翻訳本を見つけた

フラマリオンは当時のフランスでは著名な天文学者だった。その人が書いた本なら、日本語に翻訳された本もありそうだ。そこで探してみたところ、1冊だけ見つかった。『天文科学 星空遍路』という本だ(図7)。昭和10年に大勝館から出版された本で、翻訳は武者金吉。不思議なことに原著の情報がないので、フランス語のタイトルや出版年は不明である。

図7 『天文科学 星空遍路』。箱入りの本であり、左が箱、右が本。

M51のスケッチがあるかと思って調べてみたが、残念ながらこの本には紹介されていなかった。そもそも、驚くことに図がひとつもないのだ。文章だけの天文学の本というのは珍しい。
この本は第1章の「星空遍路」から始まり、「遠い過去の世界」、「未来の世界」、「美しき金星」、「火星」、「巨大なる木星」、「空間を横切る脈博」、「各世界観の通信」、「星と原子」、そして第10章の「他の遊星にも人類が住むか」で終わる。単なる昔の解説には終わっていない。それは、次の文を読めばわかる(86頁)。

雄大なる螺旋状星雲はガス球ではなくて、質は多くの太陽の集団である。即ち、我が宇宙以外に位する銀河に外ならないのである。

これは、まさにM51のような渦巻星雲の話である。アンドロメダ星雲までの距離がわかって、天の川以外に銀河があることがわかったのは1925年のことである。この本は翻訳版で昭和10年(1935年)の出版だが、原著は1925年以前に書かれている。なにしろ、フラマリオンの没年が1925年だからだ。フラマリオンは銀河がたくさんある宇宙像をきちんと持っていたのである。
また、第10章のタイトルから分かるように、生命の起源や地球外生命についても解説されている。とても今から百年以上も前に出版された本とは思えないレベルだ。

フラマリオン、恐るべし。

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ゴッホの見た星空(6) 《星月夜》の渦巻は渦巻銀河M51なのか?https://note.com/astro_dialog/n/n1d5abb10e788

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