「宮沢賢治の宇宙」(19) 銀河鉄道よ、巨きな水素のりんごの中を駆け抜けろ!
銀河系の玲瓏レンズ
宮沢賢治の詩『青森挽歌』は1923年の夏、サガレン(サハリン、樺太)を旅行したときに書かれた詩だ。
note『宮沢賢治の宇宙』(18)『青森挽歌』の謎を参照されたい。https://note.com/astro_dialog/n/n3a06f903bb8f
この詩は二五二行に及ぶ長大な詩だが、書き出しはとても印象的だ。
こんなやみよののはらのなかをゆくときは
客車のまどはみんな水族館の窓になる
(乾いたでんしんばしらの列が
せはしく遷ってゐるらしい
きしやは銀河系の玲瓏レンズ
巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる)
りんごのなかをはしってゐる
けれどもここはいつたいどこの停車場〔だ〕
枕木を焼いてこさえた柵が立ち
(八月の よるのしづまの 寒天凝膠 [アガアゼル])(『【新】校本 宮澤賢治全集』第二巻、筑摩書房、1995年、156頁)
闇夜のなか、みちのくを汽車が疾走している様子が目に浮かぶ。これ自身、銀河鉄道だ。
“玲瓏”は、ここでは美しく照り輝く様子を意味している。あるいは、透きとおった硝子玉としてもよい。銀河系を玲瓏レンズと表現するところが、賢治の優れた感性だ。
銀河系では、星々は円盤状に分布している。円盤の直径は約10万光年(1光年は光が1年間に進むことができる距離で、約10兆キロメートル)、星の個数は約2000億個もある。太陽はこのうちの一つの星だ。円盤には厚みがあるので(約1000光年)、銀河系の円盤は横から見ると、レンズのような形をしている。賢治はこの姿を玲瓏レンズと表現したのだ。
私たちは日常生活で玲瓏という言葉を使うことはない。ただ、ひょっとしたら賢治の時代ではよく使われていたのかもしれない。なぜなら、宮沢清六の『兄のトランク』(筑摩書房、1987年、71頁)に次の一文があるからだ。
吹雪のワルツはいよいよ劇しく、風の又三郎や雪狼共は、もうサイクルホールをはじめたとみえ、玲瓏硝子の笛の調子もいよいよ高くなってきた。
玲瓏硝子。これも美しい響きの言葉だ。賢治も天の川のことを美しく透きとおった硝子玉のように感じていたのだろう。
巨きな水素のりんご
さて、「青森挽歌」の詩に戻ろう。今度は「巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる」という表現に注目したい。
銀河系の玲瓏レンズ 巨きな水素のりんご
これを読むと、玲瓏レンズは、それを取り巻くさらに巨きな水素のりんごの中に位置しているイメージを抱く。じつは、天文学的にはこのイメージは正しい(図1)。
宇宙にある元素の90%は水素なので、銀河の主な成分は水素である(図2)。したがって、オマージュとして、銀河系を巨大な“水素のりんご”になぞらえるのは可能なのだ。
『青森挽歌』を読んで、硬い果肉のりんごの中を銀河鉄道が走るのは大変だろうと心配された方もいるかもしれない。しかし、ご安心を。銀河の中はどこもスカスカなので、銀河鉄道はスイスイ走れる。
岩石惑星に住んで、星や銀河を思う
ところで、「この宇宙にある元素の90%は水素である」と聞いて、ピンと来るだろうか?
賢治が生きていた時代には、銀河のことはまだよくわかっていなかった。それにもかかわらず、賢治には天の川銀河の真の姿がイメージできていた。私たちの住む地球は岩石惑星だ。炭素、珪素、アルミニウム、鉄などがイメージしやすい元素だ。とても、水素がたくさんある世界を想像できない。
太陽のような星には岩石はない。高温のガス球だからだ。太陽の表面温度は約6000度、中心に行けば行くほど温度は上がり、1000万度を超える。岩石がないのは自明だ。
20世紀初頭、実はまだ人類は元素合成について、知識を持っていなかった。元素合成が理論的に議論されるようになったのは1940年代のことだ。ところが、星の大半は水素でできていることを理論的に示した研究成果が1925年に提出された。米国の物理学者セシリア・ペイン=ガポーシュキン(1900-1979)の博士論文だったが、酷評されたそうだ。その後、1930年代に入ってから彼女の理論は見直され、正しい説であることが理解されるようになった。
ところで、賢治は1933年に亡くなっている。また、『青森挽歌』が書かれたのは1923年である。当時、宇宙全体のこともそうだが、太陽のような星の元素組成すらきちんとわかっていなかった。銀河系における元素組成も然り。
「巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる」(図3)
これは大いなる謎の言葉なのだ。