宮沢賢治の宇宙(97) 賢治の詩『旭川。』にまつわる三つの謎
北海道の旭川には賢治の詩碑がある
前回のnoteでは北海道の旭川市内にある賢治の詩碑を見た話をした。この詩碑は、賢治の詩『旭川。』に由来する。
賢治が旭川を訪れたのは1923年夏のサガレン(樺太、サハリン)旅行の途中のことだった(表1)。旅の目的は前年(1922年)に亡くなった妹トシの面影を求めることにあった。そのため、表1に挙げた詩には挽歌が目立つ。実際、読んでみるとわかるが、暗いトーンの詩ばかりだ。
詩『旭川』には三つの謎がある。順次、説明していこう。
第一の謎:なぜ『旭川』だけ明るい詩なのか?
『旭川』は次のように始まる(図1も参照)。
植民地風のこんな小馬車に
朝早くひとり乗ることのたのしさ
「農事試験場まで行って下さい。」
「六条の十三丁目だ。」
馬の鈴は鳴り馭者は口を鳴らす。 (『【新】校本 宮澤賢治全集』第二巻、筑摩書房、1995年、463頁)
なんだか、賢治の高揚感が伝わってくるで。なぜ傷心旅行で、賢治はこんな明るい詩を書いたのか? この旅で書かれた他の詩(表1にある青森挽歌、宗谷挽歌など)とは全く雰囲気が違うのだ。なぜか?それが最初の謎だ。
私も『旭川』を最初に読んだとき、不思議に思った。しかし、なぜそうなのか、全く訳が分からなかった。
ところが、梯久美子の『サガレン』(KADPKAWA、2020年、176-179頁)を読んで、その理由らしきものがわかった。その理由は馬車を引く馬の種類なのだ。
一列馬をひく騎馬従卒のむれ、
この偶然の馬はハックニー
たてがみは火のやうにゆれる
梯によれば、ハックニー種は英国原産だが、日本では岩手県小岩井農場で多く産出されたというのである。もちろん、賢治のお気に入りの馬だ。その馬に異郷の地、旭川で巡り会えた。賢治の気分が高揚するのは当然だったのだ。
第二の謎:なぜ『旭川』ではなく(旭川。)なのか?
この詩のタイトルになぜか読点「。」が付けられている。実際、賢治の残した原稿がそうなっている。『【新】校本 宮澤賢治全集』第二巻、校異篇、筑摩書房、1995年、200頁には次の説明がある。
題名 最初、二字下ゲで「(旭川。)」と書かれたのを、濃いインクで消してその下のマス目に 旭川。 と書き直している。 (なお、括弧は二重括弧)
なぜ、詩のタイトルに読点の「。」が付けられているのだろう? 普通、詩のタイトルに読点「。」をつけることはしない。不思議だ。これが第二の謎だ。
理由は二つ考えられる。
ひとつは、最初の謎で紹介した、賢治が経験した旭川での高揚感のせいだ。旭川で賢治の好きな馬、ハックニーに出会えた。喜んだ賢治は力を込めて詩のタイトル『旭川』に読点「。」を入れ、『旭川。』にした可能性がある。
二つ目は旭川の発音に起因する。旭川の呼び名は「あさひかわ」が正式だが、国鉄時代の駅名は「あさひがわ」だった。函館本線の旭川駅開業は1898年なので、賢治の時代にも「あさひがわ」だった可能性がある。「あさひかわ」と「あさひがわ」では、微妙にアクセントが異なる。「あさひかわ」の場合、フラットだが、「あさひがわ」の場合、「が」で少しトーンが上がり、「わ」で下がる。そのため、「あさひがわ」と発音すると、体言止め(名詞で文章を終えること)のような印象になる。つまり、そこで文章が終わる感じがするので、読点「。」を付けたくなったとする解釈である。
第三の謎:なぜ賢治の付けたタイトルにしなかったのか?
『【新】校本 宮澤賢治全集』(第二巻、本文篇、筑摩書房、1995年、463頁)に出ている『旭川』には読点「。」がない(図1)。
なぜ、賢治の残したタイトル『旭川。』にしなかったのだろう? 『【新】校本 宮澤賢治全集』の編集者たちは、詩のタイトルに読点「。」を入れるのはおかしいと感じたのだろう。しかし、オリジナルに敬意を表してほしかった。私たちが読みたいのは賢治の作品である。編集者の作品ではない。
前回のnoteでもお見せしたが、旭川東高校の正門の脇にある詩碑の写真を図2に示す。この碑に刻まれたタイトル。それは旭川ではなく、 旭川。 である。やはりオリジナルのタイトルの方がよいと感じた。