銀河系のお話し(12) 新たな情報2024年4月3日
『銀河系』問題
天の川銀河のことを、なぜ「銀河系」というのか? この問題について考えてきたが、いまだに答えは見つかっていない。
note 「銀河系のお話し(3) 『銀河系』という言葉はいつから使われていたのか? https://note.com/astro_dialog/n/ne316644c6000
前回のnote「銀河系のお話し(9)」では、1916年には「銀河系」という言葉が使われていたことを報告した。情報源は日本天文学会の学会誌『天文月報』に掲載されていた記事だった。明治・大正時代の天文学の教科書に頼るのも一つの方法だが、「天文月報」を調べるのも有効な手段であることを知った。そこで、さらに古い「天文月報」を調べてみることにした。その結果、1913年の記事では「銀河系」ではなく「銀河」が使われていたことがわかった。
日本天文学会の学会誌「天文月報」
日本天文学会の学会誌『天文月報』が刊行されたのは1908年のことだ。この年に刊行されたのが第1巻。アーカイブは下記で読むことができる。
https://www.asj.or.jp/geppou/contents/
第1巻から調べていくと、1913年の4月号と5月号に「銀河」が出てくる。4月号には雑報として「銀河の総合スペクトル」という短い記事が出ている。また、5月号には金子秀吉による「銀河の構造に関する輓近の研究」という記事が出ている。輓近は「ばんきん」と読むが、「最近」とか、「近頃」という意味である。最近では見かけない言葉だ。
著者の金子秀吉は理学士という肩書きだが、どういう人かはわからない。天文学会の会員なので、大学あるいは東京天文台に勤務していた天文学者だと思われる。金子による記事を図1に示す。
この記事の意味するところは1913年の段階では「天の川銀河」は「銀河」とされていたことである。まだ、「銀河系」とは呼ばれていなかったのだ。一方、前回のnoteで紹介した新城新蔵(しんじょう しんぞう、1873-1938)による『天文月報』1916年4月号の記事では「銀河系」が使われていた。したがって、「銀河系」という言葉が提案され、使われるようになったのは1913年から1916年の間であるとしてよい。いつ、誰が、何を根拠に「銀河系」という名前を提案したかは依然として不明である。しかし、その時期を抑え込むことができたのは大きな進展だ。
新城新蔵の著書を見つけた!
前回のnoteで、新城新蔵が『天文月報』1916年4月号の記事で「銀河系」という言葉を使ったことを報告した。今のところ、これが「銀河系」の初出になっている。
新城は京都帝国大学の総長にもなった、キャリア派の天文学者である。学界での影響力は大きかった人だと推察される。新城の著書はないものかと思っていたら、神田神保町の古書店で一冊見つけることができた。岩波書店から大正8年(1919年)に出た『天文大観』という本だ(図2)。箱入りのハードカバーの本である。
この頃の教科書の特徴だが、箱入りのものは結構多い。本はハードカバーで立派だが、ほとんどの場合、濃紺で味気ない作りになっている。実際、本のタイトルは表には出ていない。背表紙に見ることができるだけだ(図3)。つまり、本をポンと置いてあると、なんの本かわからないのだ。同じサイズの本が多いので、これは困る。まあ、背表紙を見ればいいのだが・・・・。
この本の第14章のタイトルは「銀河の光と宇宙構造論」になっている(図4)。ところが内容を見ていくと、「銀河系」という言葉が出てくる。
その部分を読んでみよう。「我が星辰界(せいしんかい)は銀河の面の方向に延びた扁平體(へんぺいたい)であると考へられ、従って、銀河系と称(たた)へらるゝ程であるのだから・・・」 これを読むと、扁平體だから「銀河系」という論理になっている。残念ながら、これでは意味がよくわからない。
新城の頭の中では「天の川銀河」は既に「銀河系」という言葉になっていたのだろうか。しかし、章のタイトルは「銀河」なので、まだ完全には「銀河系」という言葉に置き換わってはいなかったのかも知れない。なかなかスッキリした「銀河系」の起源を見つけるのは難しい。
ということで、「いったい誰が、何を根拠に『銀河系』と名付けて普及させたのか」という問題の探究はまだまだ続く。今後の進展に期待したい。
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