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銀河のお話し(2) アンドロメダ殺し 第一幕
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アンドロメダ銀河の秘密
夏休み明けの定例部会とその後始末は無事終わった。銀河の簡単な説明をしただけだったので、定例部会の次の週にも、輝明が講演する部会を設けることにした。
そして、その日がやってきた。テーマはアンドロメダ銀河だ。アンドロメダ銀河といえば、天文ファンなら誰でも知っている銀河だ。そこで、輝明は少し意表をつくストーリーを用意した。それは「アンドロメダ銀河が殺されかけた話にする」ことだ。輝明はみんなの驚く顔を想像しながら、話を始めた。
「今日はアンドロメダ銀河の話だ。まずは、その姿を見ておこう(図1)。」
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「わあ、綺麗だなあ!」
優子は思わずため息をついた。
「どうした、優子」
「あっ、輝明先輩」
優子は振り向いて答えた。
「今、アンドロメダ銀河の写真を見ていたんです。国立天文台のすばる望遠鏡が撮影した写真です。」
「すばる望遠鏡はすごいね。ところで、このアンドロメダ銀河の写真(図1)を見て、不思議に思うことはあるかな?」
輝明は優子に訊ねた。優子は今一度写真を見てから答えた。
「はい、三つあります」
「おお、三つとは凄いね。どんなこと?」
「まず、円盤の外側が微妙に反っているように見えることです。」
「優子は鋭いね。それはウオープ(warp)構造と呼ばれるものだ。「反り」とか、「歪み」という意味だよ。アンドロメダ銀河だけでなく、多くの渦巻銀河の円盤は意外とウオープしているものが多い。」
優子は続ける。
「それから、二つ目の不思議なことは、渦巻がよく見えないことかしら。」
「たしかにそうだね。アンドロメダ銀河は渦巻銀河に分類されているけど、渦巻はよく見えない。」
「三つ目は二つの衛星銀河。」
「M32とM110のことだね。どこが気になるの?」
「二つとも小さな楕円銀河に見えるのはいいんだけど、見え方がずいぶん違います。M32は外側の境界がはっきりとしているのに、M110の方はぼんやりとしています。M110の方は小さいですが、普通の楕円銀河のように見えます。でも、M32はちょっと違うような気がします。」
「なるほど、それは面白い。たしかに二つの銀河の様子は違うね。」
輝明と優子はM32とM110を見比べて、両者の違いを確認した(図2)。
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こうして、優子は三つの疑問点を挙げた。輝明は優子の指摘したアンドロメダ銀河の不思議をまとめることを提案した。
「優子、三つの疑問点を黒板に書いてみて。」
優子はサラサラっとまとめた。
「こんな感じでしょうか(図3)。」
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「せっかくだから、アンドロメダ銀河の写真をコピーして、三つの謎を書き入れておこう。」
輝明は結構、まめに仕事をする。コピーをとって、さっさと三つの謎を書き入れた(図4)。その図を見て、優子は感心した。
「これで、バッチリですね。」
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輝明は優子の「銀河を観る目」の鋭さに驚いた。
「優子は天文学者になれるかもしれないね。」
「えっ? どうしてですか?」
「うん、優子がアンドロメダ銀河の写真を見て不思議に思ったことが三つあった。それらは、アンドロメダ銀河の性質を理解するのに、非常に重要な鍵になるものばかりなんだ。」
そして、輝明は少しもったいをつけて優子に言った。
「実は、アンドロメダ銀河は20億年前に殺されそうになったんだよ」
優子は目を見開き、信じられないというような顔をして輝明を見つめた。
アンドロメダ銀河に渦巻はあるのか?
「優子はアンドロメダ銀河の形態分類のタイプを知っているかな?」
「渦巻銀河じゃないんですか?」
「そのとおり。アンドロメダ銀河は “渦巻銀河”に分類されている。銀河の形態分類を提唱したエドウイン・ハッブルもアンドロメダ銀河を渦巻銀河としている。タイプはSb型。要するに、ごく普通の渦巻銀河だとされていた(図5)。」
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輝明は話を続ける。
「では、アンドロメダ銀河に本当に渦巻があるんだろうか? 今一度、アンドロメダ銀河の姿を見てみようか(図6)。よく見ると、渦があるのかどうか、はっきりしない。渦巻がなければ、渦巻銀河ではないことになっちゃう。なんだか、渦巻というよりは、リング(環)のようにも見えるね。」
優子は困った。優子の頭の中を渦巻くのは“渦”ではなく、“謎”だけになった。
たしかに、アンドロメダ銀河にも渦らしきものは見えるのだが、黒い筋の方が目立っている。そして、その黒い筋は渦ではなく、リングのように見える。優子はこの点を輝明に聞いてみることにした。
「輝明先輩、この黒い筋のように見えるのはなんですか?」
「ああ、これはダスト・レーンだよ。ダストは塵粒子のことで、岩石を細かく砕いた砂粒のようなものだと思えばよい。ダスト・レーンは暗く見えるので、ダーク・レーンとも呼ばれる。」
輝明はパソコンを取り出して、ネットに繋ぎながら話を続けた。
「アンドロメダ銀河の構造は可視光ではよくわからないけど、赤外線で見るとよくわかる。赤外線で見えるのは星の分布じゃなくて、ダストの分布なんだ。ほら、これを見てごらん。」
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「わあ、リングだ!」
優子は思わず叫んだ。
ダスト・レーンはなぜリングの形をしているのか? そもそも、ダスト・レーンとは何か? 銀河の光は星の光。そう思い込んでいた優子にはよくわからない。
「暗黒星雲が繋がって帯状に見えているのがダスト・レーンだ。天の川にもあるよ(図7)。」
そう言って、輝明は国立天文台すばる望遠鏡のサイト(ハワイ州ハワイ島マウナケア山)で撮影された写真を見せてくれた。
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「天の川は僕たちが住んでいる銀河(銀河系)を真横から見ているので、円盤にある星々が川のように見えている。円盤には星だけでなく、ガスの雲がたくさんある。ガス雲の主な成分は水素などのガスだけど、ダストもある。質量比で言うと、ガスが100あるとすると、ダストは1。つまり、ガス雲の質量の1パーセントはダストなんだ。ダストがあると、やってきた星の光を散乱したり、吸収したりする。そのため、背景の星の光が見えなくなってしまう。そのため、何もないかのように、黒く見えてしまうんだ(図8)。それがダストレーンとして見えることになる。」
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輝明は続ける。
「ところが、ダストは星の光で温められて赤外線を出す。だから、赤外線で観測すると、ダスト・レーンが綺麗に見えてくるんだよ。」
なるほど。優子も納得した。しかし、大切なことがある。
「つまり、アンドロメダ銀河は渦巻銀河ではなくて、リング銀河ということなんですか?」
「そうだよ。」
輝明は何事もなかったかのように、そう言った。
しかし、リング銀河とは耳慣れない言葉だ。優子は首を傾げた。宇宙にはリング銀河と呼ばれるものがあるのだろうか・・・?
リング銀河の世界
優子のそんな様子を見て、輝明はリング銀河の説明をすることにした。
「リング銀河は実際に見つかっている。ただし、渦巻銀河や楕円銀河のようにたくさんはない。頻度としては、近傍の宇宙にある数千個の銀河を調べて、ようやく数個見つかる程度だ。したがって、リング銀河は珍しい銀河だ。珍しいということは、何を意味すると思う?」
「リングを作るのは難しいということですか?」
「そう、そのとおり。渦巻銀河の渦は銀河が回転していれば勝手にできる。ところが、リング銀河は勝手にはできないんだ。その理由はリング銀河を見るとわかる。ほら、これがリング銀河の例だ(図9)。」
優子は驚いた。まさか、リングの形をした銀河がこの宇宙にあるとは思ってもいなかった。
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「みんなアープなんとか、という名前なんですね」
「アープは人の名前なんだ。ホールトン・チップ・アープ(1927-2013)。米国の天文学者で、かなり変わった人だったと言われている。人としては普通だが、研究テーマが変わっていた。銀河の研究をする場合、ハッブルのように楕円銀河や渦巻銀河をまず調べる。大多数の銀河は楕円銀河や渦巻銀河だからだ。これらの銀河を調べれば、銀河一般の性質を理解する近道になる。しかし、アープはそのような研究はしなかった。楕円銀河でもなく、渦巻銀河でもない。一貫して、変わった形をした銀河を研究対象にしたんだ。それらは「特異銀河」と呼ばれている。特異な形をしているためだ。結局、338個の特異銀河を探し出し、『特異銀河アトラス』を1966年に出版した。そのアトラスに収められた銀河は、変な形をした銀河ばかりであった。その中にリング銀河もあった。」
「さて、リング銀河に戻ろう。リング銀河はどうやってできるのか?」
リング銀河の例を今一度ちゃんと眺めると、優子はある共通点があることに気がついた。それは、リング銀河のそばには、もう一つの銀河が寄り添っていることだ。
輝明は優子の発見に気づいたように説明を続けた。
「リング銀河のそばには、必ず他の銀河が寄り添うようにしてあるね。これが大きなヒントだ。そばに銀河があるのなら、答えは一つ。「銀河が衝突してリングができた」ということだ。」
銀河と銀河が衝突する。なんて壮大な出来事だろう。呆然とする優子を横目に見ながら、輝明は続ける。
「じつは、銀河の衝突にもいろいろある。どのぐらいの質量の銀河がぶつかってきたか? どの方向からぶつかってきたか? そもそもぶつかられた方の銀河はどんな銀河だったのか? 結構パラメータが多いんだ。」
想像もしにくい出来事なので、優子の頭はクラクラしてきた。「銀河の円盤をリングのようにするにはどんな衝突がよいか? それは、円盤を貫通するようにぶつかるのが一番なんだ。頭の上から銀河が降ってくるような感じだ(図10)。回転軸方向から銀河が近づいてくると、円盤銀河の外側の星は、円盤の内側にある自分の銀河の星々と、ぶつかってきた銀河の星々を足し合わせた質量から重力を感じる。そのため、強く中心部に引かれるようになるので、円盤にあった星々は銀河の中心めがけて移動し始める。ところが、裏切りが待っている。なぜなら、衝突してきた銀河は円盤をすり抜けて逃げていくからだ。そのため、しばらくするとまたもとの円盤銀河の星々からの重力しか感じなくなってしまう。この裏切りのため、銀河の中心めがけて移動してきた星々は外側にはじき飛ばされてしまう。そして、これらの星々がリング状に集まってしまうんだ。これでリング銀河の出来上がり。」
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いやはや、銀河も大変だ。円盤が消えて、リングになるなんて、優子は想像もしなかった。
アンドロメダの涙
「でも、アンドロメダ銀河に他の銀河が衝突したなんて信じられない・・・」
「実は、証拠がある。それが「アンドロメダの涙」と呼ばれる構造だ(図12)。アンドロメダ銀河の周りに淡い構造が伸びている。こんな構造は孤立した単体の銀河では生じない。」
「つまり?」
「そう、何か別の銀河が降ってきたんだ。」
「いったい、何が起きたんですか?」
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「では、いよいよ犯人探しだ。アンドロメダ銀河をリング銀河にしたのは誰か? この問題について考えてみよう。その答えは意外かもしれない。なんと犯人はM32なんだ。
「えっ? あんな小さな銀河が?」
「最初にアンドロメダ銀河の写真を見たときに、優子は気になるところを指摘したよね。三つあった(図3と図4)。(1) 渦巻がはっきりしない、(2) 円盤が外側の方で剃っているように見える、そして(3) M32には外側の広がりは見えないけれど、M110には淡いけれど広がりが見える。この三番目の特徴が実は大事なんだ。M110は普通の小さな楕円銀河だ。矮小楕円銀河と呼ばれるものだ。しかし、M32は単なる小さな楕円銀河ではない。もともとはアンドロメダ銀河の三分の一ぐらいの大きさの渦巻銀河だったんだ(図12)。ところがアンドロメダ銀河と衝突して、その銀河の円盤の星々はアンドロメダ銀河の中に紛れてしまった。そして、その銀河の中心部にあった星の個数密度の高い部分だけが残った。それが今見えているM32だ。M110とは根本的に違った銀河なんだ。」
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輝明は新しいスライドを見せながら話を続けた。
「米国ミシガン大学の天文学者たちがシミュレーションした結果がある(図13)。アンドロメダ銀河とM32は今から約二〇億年前に衝突した。そのとき、ガス雲同士が激しく衝突して、星がたくさん生まれた。スターバーストという現象だ。M32の円盤にあった星々の大半はアンドロメダ銀河に紛れてしまった。しかし、中心部の星の個数密度の高いところは今でも残っていて、それが今見えているM32だ。星の個数密度も結構高そうだね。この部分は何回かアンドロメダ銀河の円盤を突っ切るように衝突した。そのおかげで、リングができたんだ。」
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これは衝撃的な図だ。優子は驚きを持って図に見入った。
「また、一番最近の衝突はアンドロメダの涙を作った。アンドロメダ銀河の円盤の外側に見える反りもM32の衝突の影響だ。そして、円盤を通過したときにリングを作った。M32の活躍もすごいが、アンドロメダ銀河の三つの不思議を見抜いた優子もすごい。ご立派としか言いようがないね。」
まさか、円盤の外側の反りがそんなに重要な特徴だとは思ってもみなかった。なんでも注意深く観察するしかない、ということだ。
『アクロイド殺し』
それにしても驚いた。あの美しく見えるアンドロメダ銀河が20億年前にM32の母体であった大きな渦巻銀河と衝突したとは考えもしなかった。その衝突はアンドロメダ銀河を暗殺するかのような出来事だったのだろう。
優子はため息をついた。そのとき、ふとアガサ・クリスティの推理小説を思い出した。その小説のタイトルは『アクロイド殺し』だ。優子は小さな声でつぶやいた。
「アンドロメダが殺される・・・。そうだ、『アクロイド殺し』だわ。」
輝明が聞いた。
「なんだい、その物騒な言葉は?」
「アガサ・クリスティの推理小説です(図14)。」
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「どんなストーリーなの?」
「ここに『アガサ・クリスティ完全攻略〔決定版〕』(早川書房、2018年)という本があるので、ちょっと見てみましょう。」
【おはなし】 イギリスの田舎町で起きた資産家アクロイド氏殺害事件。町の医師シェパード氏は、事件発生の段階から現場に立ち会ったことで、この殺人にまつわる一部始終を記録することになった。捜査が続くなか、シェパード氏の隣に越してきた奇妙な外国人が首を突っ込み始めた。彼こそは、かの名探偵エルキュール・ポアロだったのである。 (20頁)
「アガサ・クリスティといえば、やっぱりエルキュール・ポアロだね。この推理小説でもポアロが活躍するわけだ。」
「そうです、結局、事件の謎はポアロが解明します。事件の記録を残したシェパード医師が冒頭で述べる言葉が意味深です。
その後数週間にわたって起こる出来事を予見していた、などというつもりはない。それは断じてなかった。しかし、ひと騒動あるかもしれない、と本能的に感じていた。 (『アクロイド殺し』早川書房、2003年、9頁)
こういう文章があるんです。アンドロメダ銀河の暗殺未遂事件は20億年前に起こったわけですが、M32はこの事件に関わることを知っていたんでしょうか? そして、アンドロメダ銀河が渦巻銀河ではなく、リング銀河に形を変えることも。」
仕組まれていたアンドロメダ殺し
銀河は他の銀河と衝突して、形を大きく変える。衝突前とそのあとでは姿形が変わる。変身とも言える出来事だが、一旦死んで、生まれ変わるようなものだ。銀河はそれを望んでいたのだろうか? 銀河はその運命を事前に知っていたのだろうか? これが優子の疑問だ。優子はこの疑問を輝明にぶつけた。
「そうだね、知っていたと思うよ。銀河の衝突の様子はニュートン力学でわかることだ。二つの銀河の位置や円盤の向き、質量、衝突の軌道。これらが決まれば、二つの銀河の運命も決まる。第三の銀河が邪魔をしない限り、避けようがないことなんだ。」
「じゃあ、アンドロメダ殺しは仕組まれた事件だったんですね。」
『アクロイド殺し』はシェパード医師が事件の記録を書き残した。『アンドロメダ殺し』はM32が事件の記録を書き残したことになる。M32の残した記録は、現在のM32の形だけだった。だが、『アンドロメダ殺し』の謎を解くには、それだけで十分だったのだ。アンドロメダ殺しはとっくの昔に仕組まれていた。アンドロメダ銀河はどんな気持ちで、その事件を待っていたのだろうか。
第三の銀河がやってくる
この広大な宇宙では、さまざまな事件が起きている。優子はフーッとため息をついた。そして、感じた。この宇宙には何かしら、意思があると。
そういえば、さっき、第三の銀河という言葉が出てきた。第三の銀河は本当になかったのだろうか? あっても不思議はない。そう思ったところで、M110のことが頭に浮かんだ。優子は思った。
「そうか、第三の銀河はM110だけど、遅れて登場したということなんだわ。だから、アンドロメダ銀河には影響を与えていないのね。」
輝明はこの優子の思いつきをまたほめた。
「そうだよ、M110は遅れて近づいてきたんだ。その証拠に、M110の外側の星々はアンドロメダ銀河の潮汐力のおかげで、外に向かって出ている最中だ。そのため、M110は、少し外側が広がった楕円銀河に見えている(図15)。
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『第三の女』はいるのか?
「銀河は時間差攻撃を受けながら生きてきているんですね。銀河の世界も大変! この広い宇宙で、殺銀事件がしょっちゅう起きているとは思いませんでした。」
「なるほど、殺人事件じゃなくて、殺銀事件か。それはいい表現だ。」
輝明の感想を聞きながら、優子はクリスティの作品に『第三の女』があることに気づいた。そこで、また、『アガサ・クリスティ完全攻略〔決定版〕』(早川書房、2018年)という本を紐解いてみた。
【おはなし】 ある日、名探偵エルキュール・ポアロのもとに現代風の若い娘が訪れた。自分が殺人を犯したような気がする ― と不可解なことを言う彼女は、しかし、依頼の契約を結ばすにポアロの事務所を去ってしまった。のちにポアロは、アリアドニ・オリヴァ夫人がとある娘に探偵としての自分のことを紹介したと聞かされる。ポアロは娘の家を訪れるが、当の娘は姿をくらませており、一家には複雑な事情があるらしきことがうかがえた。いったい、何が起きているのか。ポアロとオリヴァ夫人は、それぞれにロンドンをさまようが・・・。 (127頁)
「M110はまだ殺銀事件を起こしていないわ。M110さん、ご安心を!」
優子はそう言いながら、微笑んでしまった。と同時に、少し反省もした。
「私はクリスティの作品に囚われすぎているのかもしれない・・・。」
M32とM110の行方
感傷にふけっている優子を横目で見ながら、輝明はM32とM110の未来について語り始めた。
「たしかに、M110は殺銀事件を起こしてはいない。しかし、M110には厳しい未来が待っている。」
「えっ? どういうことですか?」
優子は驚いて輝明を見た。
「うん、M110はこのあと、アンドロメダ銀河の星々に紛れて消えていくんだ。その意味では、アンドロメダ銀河がM110を殺してしまうようなものだ。」
なんと、M110は殺銀事件の被害者になるというのだ。M32も同じ運命を辿るのだろうか? 優子は嫌な予感を感じつつも輝明に訊ねた。
「じゃあ、M32はどうなっていくんですか?」
「M32は大丈夫。これからも元気にアンドロメダ銀河の中で旅を続けていくことになる。」
優子は、安心はしたものの、不思議だった。なぜM110はアンドロメダ銀河に殺されてしまうのに、M32は大丈夫なのだろうか? 両方とも似たような大きさの銀河なのに、なぜだろう?
輝明はM32とM110の決定的な差について語り始めた。
「たしかに、二つとも小さな楕円銀河のように見える。しかし、M32はさっき話をしたように、もともとは大きな渦巻銀河だったんだ。大きさはアンドロメダ銀河の1/3ぐらい。結構立派な銀河だ。今、見えているM32はその渦巻銀河の中心部だけだ。渦巻銀河の中央部にはバルジと呼ばれる星の集団がある。一見すると、小さな楕円銀河のように見える。一方、M110はまさに小さな楕円銀河で、矮小楕円銀河というタイプになる。矮小楕円銀河は単なる星の集団だけど、バルジはちがう。」
「バルジには星以外のものがあるということですか?」
「ピンポーン! 優子、そのとおりなんだ。何があると思う?」
「うーん、分かりません。」
「答えはブラックホール。とても重いので超大質量ブラックホールと呼ばれるものだ。質量は太陽の質量の百万倍以上もある。スーパー・マッシブ・ブラックホール(supermassive black hole)なので、SMBHと呼ばれている。つまり、バルジ全体は星の集団なんだけど、中心にはSMBHがあるんだよ。」
「じゃあ、M32の中心部にもSMBHがあるんですか?」
「ある。質量はまさに太陽の質量の百万倍だ。M32は今までのアンドロメダ銀河との衝突の影響で、外側の星々は剥ぎ取られたはずだ。だから、今残っているのは、剥ぎ取られなかった星々ということになる。」
「それで、M110とは違って、外側の境界がくっきり見えているんですね。」
「そういうこと。」
「そうすると、今後もM32は大きく壊されることがないんですね」
「うん、だから、アンドロメダ銀河の中を泳ぎながら、少しずつアンドロメダ銀河の中心部に近づいていく。
ところで、アンドロメダ銀河の中心には何があると思う?」
「あっ! SMBHですか?」
「そう。アンドロメダ銀河の中心にあるSMBHはちょっと重くて、太陽質量の1.4億倍もの質量がある。」
「うわあ、重いですね!」
「銀河系の中心にあるSMBHの質量は太陽質量の400万倍だから、それよりも35倍も重い。
輝明は厳かな顔になって言う。
「さて、問題はM32の末路だ。」
「ひょっとして、M32のSMBHはアンドロメダ銀河のSMBHとぶつかるんですか?」
「またまた、ピンポーンだ。いずれ合体してひとつの重いSMBHになる。これから数十億年後のことだけど、楽しみだね。これが、M32殺銀事件の真相だ。」
「アンドロメダ銀河は今から二十億年前にM32渦巻銀河に衝突されて殺されそうになった。これを第一幕とすれば、これから数十億年後に起こるM32中心部の合体で第二幕の殺銀事件が起こるんですね。殺されるのは小さい方のM32ですけど。」
まさか『三幕の殺人』へ?
と、話をしていて、優子はハッとした。
「まさか『三幕の殺人』???」
優子は、またクリスティの作品の名前を挙げた(図16)。
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『アガサ・クリスティ完全攻略〔決定版〕』(早川書房、2018年)によれば、『三幕の殺人』は次のような作品だ。
【おはなし】 元俳優のカートライトが開いたパーティで、酒盃を乾した牧師が昏倒し、死亡した。事件性なしと判断されるも、その後、別のパーティで医師が同様の状況下で死亡、こちらは毒殺とされた。これは同一犯によるものではないのか? カートライトと、芸術のパトロンであるサタースウエイト、そしてカートライトに想いをよせる女性エッグが謎を追う・・・。 (43頁)
さすがの名探偵エルキュール・ポアロもこの作品では脇役に甘んじている。その意味では、一風変わった作品でもある。
アンドロメダ銀河が絡む銀殺事件。第一幕では、その昔、結構大きな渦巻銀河だったM32が衝突してきた事件だった。アンドロメダ銀河は殺されることはなかったものの、渦巻は消え、リング銀河になった。第二幕はSMBHを孕む現在のM32が数十億年後にアンドロメダ銀河の中心にあるSMBHと合体する。ここで殺されるのはM32だ。第三幕があるとすれば、どんな事件になるのだろう。優子の胸はドキドキした。たしかに、物語なら三幕ものが面白い構成になる。第一幕は物語の発端、第二幕は中盤の役割を果たし、第三幕では結末が語られる。起承転結なら四幕構成だが、芝居などでは三幕構成が多い。「起」が第一幕、「承」と「転」が合わさって第二幕、そして「結」が第三幕に相当すると思えばよい。いったい、アンドロメダ銀河にはどんな結末が待っているのだろう? そして、果たして第三幕で終わるものなのかという疑問もある。
優子は恐る恐る輝明を見つめた。
輝明はニヤリと笑った。