「宮沢賢治の宇宙」(18) 『青森挽歌』の謎
青森に向かう、南への旅の謎
『青森挽歌』には不思議な一文がある。
わたくしの汽車は北へ走つてゐるはづなのに
ここでは南へかけてゐる (第二巻、157頁)
東北本線で花巻から青森へ向かう。列車は、ひたすら北へ向かう。そのはずだが、なぜか汽車は南へ走っている。この一文のあとには、次の文章がある。
汽車の逆行は希求の同時な相反性
こんなさびしい幻想から
わたくしははやく浮びあがらなければならない (第二巻、157頁)
これを読むと、南に走っているのは賢治の幻想だと思ってしまう。
夏泊半島
ところが、意外や意外。花巻から青森へ向かう途中、汽車が南へ向かうエリアがあるのだ。それは夏泊半島の西側だ。
東北本線(現在は“青い森鉄道”)は八戸を過ぎると、野辺地を通り、夏泊半島の小湊駅を通る。ここまでは進路は北向きだが、その後ゆっくりと進路を南に向け始め、浅虫温泉駅付近では青森駅を目指して南下していく(図1)。
わたくしの汽車は北へ走つてゐるはづなのに
ここでは南へかけてゐる (第二巻、157頁)
浅虫温泉駅のあたりでは、まさに、この賢治の文章にあるとおりのことが起きるのだ。
このことを明瞭に指摘したのは今野勉と梯久美子である。それぞれ、『宮沢賢治の真実 修羅を生きた詩人』(新潮社、2017年、285-288頁)と『サガレン 樺太/サハリン境界を旅する』(角川書店、2020年、164-167頁)に説明が出ている。
私のように何度も東北本線に乗ったことがある人でも、あまり気がつかないものだ。ただ、青森県民の方々なら、賢治の文章に首をかしげる人はいないだろう。
左富士
ところで、今野勉と梯久美子の説明を読みながら、私はなんとなく既視感を抱いた。「青森へ向かう東北本線の汽車が南下することがある」これと同じような話を何かの本で読んだことがあるような気がしたのだ。しばらく考えているうちに思い出した。それは “左富士”。
東京から大阪方面に向けて東海道本線の列車に乗ると、静岡あたりで富士山がよく見えるようになる。富士山が見えるのは向かって右側だ。しかし、ごく短い区間だけ、富士山が左側の窓から見えることがある。それが左富士だ。
静岡駅を過ぎて安倍川の鉄橋を渡ると、電車は左に進路を変える。このとき、わずか1分間程度の時間だけど、海側から富士山を望めることができる。
私自身はこの左富士を見たことはない。左富士のエピソードは西村京太郎の推理小説で紹介されていた。『十津川警部あの日、東海道で』(実業之日本社、2010年)。どんなトリックだったか、今では思い出せない。
ここで、ふと思った。東北本線を走る青森行きの汽車が南へ向かう。これをトリックにした推理小説が書ける???