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「宮沢賢治の宇宙」(27) 夜空を滑った星はどこにあるのだろう?

銀河のなかで一つの星がすべったとき

前回のnote「宮沢賢治の宇宙」(26)で空の孔の話をしたとき、賢治の詩〔北いっぱいの星空に〕の初期形にある文章を最後に紹介した。

銀河のなかで一つの星がすべったとき
はてなくひろがると思われてゐた
そこらの星のけむりをとって
あとに残した黒い傷
その恐ろしい銀河の窓は
いったい空のどこだらう 
『【新】校本 宮澤賢治全集』第三巻、校異篇、265頁、筑摩書房、1996年)

非常に不思議な文章だ。前回のnoteでは、「黒い傷」「恐ろしい銀河の窓」は石炭袋のような暗黒星雲であると解釈した。しかし、別の解釈も可能だ。ここでは「星がすべったとき」という表現に着目してみたい。

星が滑ると暗黒星雲ができる?

「星が滑る」これを天文学に解釈するのは難しい。本当に「星が滑る」ことは起きないからだ。そこで、想像力を働かせるしかない。

「滑る」は「移動」を意味する。一番簡単な解釈は、「夜空の星が、ある方向にズレる」ことだ。仮に、それが起こると何が期待できるか? ひとつの可能性を図1に示した。

図1 星の移動。(左)夜空のある方向を眺めたとき、見えた星の配置。着目する星を赤い色で示した。(中央)赤い星が右下の方向に滑る(移動)。(右)滑り終えたとき、赤い星は右下の方向に移動して見える。赤い星が元あった場所は、赤い星が無くなったので、周囲に比べて暗く見える。あたかも、そこに暗黒星雲が誕生したかのように見える。

星が滑る(ある方向に移動する)と、星の消えた場所は暗くなり、そこに暗黒星雲が誕生したかのように見える。この解釈を採用すると、賢治の詩〔北いっぱいの星空に〕の初期形にある文章が理解できる。「銀河のなかで一つの星がすべったとき・・・あとに残した黒い傷」これは「星の移動 → 暗黒星雲の誕生」というシナリオになる。

ここで、「暗黒星雲の誕生」としたが、それは前回のnoteで「空の孔」の話をしたからだ。別に、暗黒星雲ができなくてもよい。ある星がパッと滑った(移動した)。これだけでも、面白い話だ。

星の移動は見えるか?

では、星がパッと移動して見えることはあるだろうか?

例えば、私たちの時間感覚で移動して見える天体は二つある。太陽と月だ。

太陽は朝、東の空から昇り、夕方、西の空に沈む。一時間あたり、角度にして15°移動する。ところが、この移動は太陽が物理的に移動しているわけではない。原因は地球の自転。地球は1日24時間かけて360°回る。それを反映しているだけだ。

次は月だ。三日月、上弦の月、満月、下弦の月。日々、月は移動とともに姿も変え、私たちを楽しませてくれる。これは月がひと月の時間をかけて地球の周りをまわっているせいである。月までの距離は近い。38万キロメートルしかないからだ。そのため、私たちは月の移動を感じることができる。

では、移動する星を見ることができるだろうか? 厳密に言えば、すべての星は運動しており、常に移動している。しかし、私たちがそれを感じることは難しい。それは、星が遠くにあるからだ。

夜空に見える星までの距離は数十光年から1000光年ぐらいだ。太陽系を含む10光年四方の中にある星はたったの10個しかない。太陽や月に比べると、星は圧倒的に遠いのだ。ちょっと移動したぐらいでは、その動きは見えない。

バーナード星

1世紀も前のことだが、大きく移動する星が見つかった。「へびつかい座」で発見されたその星の名前はバーナード星。米国の天文学者エドワード・エマーソン・バーナード(1857 – 1923)が1916年に発見した星だ。見かけの明るさは9.5等星(図2)。太陽からの距離は約6光年。非常に近くにある星だ。

図2 バーナード星。バーナードは暗黒星雲の正体を明らかにした天文学者である。note「宮沢賢治の宇宙」(26)を参照。 https://ja.wikipedia.org/wiki/バーナード星#/media/ファイル:Barnardstar2006.jpg

この星が着目されたのはその動きだ。わずか1年の間に、北の方向へ10.3秒角も動いていくのだ(1秒角は1/3600°)。350年で、約1°(満月二個分の角度)も移動する。

1985年から10年毎に撮影したバーナード星を見てみよう(図3)。バーナード星がこの図では、どんどん下(北の方向)に動いていくのがわかる。実際の運動速度は秒速108キロメートル。時速に換算すると約39万キロメートルにもなる。

図3 バーナード星の動き。撮影年は左から、1985年、1995年、そして2005年。各画像の画角は12分角×12分角。方角は下が北、右が東。バーナード星以外の星はほとんど動いていない。 https://ja.wikipedia.org/wiki/固有運動#/media/ファイル:Barnard2005.gif

固有運動

「星が滑る」。これは「星が移動する」ことだ。星の移動量は一年間あたり、星が天球面上を移動する角度で表される。これを星の「固有運動」と呼ぶ(図4)。単位は秒角/年になる。

図4 星の固有運動。星は天の川銀河(三次元空間)の中で運動しているので、空間における速度も三次元になる。観測の制約上、測定できるのは「視線速度」と、天球面に沿う速度、「接線速度」になる。「接線速度」は天球面内の運動速度なので、二次元の情報を持つ。したがって、一次元の「視線速度」と二次元の「接線速度」を合わせることで星の三次元速度がわかる。 https://astro-dic.jp/proper-motion/

高速度星

では、「滑りやすい」星は、どんな星だろうか? 「滑りやすい」星とは、結局、「固有運動」の大きな星のことだ。基本的には二種類ある。

(1)太陽系に近い星
(2)太陽系との相対速度が大きい星

(1)は太陽系に近いので、相対速度が小さくても、移動量が大きく観測される。「近くにある」という選択効果で移動量が大きく見える星である。

本質的に重要なのは(2)だ。これらは「高速度星」と呼ばれる。

「高速度星」は太陽系から観測される相対的な運動速度が秒速65キロメートルより大きな星と定義される。先ほど紹介したバーナード星の相対速度は秒速108キロメートルもあった。明らかに高速度星である。

太陽系から一番近い星は「ケンタウルス座」のα星である。距離は4.4光年。この星は三重星で、太陽系に一番近いのはαC星(距離は4.256光年)である。視線速度はマイナス20 km/s(マイナスなので、太陽系の方向に向かう運動)。固有運動は約0.7秒角/年。バーナード星より近い星だが、固有運動はバーナード星に比べて十分小さい。つまり、太陽系に近い星が自動的に固有運動の大きな星というわけではない。実際の運動速度が小さいことや、運動の向き(視線方向に沿って動いていると、固有運動は小さくなる)の効果がある。いずれにしても、固有運動の大きな星は高速度星であることは間違いない。

ハローを駆け巡る星

では、どんな星が高速度星として観測されるのだろうか? その前に、天の川銀河の構造を復習しておこう。基本構造は「銀河円盤」+「ハロー」である(図5)。

図5 天の川銀河の構造。銀河の円盤を取り囲むようにハローが拡がっている。ハローのサイズは円盤の数倍から十倍以上ある。この図で星のように見えるのは球状星団である(約150個)。球状星団は老齢で軽い星が数十万個から百万個集まった星団である。 https://hubblesite.org/image/4369

太陽などの星は天の川銀河の円盤の中にある。銀河円盤と呼ばれるものだ。この銀河円盤は全体的に回転していて、銀河の中心の周りを約2億年かけて一周している。太陽はこの回転に乗っかり、秒速260キロメートルで回転運動している。この速度自体はバーナード星の運動速度より速い。しかし、銀河円盤にあるたくさんの星々は、まさに一蓮托生で、みんな同じように回転運動している。そのため、太陽との相対速度は小さい。

ところが銀河円盤を取り巻くように存在しているハローにある星は、銀河円盤とは独立して運動している。そのため、円盤の中にある太陽との相対速度が大きくなり、高速度星として観測されるのだ(図6)。

図6 銀河円盤とハローにある星の運動の違い。銀河円盤にある星は円盤とともに回転運動している。一方、ハローにある星は天の川銀河全体の重力場の中でランダムな運動をしている。そのため、銀河円盤にある星との相対速度は大きくなり、高速度星として観測される。

ハローにある物質の大半はダークマターだが、星やガスもある。星はハローが形成されたときに生まれた老齢な低質量星と、銀河円盤から弾き飛ばされた星、天の川銀河の衛星銀河の合体で供給された星などがある。ガスは天の川銀河の重力に捕捉されている高温(数万度)の電離ガスが主体である。

そのほかに、約150個の球状星団が銀河系の周りにあることがわかっている(図4)。球状星団の発見は17世紀まで遡ることができる。M22 と ωCen(オメガ星団) という名前の球状星団である。M22はドイツの天文学者ヨハン・アブラハム・イーレによって1656年に発見された。一方、ωCenは見かけの等級が約4等星なので、紀元前2世紀にはトレミーによって発見されている。ωCenは「ケンタウルス座」オメガ星という意味で、最初は星として登録されたものだ。星ではない天体として再発見されたのは1677年。発見者はハレー彗星で名高いエドモンド・ハレーだった。ωCen、オメガ星団の姿を見ておこう(図7)。

図7 (左)球状星団ωCen、オメガ星団。見かけの明るさは3.9等星。距離は15800光年で、半径は86光年。(右)南半球で見た夜空。オメガ星団は黄色の四角で示した。天の川の中には暗黒星雲「石炭袋」が見える。右に見える二つの銀河は大小マゼラン雲。 (撮影:畑英利、撮影地:オーストラリア・タスマニア島) ωCenのクローズアップ https://en.wikipedia.org/wiki/Omega_Centauri#/media/File:Omega_Centauri_by_ESO.jpg

オメガ星団のような球状星団が「滑る」ことはあるのだろうか? オメガ星団の質量は太陽質量の約1000万倍もある。これが滑ると、結構大変なことになりそうだ。

オメガ星団と同様に肉眼で見ることができる球状星団に「きょしちょう座」47がある(距離は13400光年)。こちらも、最初は「きょしちょう座」47番星、星として登録されたものだ。この星団の固有運動は測定されていて、約5ミリ秒角/年=0.005秒角/年。ほとんど、動かない。

オメガ星団の固有運動は測定されていないが、同程度だろう。オメガ星団が滑ることはない。安心されたい。

イーハトーブから

オメガ星団は賢治の故郷、イーハトーブから見ることができる(図8)。

「ケンタウルス座」と聞くと、南天の星座と思い込んでしまい、日本から見ることはできないと思いがちだ。しかし、「ケンタウルス座」の北側の半分は日本から見ることができる。星座に詳しかった賢治は、もちろんそれを知っていた。だからこそ、『銀河鉄道の夜』には夏祭りとして「ケンタウル祭」が出てきた。

目の良い賢治はオメガ星団も見ていたことだろう。
「滑るなよ」と言いながら。

図8 イーハトーブ、岩手県種山ケ原から眺めた「ケンタウルス座」のオメガ星団。明け方の風景なのでオメガ星団の姿は微かだが、見えるだろうか。地平線の彼方に滑り落ちそうだが、心配はいらない。 (撮影:畑英利)

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