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天文俳句 (4)天文俳句の世界『星戀」

岩手山の夜景 (撮影:畑英利)
『星戀』(野尻抱影、山口誓子、深夜叢書社、1986年)のカバーhttps://www.nippon.com/ja/japan-topics/b07224/

「銀河のお話し」の状況設定と同じです。 「銀河のお話し(1)」をご覧下さい。 https://note.com/astro_dialog/n/n7a6bf416b0bc

「真の」天文季語はさておいて

週が明けて、月曜日。先週は大変だった。俳句の歳時記に収められている「天文」に属する季語の大半は気象関係の言葉だったからだ。俳句の歳時記における天文の定義は「天の文(あや)」だ。人の目線より上にあるものはすべて「天の文(あや)」なので、本来なら気象に属する現象が天文現象になってしまう。雲や風、雨も、雪もだ。その上にある星空の世界に「真の」天文用語があるものの、季語として使えるのはわずか四つ。月、星月夜、流れ星、天の川だけだ。しかも、四つとも秋限定の季語。天文現象を俳句に詠み込むにはかなりの技が必要のようだ。

とはいえ、ここは心機一転。
「さて、今週はそろそろ天文俳句を楽しむとしようか。」
輝明は優子に話しかけた。
「はい、そうしましょう。先週は俳句、歳時記の勉強ができて楽しかったですが、やはり実際の天文俳句を鑑賞してみたいです。」
「天文俳句といえば、この本だ(図1)。」
輝明はシックな装丁の一冊の本を出した。

『星戀』

「あっ、『星戀』ですね。」

「うん、山口誓子と野尻抱影の共著だ。『定本 星戀』は昭和二十一年に鎌倉書房から出版された後、昭和二十九年には中央公論新書としても出版された。そして、昭和六十一年、野尻抱影生誕百年の年に、僕が持っている『定本 星戀』が出版された。この本には山口誓子の天文俳句のすべてが収録されているので、天文俳句の世界を探訪するにはもってこいだ。」

図1 『定本 星戀』(野尻抱影+山口誓子、深夜叢書社、1986年)の表紙。

「この本、よく買えましたね。」
「そうだね、ざっと40年前の本だ。お察しのとおり、神保町の古書店のおかげだ。」
「やっぱり。」
「3年ぐらい前のことだけど、その頃は実は俳句には特に関心がなかった。ただ、古書店でこの本を見かけたとき、なんていうのかな、この本が輝いて見えたんだ。」
「?」
「まるで、買ってくれと言っているようだった。」
「ああ、それは運命ですね。」
「そして、プラスの要素が二つあった。ひとつは、本のタイトルに「星」があったこと。もうひとつは、野尻抱影の名前を知っていたことだ。」
「一期一会というか、縁というか・・・。本との出会いはスリリングで楽しいですね。」

山口誓子

「山口誓子(1901-1994:図2左)は京都府出身の俳人で、高浜虚子に師事した人だ。昭和の初期には水原秋桜子(1892-1981)、高野素十(1893-1976)、阿波野青畝(あわのせいは;1899-1992)と共に、「ホトトギスの4S」とも称された。ホトトギスは正岡子規の友人である柳原極堂が1897年に創刊した俳句雑誌。ただし、山口誓子は水原秋桜子と共にホトトギスを離脱して、新興俳句運動に力を入れていった人だ。
山口誓子の代表的な俳句には次のようなものがある。

学問のさびしさに堪へ炭をつぐ (1924年作。『凍港』所収)
海に出て木枯帰るところなし (1944年作。『遠星』所収)

決して、天文俳句だけで有名というわけではない。山口誓子は天文俳句のみならず、現代俳句の発展に大きな貢献をした俳人だ。」

海に出て木枯帰るところなし この俳句、気に入りました!」
優子が目を輝かせて言った。
「優子、気が合うね。実は、僕もこの句が大好きなんだ。」

図2 山口誓子(左)と野尻抱影(右) https://ja.wikipedia.org/wiki/山口誓子#/media/ファイル:Yamaguchi_Seishi.JPG https://ja.wikipedia.org/wiki/野尻抱影#/media/ファイル:Nijiri_Hoei.jpg

野尻抱影

「野尻抱影(1885-1977、図2右)のことも簡単に紹介しておこう。野尻は天文学者ではない。肩書は天文民俗学者だ。あまり聞かない肩書だけど、星や星座の和名を収集し、多数の著書にまとめることをした。ちなみに、「冥王星」の名前を考案したのもの野尻だ。」
「惑星の名前を決めるなんて、すごい人ですね。」
「ホントだね。ただ、「冥王星」は現在では惑星ではなく、準惑星という位置づけに再分類されてしまったけどね。」
「残念。」

「野尻は早稲田大学では英文学を学んだ。野尻の指導教官がこれまたすごい人だった。」
「誰ですか?」
「小泉八雲(ラフカディオ・ハーン、1850-1904)だ。
「えっ? あの『怪談』で有名な人ですか?」
「そう。」

「野尻は大学卒業後、山梨県の甲府中学校(現在の甲府第一高等学校))で英語の教師をしていた。その頃指導していた生徒の中に、保阪嘉内(1896-1937)がいた。」
優子はまた驚いてしまった。
「えっ? 保阪嘉内って、宮沢賢治の親友だった人じゃないですか?」
「おお、優子、よく知っているね。そうだよ。」
「保阪が賢治と出会ったのは盛岡高等農林学校だ。保阪は野尻から受けた教育で、天文学にはかなり詳しかった。賢治は中学生の頃から宇宙に関心を持っていたので、保阪の話は刺激的だったと思うよ。その意味では、賢治も間接的だけど、野尻の恩恵を受けて天文学に詳しくなったと言っていいかもしれない。」

星戀にオリオン昴天狼や

「では、山口誓子が詠んだ天文世界を見ていこう。そこには、オリオン、天狼、そして昴の句が出てくる。今日のところは、誓子の天文俳句を鑑賞することにしよう。」

オリオン

まずは、オリオンを詠んだ句。俳句のあとに示したのは、俳句が詠まれた日付、場所である。

海を出し寒オリオンの滴れり 昭和24年1月10日 伊勢白子
上天に寒のオリオン楽奏す 昭和28年1月3日 伊勢白子
オリオン座出でむと地(つち)に霜を降らし
オリオン座ひとより低く出し寒夜 
昭和12年12月 大阪
オリオンが枯木にひかる宵のほど
オリオンの出て間もあらぬ枯野かな 
昭和20年12月9日 伊勢富田
オリオンは一星遅る冬の宵 昭和20年12月13日 伊勢富田
オリオンが枯野の上に離れたり 昭和20年12月25日 伊勢富田
オリオンの東へ木木を枯らすかぜ
寒き夜のオリオンに杖挿し入れむ 
昭和20年12月29日 伊勢富田

 これらの俳句を詠むと、オリオンを単体で季語とはしていないことに気がつく。霜、寒夜、枯木、枯野、寒き。これらの言葉で冬の俳句としている。
また、オリオンが詠まれた夏の句もある。

オリオンが出て大いなる晩夏かな 昭和20年8月10日 伊勢富田

夏の夜、杯を傾けているうちに夜明けが近づいてきたのだろう。東の空を見れば、「オリオン座」が昇ってくる。これまた、一興。

ところで、もうひとつオリオンを詠んだと思われる句がある。

おほわたへ座うつしたり枯野星 大正14年12月 東京

東の空から昇ってきたと思えば、いつのまにか海上の天高くに位置を変えて輝く大星座を詠んだものである。野尻抱影はこの星座をオリオン座と推察している。なお、この句も枯野で、冬の句としている。

天狼(シリウス)

次は、天狼、シリウスを詠んだ句。

天狼の趾(ゆび)かそれとも枯野の燈(ひ)か 昭和22年1月3日 伊勢富田
寒白きもの大犬の牙の星 昭和19年12月10日 伊勢富田
天狼のひかりをこぼす夜番の柝 昭和22年12月22日 伊勢天ヶ須賀
寒星を見に出天狼星を見る 昭和20年12月 伊勢
天狼星ましろく除夜にともりけり 昭和20年12月31日 伊勢天ヶ須賀

二番目の句に出てくる言葉、柝(たく)は拍子木のことである。寒柝であれば冬の季語になる。とはいえ、夜中に拍子木を打つといえば、火事の用心を促すものである。したがって、柝を冬の季語として用いているのだろう。

昴(すばる)

最後は、昴を詠んだ句。

枯野よりなほ星辰のあらはるる 昭和21年元日 伊勢富田
茫と見え又ひとづつつ寒昴 昭和22年1月3日 伊勢富田
冬浜の満天星(まんてんせい)に昴の綬(じゅ) 昭和18年11月18日 伊勢富田
枯枝に燃えつかむとす昴星 昭和18年11月18日 伊勢富田
昴星楼閣のごとししぐれけり 昭和20年12月4日 伊勢富田
こがらしや西へまわりし昴星 昭和19年12月8日 伊勢富田
こがらしや昴ほぐるることもなく 昭和19年12月8日 伊勢富田
雪ぐもり昴しばらく懸りたり 昭和20年12月21日 伊勢富田
寒昴天のいちばん上の座に 昭和20年12月24日 伊勢富田
スバルけぶらせて寒星すべて揃ふ 昭和25年12月31日 伊勢白子

最初の二句は11月18日に詠まれている。立冬の前なので、季節は晩秋だ。しかし、二句共に、冬の句として読まれている。残る六つの句も、昴を単体で用いることはせず、冬を表す言葉(しぐれ、こがらし、雪、寒)と共に出てくる。

オリオンと天狼昴季語とせず

「さて、天文俳句の大御所である山口誓子が詠んだオリオン、天狼、昴の俳句をみてきた。誓子はオリオン、天狼、昴を単体の季語として用いてはいない。必ず、別の季語を併せて季節を指定している。」
「やはり、そうでしたね。」
「感想は、明日話すことにしよう。」
「はい。」

輝明も優子も、いっぺんに沢山の天文俳句が出てきて面喰らい気味だ。
でも、いいじゃないか。待ちに待った天文俳句だ。一晩では足りないかもしれないけど、まずはゆっくり鑑賞する。そう心に決めた。

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天文俳句 (1)季語における天文https://note.com/astro_dialog/n/nb90cc3b733fd

天文俳句 (2)季語における天文、再びhttps://note.com/astro_dialog/n/nf48bd3d54c58

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