宮沢賢治の宇宙(9) 心象スケッチModifiedへの道
《夜のカフェテラス》のスケッチの謎、再び
「いやあ、ごめん、ごめん。」
輝明が手を合わせて、天文部の部室に入ってきた。
ポカンとした顔で、優子は輝明の方を見た。
「昨日は、ゴッホの《夜のカフェテラス》のスケッチについて、優子の意見が聞きたかったんだ。それなのに宮沢賢治の心象スケッチの話で終わってしまった。今日こそ、ゴッホの話題にしたい。」
「そうでした。昨日は、あっという間に時間が経っちゃって。」
「じゃあ、いきなりだけど、ゴッホの《夜のカフェテラス》とそのスケッチを見てほしい(図1)。」
「あれ、もう結論が書いてありますよ。Mental Sketch Original(オリジナル)。そして、Mental Sketch Modified(修正版)。」
「おっと、ごめん。」
「今日はごめんが多いですね。」
「まあ、順番通りに話を進めていくことにするよ。」
「はい、どうぞ。」
宮沢賢治の作法 ― 自然からの贈り物
「賢治とゴッホ。生きていた時代も、住んでいた国も異なる。賢治は作家だけど、ゴッホは画家。共通点があるとすれば、二人とも37歳の若さでこの世を去ったこと。そして、生前は作品に対して高い評価を得られなかったことかな。」
「そういえば、フランスの詩人、アルチュール・ランボー(1854-1891)も37歳で夭折していますね。奇遇ですけど。」
「37は天才のマジックナンバーの一つなのかもしれないね。」
「ホントにそうかも。」
「じゃあ、賢治の話だ。賢治はたくさんの童話と詩を遺したけど、いったいどうやって作品を産み出したのか? この問題を考えるとき、参考になるよい文章が残っている。それは『注文の多い料理店』の序文に書いてある。」
これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。
ほんたうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかつたり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立つたりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないといふことを、わたしはそのとほり書いたまでです。(『【新】校本 宮澤賢治全集』第十二巻、筑摩書房、1995年 『イーハトヴ童話 注文の多い料理店 序』、7頁)
「なんだか、とても楽しそうですね。賢治は賢治のいる場所にあるもの、あるいはそこに居るものたちと交感し、「何か」をもらう。そんな感じがします。」
「この文章を読むと、「賢治の童話は賢治自身が書いたのだろうか?」という疑問を持つぐらいだ。もちろん、形式的には、答えはイエスだ。しかし、『注文の多い料理店』の序文を読んでみると、どうも違う。」
ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないといふことを、わたしはそのとほり書いたまでです。
「これを字義通りに解釈すると、次のようになる。」
文字を原稿用紙に書きつけたのは賢治
物語を語ったのは賢治の周りにあったものたち
「そうか、物語を語ったのは林、野はら、鉄道線路、虹、月あかりなんですね? 賢治は彼らから物語をいただいて、それを原稿用紙に写しとっただけ。」
「僕も、そう思うんだ。試しに、賢治に「『注文の多い料理店』は、あなたが書いたのですか?」と聞いてみたとする。すると、賢治はこう答えるんじゃないかな。」
よぐわがんねえな。気がついたら、そったら原稿ができていた。
「あっ、それ面白いです。」
「要するに、賢治は単なる“受け子”だった。」
「なるほど。」
優子も輝明の意見に賛成してくれた。
ゴッホの作法
「次は、ゴッホ。」
「天文ファンから見ると、“星空を描かせたらゴッホは世界一の画家”みんなそう思っているんじゃないでしょうか。」
「そうだね。賛成だ。もちろん、ゴッホは星空だけを描いたわけではない。風景、自画像、肖像、静物。多種多様な作品を遺した。たとえば、ゴッホの《ひまわり》を見て、どう思う? (図2)」
「そうですね、極めて正確に写実されているように感じます。テーブルの縁が歪んでいるのが少し気になりますが。それと・・・。」
少し考えながら、優子は付け足した。
「ひまわりの花はゴッホの目に見えていたひまわりの花ですよね。私たちが同じひまわりの花を見たとして、ゴッホが見たように見えたのかという疑問はあります。」
「おそらく、その問いに対する答えは“ノー”だろうね。ゴッホはゴッホ自身の目というよりは、全身を感覚器官として使ってひまわりの花を見ていたんじゃないかな。」
「ゴッホ・スタイル。」
「おっ、いい表現だね。」
「今、ふと思いついた言葉です。」
「昨日、古書店を見ていたら『ゴッホとゴーギャン 近代絵画の軌跡』(木村泰司、筑摩書房、2019年、119頁)という本を見つけた。買って読んでみたら、次の文章を見つけた。」
ゴッホは絵画を外から受ける「印象」を描くものから、自分の内面を「表現」するものにし、印象主義を新たな方向へ導いたのだった。
「たとえば、対象物を自分自身という鏡に映して、その写った姿を絵として描くという感じでしょうか。」
「そうだね。あと、色かな。」
「それは・・・。」
「たぶん、ゴッホは色彩を単に色として扱ったわけではない。色彩から“何か”を受け取る。それを感情に転化させる。そして、それを画布に写し取った。だから、僕たちはゴッホの絵にゴッホの感情を読み取ることができる。もちろん、上手くいけば、の話だけど。」
「そうですね、私にはそんな鑑賞眼はないですけど。」
「もうひとつ見つけた本がある。『美術の物語』(エルンスト・H・ゴンブリッチ、河出書房新社、2019年、547頁)という本だ。ゴンブリッチは美術史家だ。彼はゴッホの流儀を的確に説明している。」
彼が一筆ずつ細かく筆を重ねたのは、ただ色が混ざらないようにするためではなく、自分の心の高揚を伝えるためであった。アルルから出した手紙に、その精神の高揚ぶりが記されている。「ときに感情があまりに昂り、絵を書いているという自覚がなくなってくる••••••。話をしたり手紙を書いているときに言葉が順を追って出てくるように、すらすらと筆がはこばれていく」。これ以上的確な比喩はない。ふつうの人が手紙を書くようなとき、彼は絵を描いたのだ。
「さすが、美術史家。ちゃんと、見ていますね。」
「すらすらと筆がはこばれていく。この表現はすごい。ゴッホは見たものに支配されて、自動的に絵筆を動かしている。やはり、描いているのはゴッホではなく、ゴッホの見たものが、ゴッホを通してキャンバスに映されているんじゃないだろうか。」
「歌手のユーミン、松任谷由実の言葉を思い出しました。音楽の神様がいて、曲ができるときは、神様が降りてくると言っていました。」
「なるほど。賢治とゴッホに共通する何かがあるね。次のゴッホの言葉を見てごらん。」
1888年9月29日ごろ 〔手紙番号 = 543〕
このごろの日々のように自然があまりにも美しいとき、僕はときどきものすごく冴えた状態になる。そういうとき、もはや自分を感ずることなく、絵は夢のなかさながらに僕のもとへやってくる。(『ファン・ゴッホの手紙』二見史郎 編訳、圀府寺司 訳、みすず書房、新装版、2017年、298頁)
「ユーミンと同じです!」
優子は驚きを隠さなかった。優子は天才の作法を見たのだ。
フィルターとしての作家
「ゴッホは絵を描く。賢治は童話を紡ぐ。二人はそれぞれ作業をする。しかし、その作業をさせているのは二人の見た景色だ。景色は二人に作用する。そして二人をフィルターにして、気がつけば作品が生まれている。こういうことかな(図3)。」
「まさに天才の作法ですね。わたしたちが到達できない世界の出来事だと思いますけど。」
「賢治もゴッホも最初は心象スケッチを作品にした。それらは神様の贈り物だ。しかし、その後、彼らをさらに突き動かすものがあった場合、神技を持って修正する。もちろん、この修正は「より高みのものにする」という意味だ。こうしてMental SketchはMental Sketch Modified として遺されたんじゃないだろうか。」
「賢治もゴッホも、まさに、天才!」
優子はいつになく興奮気味に、キッパリと言った。
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「ゴッホの見た星空(16) 《夜のカフェテラス》で最後の晩餐をhttps://note.com/astro_dialog/n/n5354fd1f648b
「宮沢賢治の宇宙」(1) 心象スケッチで繋がる宮沢賢治とゴッホ
https://note.com/astro_dialog/n/nf6eeb5830399
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