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宮沢賢治の宇宙(61) 賢治はどんな雲の信号を見たのだろう?

「雲の信号」

前回のnoteで宮沢賢治の『春と修羅』にある「雲の信号」という短い心象スケッチを紹介した。

あゝいゝな せいせいするな
風が吹くし
農具はぴかぴか光つてゐるし
山はぼんやり
岩頸(がんけい)だつて岩鐘(がんしょう)だつて
みんな時間のないころのゆめをみてゐるのだ
  そのとき雲の信号は
  もう青白い春の
  禁慾のそら高く掲げられてゐた
山はぼんやり
きつと四本杉には
今夜は雁もおりてくる 
(『【新】校本 宮澤賢治全集』第二巻、筑摩書房、1995年、30 頁)

前回のnoteでは「時間のないころ」に焦点を当てて話をした。今回はこの心象スケッチのタイトルである「雲の信号」に焦点を当てたい。

青白い春の禁慾のそら高く掲げられてゐた雲の信号

さて、これが何を意味するかだ。

信号と聞くと、私たちは交通信号機を思い浮かべる。青(緑)、黄、赤の3色のやつだ。調べてみると、この種の交通信号機が設置されたのは1930年とのことだ(以下を参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/日本の交通信号機)。「雲の信号」が収められている詩集『春と修羅』は大正11年から12年(1922年から1923年)に編纂されたものなので、賢治はまだ交通信号機を目にしていない。

すると、鉄道の信号機だろうか? そういえば、賢治の童話で鉄道の信号機が主人公の童話がある。『シグナルとシグナレス』だ。この童話は賢治お得意のオノマトペで始まる。

ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
さそりの赤眼が 見えたころ、
四時から今朝も やって来た。
遠野の盆地は まっくらで、
つめたい水の 声ばかり。
(『【新】校本 宮澤賢治全集』第12巻、筑摩書房、1995年、141頁)

岩手軽便鉄道の走る姿だ。
東北本線の信号機、そして岩手軽便鉄道の腕木式信号機の恋の物語である。岩手毎日新聞に1923年5月11日から23日の間に連載された童話だ。

腕木は紅白の二色が配置された板である(図1)。これをイメージできる雲はあるだろうか? ちょっと思いつかない。

図1 (上)津軽鉄道で使われている腕木式信号機。(下)進行は腕木が下がり(左)、停止では腕木が水平になる(右)。 日本旅行 https://www.nta.co.jp/jr/train/kishatabi/column/20151211.htm

バルコニーから見た雲

我が家はマンションだが、ルーフバルコニーがあるので、園芸を楽しんでいる。その最中、さまざまな雲を見てきた。

最初の2枚は飛行機雲が写っている写真だ(図2、図3)。賢治の時代、まだ飛行機は運行していなかったので、飛行機雲を見ることはなかったはずだ。ちなみに、全日空や日航が飛行機の運用を始めたのは1950年代前半のことだった。

図2 バルコニーから見た雲。飛行機雲も見える。
図3 空の「X」。飛行機雲の共演。

次は夕焼け空の雲と月夜に見えた叢雲の写真だ(図4、図5)。賢治の「雲の信号」は明らかに昼間に詠まれた心象スケッチである。したがって、このような雲ではないだろう。

図4 夕焼けどきの赤い雲
図5 月に叢雲(むらくも)。

次は彩雲。雲の中に虹が見えている(図6)。雲の中にある水滴が太陽の光を屈折して虹色が見えている。波長によって屈折率が違うので、虹色になる。古来、吉兆の知らせと言われてきた。私は数回見たことがある。賢治も彩雲に出会ったことはあっただろう。

図6 彩雲。

最後にもうひとつ(図7)。まるで狼煙のような雲だ。狼煙は信号に使われるので、これは雲の信号とみなすことができる。ただ、賢治の意図に合っているかはわからない。

図7 まるで狼煙のような雲。

降りてくる雁?

ころで「雲の信号」にはもうひとつの謎がある。それは最後の一文である。

今夜は雁もおりてくる

「雲の信号」は1922年の5月10日に詠まれた。もうすっかり春であり、雁は越冬を終え、3月頃には故郷のシベリアに戻っている。つまり、5月の夜に雁は降りてこないはずなのだ。

この謎については「雁=すばる」、つまりプレアデス星団という説があるとのことである。

すばるは「おうし座」の方向にある散開星団である(図8)。肉眼で数個の星が集まって見えるので、見たことがある人は多いだろう。すばるは秋から冬にかけて見えるが、春には夕方過ぎに西の空に沈んでいく。詩の中に出てくる四本杉は花巻にある地名(通称)である。賢治の住んでいた家の2階の窓から四本杉の方向を見ると、ちょうど沈みゆくすばるが見える。その姿を雁に見立てたということになる。

図8 すばる。距離は約440光年。https://ja.wikipedia.org/wiki/プレアデス星団#/media/ファイル:Pleiades_large.jpg

まさかわずか12行の詩の最後に、天文学の香りを入れてくれたとは。

いったい、雲の信号とは何だったのだろう。

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